第228話 常識

 上空の方から聞こえて来る翼の音を聞いたカリオスは、嫌な予感を抱きながら、勢いよく立ち上がった。


 呆けたせいで動けない様子のオルタとタシェル。


 そんな二人を横目で見た後に、崩壊した廊下の淵まで駆け寄ったカリオスは、東側の暗闇に目を凝らした。


 少し上の方から聞こえて来るその音は、何かがこちらへと飛んできていることを表している。


 それが、どんな生物だったとしても、危険であることは想像に難くない。


 彼にそう思わせた根拠が、崩れた建物の傍でこちらを睨んでいる。


 睨んでいると言っても、微動だにしないその様子は、群がって来ていた無数の大蛇と同じように、凍っているのだろう。


『なんてデカさだよ……この建物と同じくらいデカいんじゃないか?』


 思いながら、それは誇張かと自身を諫めた彼だったが、しかし、そう見間違える者が居てもおかしくはないほどに、巨大な蛇が転がっている。


 そうして悠長に蛇の様子を眺めて居た彼だったが、徐々に近づいて来る翼の音を耳にして、すぐさま踵を返した。


 この場を離れた方が良い。


 そう思った彼は、しかし、オルタとタシェルの様子を見て頭を抱える。


 オルタは、背中に受けた傷の痛みで動けないのか、拳を握り込んだ状態で跪いている。


 タシェルはと言うと、出血の止まらないオルタの傷口を見ながら、動揺している。


『無理やりにでも連れて逃げるか? でも……』


 オルタに駆け寄りながら頭を働かせていたカリオスは、視界の隅に映った箱を見た。


 先程拾ったその箱を持ち、そのうえ、二人を連れて逃げ切ることが出来るのだろうか。


 それに、オルタの背負っていた大きなリュックが、ズタボロの状態で傍に転がっている。


 このまま逃げると言うことは、荷物も何もかも置いて行くことになる。


 その状態で、逃げおおせたとして、この先進んでいけるだろうか。


 山を下る必要もあるのだ。


 こうなってしまえば、イチかバチか戦うしかない。


 もしかしたら、戦いの音に気が付いたミノーラが助けに現れるかもしれない。


 そう考えたカリオスが、右腕の籠手に左手を添えながら、音のする方へと振り返った時。


 彼は、飛んできている生物の姿を目にしたのだった。


 巨大な翼に、トカゲのような頭部、長くて鋭い尻尾。


 筋骨隆々とした体つきに、鋭い爪や牙も備えている。


 そして、カリオスのことを射殺してしまいそうなほどに鋭い眼光は、明らかに、三人のことを捉えている。


 勝ち目なんかない。


 実際に見たことは無いし、見た人物と会ったこともない。


 それは、空想の中の生物。


 なぜ、こんなところに、そのような生物がいるのか。


 それ以上に、なぜ今、ここに現れたのか。


 そんなことを考えながら、彼の頭の中で、一つの疑問が晴れていった。


 大蛇が東に寄り付かなかったのは、鼠人達の生贄による契約とか、そう言うお話じゃない。


 縄張りだったのだ。


 今までずっとどこに居たのかは知らないが、きっとこの蛇たちは、こいつの存在に気づき、近付かないようにしてきたに違いない。


 そんな、この状況においてどうでも良いことを考えた彼は、力なく腰を落とした。


 恐らく、背後にいる二人も同じだろう。


 轟音を立てながら、三人のいる廊下へと近付いて来るドラゴンは、じっと視線を投げたまま、ゆっくりと降下してきた。


 そうして、崩壊した廊下にしがみつくような形で着地したドラゴンは、首を廊下の中へと差し込みながら言ったのである。


「君たちが、カリオスとオルタとタシェル? みんな無事みたいだね。僕はアイオーンっていうんだ! ミノーラとクリスに言われて、皆を助けに来たよ!」


 予想だにしなかった言葉と口調を聞き、カリオスは肺の中から空気が抜けていくのを感じた。


 アイオーンの鼻息を全身で受け止めていることも、その鼻息が少し生臭い事も、何もかもが気にならない。


 頭の中が真っ白になったとはこのことなのだろう。


 カリオスはどこからともなく不思議な音が聞こえた気がした。常識が一つ崩れていったような、軽い音。


 そんな彼の視界の端で、何かが動く。


 呆然としたままそちらの方へと目を向けると、アイオーンの首から廊下へと飛び降りているミノーラとクリスが、そこに居た。


「カリオスさん! タシェルとオルタさんも! 無事でしたか!?」


「うわっ! なんじゃこりゃ!? 蛇!? ばりデカいやん!」


 呆気に取られている三人とは対照的に、いつも通りの様子で現れた二人は、軽快な足取りで歩み寄ってくる。


 二人が無事であったことは非常に嬉しい。


 嬉しいのだが、状況の説明をしてほしいと、カリオスは思った。


 しかし、そんな余裕は残されていない。


 二人の無事を目にしたオルタが、勢いよく立ち上がると、タシェルとカリオスも巻き込んで、盛大に抱擁をし始めたのだ。


「うおおおおおおぉぉぉ! クリス! お前生きてたのかぁ! ミノーラも! 心配させやがってぇ! アイオーンだったか? これはお前がやったのか? ありがとな! 本当に助けられたぜ! これでやっと……」


 全員に抱き着いたオルタは、大声で叫びながら涙を流し始めていた。


 かと思うと、強かった締め付けが一気に弱くなり、声も弱々しくなってゆく。


 明らかに様子のおかしいオルタの状態を見兼ねて、彼の抱擁から抜け出したカリオスが彼の肩を揺すった時。


 オルタは、その場に力なく崩れ落ちたのだった。


「「オルタさん!?」」


 タシェルとミノーラが慌てて声を張り上げる。


 倒れ込んでしまったオルタは、呼吸こそしているものの、力なくぐったりとした状態で意識を失っていた。


 それほどにひどいけがを負ったのかと、カリオスが罪悪感を抱き始めたその時。


 タシェルがポツリと呟く。


「もしかして……毒?」


 その一言を聞き、カリオスの罪悪感は絶望へと変わって行ったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る