第210話 蛇眼
長いらせん階段を降りたオルタ達を待っていたのは、これまた長い廊下だった。
ひたすらにまっすぐな作りのその廊下は、当然ながら東西に延びている。
その廊下を西へと向けて歩きながら、オルタは考える。
『クリス! くそっ……今ならまだ間に合うか?』
オルタの脚をもってすれば、今から駆け出して広場まで戻れば、何とか助けることが出来るかもしれない。
しかし、そうした場合、タシェルとカリオスの命が危険にさらされてしまう。
明らかにオルタのことを警戒している鼠人間達は、未だに二人の首筋に刃を突き付けているのだ。
そうして、クリスの命と二人の命をオルタが天秤にかけていた時、彼は不穏な物音を耳にする。
彼らの歩いている廊下には、所々に小さな窓がある。
窓と言っても、壁に四角い穴が開いている簡易的なものだ。
松明で照らされている廊下とは対照的に、建物の外は真っ暗闇で、殆ど様子を伺うことは出来ない。
そんな窓の外から、何やら物をこするような、低い音が聞こえて来たのだ。
その音を聞いた時、オルタは少し前にミノーラが言っていた言葉を思い出す。
『何の音だ?』
外の様子を伺えるわけでもない状況で、彼はその音を聞きながら推測するしかなかった。
廊下を進むにつれて、少しずつ大きくなってゆくその音は、決して断続的になり続けている訳では無い。
不定期ではあるが、静かになる事があるのだ。
そんな様子が、どこか生物的な活動に感じられたオルタは、途端に身の危険を覚えた。
何かが居る。
窓の外から何者かに覗かれているような錯覚を覚えた時、オルタの前方で一つの動きが発生した。
激しい音を立てながら、カリオスが転んだのだ。
その音は、廊下に響き渡ってゆく。
突然の事に動けなかったオルタとは対照的に、慌てた様子でカリオスを立ち上がらせた鼠人間達は、何やら周囲を警戒し始めた。
先程までタシェル達の首筋に当てていた武器を構え、窓の外や廊下の先に目を向けている。
その様子を見たオルタは、咄嗟に動き出す。
背中で固定されていた両腕の手首付近に力を入れながら、念じる。
『切れろ切れろ切れろ!』
その念が功を奏したのか、オルタは自身の手首を縛っていた紐が、はらりと解けていくことを感じた。
一瞬手首へと目を向けたオルタは、自身の手首から何本もの小さな刃が飛び出来ていることを確認する。
そうして、ようやく両腕が自由になったことを理解した瞬間、全力で走り出した彼は、カリオスとタシェルの傍にいる鼠人間を両腕で掴み、壁へと投げつけた。
勢いよく壁に衝突した二人の鼠人間達は、短い悲鳴を上げて倒れ込む。
そんな様子を悠長に見ている訳にもいかず、オルタはタシェルとカリオスを両脇に抱えると、西に向けて走り出した。
多少なりとも距離を取ろうと走っていたオルタは、途中で鼠人間達が追って来ていないことに気が付く。
確実に距離が開いたことを確認し、足を止めたオルタは急いで二人の拘束を解くことにした。
タシェルの猿轡を解き、これからどうするべきかと尋ねようとしたオルタは、何かを恐れるような彼女の表情を前に口を噤んだ。
次の瞬間、タシェルが叫ぶ。
「走って! 速く! 東に向かって! ここは危ないから!」
「どうしたんだ? 何があった?」
「良いから!」
言われるがままに元来た道を走り出したオルタが、前方に鼠人間達の姿を捉えた時、背後から凄まじい轟音が鳴り響いてきた。
何かが崩れるような音と、強い衝撃音。
思わず後ろを振り返ろうとしたオルタは、窓の外のそれに気が付いてしまう。
巨大な黄色い目が、まるでオルタ達と並走するように、こちらを覗き込んでいるのだ。
「なんだあれは!?」
思わず叫んだオルタの言葉に応えるように、タシェルが声を上げる。
「大きな蛇です!」
「蛇!? デカすぎるだろ!」
窓の外の瞳しか確認できていないオルタだったが、それだけでもその大きさの異常性を理解することが出来た。
何しろ、瞳の大きさが窓よりも大きいのだ。
いくら小さな窓とはいえ、人の頭が入る程度の穴である。
その窓よりも大きな瞳を持っている蛇が、どれほどの大きさになるのか、想像もつかない。
背後から聞こえる音は、未だに鳴りやむ様子はなく、心なしか、次第に近づいて来ている気がする。
迫りくる恐怖を感じたオルタは、強引にタシェルとカリオスを脇に抱えると、全力で駆け出した。
少し先を走って逃げていた鼠人間達が先程降りてきたらせん階段へと入ってゆくのを見て、オルタはその後に続いた。
襲われる危険性もあるが、それ以上に、背後から迫りくる脅威の方が危険だ。
勢い余って壁に肩をぶつけながらも、らせん階段へと入り込むことが出来たオルタ達は、その勢いのままに階段を駆け上がる。
しばらく駆け上ったところで、音が鳴りやんだことに気が付いたオルタは、ゆっくりと速度を落とすと、階段の途中でカリオスとタシェルを降ろした。
激しく鳴り響いている鼓動を耳にしながら、呼吸を整えたオルタは、改めてらせん階段の下の方へと目を向ける。
オルタ達のことを見失ったのか、既に追いかけて来る気配は無い。
「助かった……のか?」
「……戻って行ったみたい。ありがとう、シルフィ」
意外と諦めが早かったことに感謝したオルタは、らせん階段の上へと目を向ける。
「クリス……」
すぐにでもクリスの元に駆け出そうとしたオルタは、しかし、立て続けに聞こえてきた無数の音を耳にし、ため息を溢した。
先程の鼠人間達だろうか、大勢が階段を駆け下りて来る足音が、少しずつ近づいてくる。
「もう戻ってきやがった……」
「オルタさん、一旦階段を降りましょう! シルフィによると、さっきの広場にクリス君はいないみたいです」
「いないってどういう事だ?」
「分かりませんが、姿が見えないって言ってます」
姿が見えない。
それが何を意味するのか、正確なところまではオルタには分からなかった。
しかし、希望が潰えたわけでは無さそうだと直感する。
「ミノーラか?」
彼の希望的観測を耳にしたタシェルとカリオスは、ただ黙って、階段を降り始めたのだった。
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