第191話 化物
食事を終えたオルタ達は、急ぎ足で闘技場へと戻った。
観覧席へと向かうタシェル達を見送った後、控室奥の階段へと向かったオルタは、そのまま階段を降りる。
どの門で待機しておけば良いだろうかと考えた直後、オルタは階段を降りた先に係の女性が立っていることに気が付く。
「お? 今回はここで待機なのか?」
降りて来るオルタを待ち構えるようにこちらを見上げている女性に話しかけたオルタは、女性の前で立ち止まった。
「いえ、お二人に待機を行なっていただくのは1番の門になります」
「あ、そうなのか?」
女性の言葉を聞いたオルタは、いつも通り差し出された札を手に取った。
札にはでかでかと数字の1が描かれており、その数字を確認したオルタは、最も近場にある門へと目を向ける。
視認できる門は一つだけであり、その門に描かれている数字もまた、1である。
「ノルディス長官が待機されているのは7の門になります。1の門から見て、この闘技場の正反対に位置する門です。なお、二人の待機場所については、ノルディス長官にも伝達済みとなっております」
「なるほど……」
淡々と説明を続ける女性に相槌を打つと、オルタはふと抱いた疑問を口にした。
「サラの待機場所はどこになるんだ?」
ここまでチームとして戦ってきたサラだが、今から始まる試合においてはそうとも言えない。
となれば、オルタとサラの待機場所は分けられるものだと考えていたのだが。
今の話を聞く限り、どうやらサラも1番の門で待機することになりそうだ。
オルタのそんな予測は正しかったようで、女性が淡々と告げる。
「1番の門になります」
「そうなのか。まぁ良いけどよ。いつもそうなのか? だとしたら、ノルディス長官と戦う前に、二人で戦い始める可能性もある訳だろ?」
オルタはそう口にしながら、女性の表情が変化していく様子を見た。
まるで、オルタのその言動に呆れを抱き、馬鹿にするかのような表情。
ここに来て、この女性の明確な感情を目の当たりにしたオルタは、その表情に対する怒りよりも、驚きを強く感じた。
驚きのあまり言葉が出ないオルタに向けて、女性は失笑を交えながら告げる。
「そのような余裕がおありであれば、どうぞご自由に」
その言葉に対する返事をすることが出来ないまま、オルタは1番の門へと向けて一歩を踏み出した。
固く閉ざされた門の前へと辿り着いた彼は、門を見上げながら考える。
さっきの女性にそこまで言わせてしまうノルディス長官と、これから戦うことになるのだ。
頭では分かっていた情報であるが、これと言った実感が無かった。
しかし、改めて考えてみると10年間一度も負けたことがないというのは、相当なものだろう。
「俺はここ最近だけでも、何度も負けてんのになぁ」
湧き上がってくる弱気を必死に抑え込もうと、体操をして体を動かしていたオルタは、しばらくしてサラが階段を降りてきたことに気が付く。
オルタと同じく女性の説明を受け終えた彼女は、まっすぐにオルタの居る方へと歩いて来た。
「よぉ。体調は平気か?」
「ん? あぁ、なんとか戻ったよ……何をしているんだ?」
床に寝転がって足回りのストレッチを行なっているオルタを見たサラが、呆れたような目で尋ねてくる。
「あぁ、全身を伸ばしてんだ。なんかちょっと緊張しちまってな」
「緊張? オルタが? 寝違えただけだろう?」
「俺を何だと思ってんだ! 流石に緊張するだろ? ノルディス長官と戦うんだぜ? 実際、ついさっきまでは実感なかったけどな」
「実感なかったんじゃないか。ならやっぱり、私の持ってるオルタって男のイメージは、あながち間違ってないみたいだな」
「なに人のことを分析してんだよ。まぁ良い。それよりも……」
オルタはストレッチを止めて立ち上がりながら、サラに一つ提案をしようとした。
その時、門が音を立てて開き始める。
その様子を見たオルタは、思わず口を噤み、射し込む光の先へと目を向けた。
つい数時間前まで目にしていた光景。
生い茂っている下草や点在する樹木。所々に転がっている岩。
恐らく人工的に作られたその平原が、妙に煌びやかに見えてしまうのは、緊張のせいだろうか、それとも気のせいなのだろうか。
完全に開かれた門を見たオルタは、隣に立つサラへと視線を移す。
サラもまた、何かを思ったのかこちらへと目を向けていた。
「行くか」
「ああ」
多くは語らず、一歩を踏み出したオルタは、踏みしめた右足の裏から緊張が抜けていくような感覚を覚えた。
そうして、いつも通りみを屈めながら進み始めようとした次の瞬間、闘技場全体に響き渡る大声が、二人の全身を震え上がらせる。
「掛かって来ぉぉぉぉい! 俺はここにいるぞぉぉぉぉ!」
正反対の場所にいるはずのノルディスの叫びが、空気を震わせる。
と、思いきや、別の轟音が鳴り響いた。
何の音か理解できなかったオルタだったが、再び響いた振動で全てを理解する。
オルタとサラが身を屈めていたるところから数メートルと言ったところだろうか。
オルタより一回り小さい大きさの岩が、着弾したのだ。
思わず上空を見上げたオルタは、既に放たれた岩が幾つか、彼のいる場所へとめがけて飛んできていることを確認する。
「化け物かよ!」
確認するや否や、すぐに駆け出した二人は、数秒後に背後から響いて来た音を聞いて胆を冷やした。
走りながら上空と背後へと意識を向けていたオルタの耳が、次の声を捉える。
「戦場で周囲の状況を見誤ることは、死に直結する! 覚えておけぇ!」
声の聞こえた前方へと目を向けたオルタは、一直線に飛んでくる何かを確認し、咄嗟に横へと飛び退いた。
草の上を転がりながら、飛んで来たものの正体を確認する。
それは、根元からへし折られた樹木。
人が投げるものとして到底似つかわしいそれが、まるで槍のように低空を突き抜けている。
「オルタ! 私が近付いて隙を作るから! 全力で止めに行け!」
「近づくって! どうやって! サラ!? おい! サラ!?」
少し離れた位置から声を掛けてきたサラは、一方的に告げた後、姿を消してしまった。
仕方がないのでサラの言う通りにしようとオルタが立ち上がったところで、彼は投石が止んでいることに気が付く。
そして、再度ノルディスの声が響き渡った。
「戦場では常に先を読め! 情報は最も強い武器になる! 目も耳も鼻も手も足も、全てを使いこなせなければ、足元をすくわれる! こんな風にな!」
声のする方へと目を向けたオルタは、いつの間にかノルディスが近い場所まで走ってきていることに気が付いた。
そんなノルディスから距離を取ろうとした時、ノルディスもまた足を止め、両腕を振り上げている。
「次は何をするつもりだ?」
振り上げられたノルディスの拳は、全力の込められた勢いで地面へと叩きつけられた。
強い衝撃がオルタの元まで届いてくる。そして、届いたのはそれだけでは無かった。
衝撃で体勢を崩しかけたオルタは、身を屈めた拍子に地面に走っている亀裂を目にした。
「マジかよ!」
地面を割ってしまう程の威力があったことに驚いたオルタは、さらに繰り出されるノルディスの攻撃に唖然とする。
「おらぁぁぁぁ!」
拳を打ち込んで少しの間、身を低くしていたノルディスが、地面を持ち上げる。
抉り取られたような形状の地面は、笑う子犬亭の敷地と同じくらいの面積がある。
比喩表現ではなく、実際に地面を持ち上げてしまったノルディスは、オルタに見えるように笑いかけてきた。
そうして、持ち上げられた地面は、上空へと投げ飛ばされた。
宙を舞うそれらを見上げたオルタは、一緒に打ち上げられた生物に気が付いた。
「……猫? なんでこんなところに猫が……」
思わず呟いたオルタは、すぐさま理解する。
そのことに、ノルディスは気が付いていたようで、打ち上げられている猫が着地するであろう場所へと向けて駆けだしたのだった。
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