第168話 回顧

 それは、何の気なしに手にした一冊の本だった。


 図書館に来たことの無かったカリオスは、本棚に並んでいる大量の書物の背表紙を眺めながら、辺りをキョロキョロと見てしまう。


 まるで、ミノーラみたいだな。と自嘲しながらふと見上げた先に、階段があった。


 階段を見つけたのも、上ったのも、二階の本棚から一冊の本を手にしたのも、全てが気まぐれであり、偶然だ。


 本の冒頭を読み上げたカリオスは、一瞬にして引き込まれる。


 そこにはこう書いてあった。


『我々の持つ生命エネルギーとは何なのか。この本を手にしている貴方であれば、一度は疑問を抱いたことがあるだろう。そして、その疑問には生物の設計図という答えが用意されている。』


 その文言を読んだカリオスは、ボルン・テールでドクターファーナスから聞いた説明を思い出す。


 生物の設計図のようなもの。


 確かに、彼女も同じようなことを言っていた。


 そして、ミノーラが狼と人間の生命エネルギーが混ざり合った、混色と呼ばれる存在だと。


 そこまで考えたカリオスは、本を読み進めた。


 生命エネルギーが設計図である実例が長々と説明され、流石に飽きを感じ始めた時、その文章が彼の目に留まる。


『もちろん、用意されたその答えも、一つの事実として正しい。しかし、生命エネルギーにはもう一つの側面があるのだ。』


 もう一つの側面?


『プラスの熱エネルギーは、火を。マイナスの熱エネルギーは氷を。つまり、エネルギーにはプラスとマイナスの性質があることは、周知の事実であり、我々が日常的に目にする現象として、この世界に存在する。』


 続く文章を読んだカリオスは、一つの疑問を抱く。


 そしてそれは、著者の思惑通りのようで、文章はこう続いていた。


『聡明な読者であれば、ここで一つの疑問を抱くであろう。生命エネルギーにおける、プラスとマイナスの性質とは何か?と。』


 抱いた疑問を見事に言い当てられたカリオスは、一度本から目を離すと、天井を見上げた。


 溢した溜息に、幾ばくかの興奮が混ざっているような気がする。


 今まで知り得なかった知識を目の当たりにした彼は、少しばかり脈が速くなっていることを感じながら、再び本に目を落とす。


『結論から言えば、我々の持っている生命エネルギーはプラスもマイナスも含有している。そしてそれは、“食べる”という簡単な言葉で説明することが出来るのだ。』


 食べる。他の生物や植物を食し、吸収する行為。


 そこまで考えたカリオスは、この著者が言わんとすることをなんとなく察した。


 そして同時に、とあることを思い出す。


 それは、ミノーラの言動。


 影の精霊を食べたら……。


 背筋を冷たいものが走って行く感覚に襲われたカリオスは、ここまでのミノーラの変化と、首輪、そして、自身の首についている首輪へと意識を集中させた。


 ミノーラの首輪が“そう”なのだとしたら、これも、同じものなのだろうか。


 そんな疑問を抱きながら、再び本へと目を戻した時、タシェルに呼びかけられたのだ。


 少し前に起きた事を思い出していたカリオスは、図書館と同じようにタシェルから呼び掛けられていることに、ようやく気が付いた。


「カリオスさん!?大丈夫ですか?」


 雑踏の中、路地の端で考え込んでいたカリオスは、目の前に汗だくで呼吸を荒げているタシェルに気が付く。


 ようやく気が付いた様子のカリオスに向けて、タシェルは焦りを抱いた様子で問いかけて来た。


「カリオスさん! ミノーラとクリス君はどこにいるんですか!?」


 それを聞いたカリオスは、思い出したように辺りを見渡すが、雑踏の中に二人の姿は見えなかった。


 流石に焦りを抱いたカリオスは、咄嗟に動き出そうとするが、タシェルに腕を掴まれ、制止される。


 なにやら真剣な面持ちの彼女の様子に、一旦冷静さを取り戻したカリオスだったが、不意に聞こえた懐かしい声に、心を乱された。


「ふむ、周囲を探したけれど、どこにも居ないようだよ。」


 そう言いながら雑踏をかき分けて現れた金髪の男は、二人のすぐ傍に立つと、ため息を吐いた。


『マーカス!? なぜここに?』


 ここにいるはずのない男の姿に驚愕を隠せないカリオス。そんな彼の様子を見たマーカスは、ヤレヤレと肩をすくめながら話を続ける。


「エーシュタルにいる私は、分身の一人だ。日の出てる間なら、ある程度の距離まで飛ばせるのでね。まぁ、時間制限はあるのだけれど。いや、そんなことを話している場合ではないな。いいかい?カリオス。よく聞いてくれ。君が右腕に大火傷を負わせたウルハ族の男を覚えているか?あの男、レイガスと言うんだが、少し前に逃げ出した。単独での逃走とは考えにくい。これが何を意味しているか分かるだろう?」


『仲間が手助けした……?』


 続けざまに明かされる情報に驚きを隠せないカリオスの様子を見ながら、マーカスは言葉を選ぶようにゆっくりと話し続ける。


「まぁ、逃走が分かった時点で追跡を始めたこともあって、まだここには辿り着いていないだろう。だが、用心はしていてくれ。何しろ、レイガスは君に酷く執心していたからな。」


 あれだけの火傷を負わせたカリオスのことを恨むのは当然と言えるだろう。


 だが、流石のレイガスでも、この街で大暴れすることは無いと願いたい。


『それよりも、今はミノーラとクリスだな。』


 思考を切り替えたカリオスは、メモを手に取ると、タシェルに手渡した。


 図書館でのことが頭を過るが、今は考えないことにする。


「『すまない、色々と考え事をしていて、二人とはぐれてしまった。まずは、二人を探そう。ミノーラがいるから、危ない目にあっても、逃げ出せるとは思うが……。今のところ探せてない場所はあるか?』……マーカスさんが街中を飛び回って探してくれたから、もう殆ど無いんじゃないかな。」


 不安げな顔をしているタシェルが、マーカスに視線を移しながら告げる。


 そんなタシェルの言葉を肯定するように、マーカスは頷きながら話し始めた。


「ああ、明るい場所は全て見て回ったぞ。見つけにくい訳でもないから、居ればすぐに分かると思うんだが。探せていないとしたら、脇道の暗い場所だな。上から覗くことは出来るが、今の私じゃあ、暗い場所に入れないのでね。」


 そんなマーカスの言葉を聞いたカリオスは、嫌な予感を抱いたのだった。

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