第169話 乙女

 荒い呼吸を整えるため、壁に背中を預けて立ち止まったカリオスは、空を見上げた。


 もうすぐ日が沈んでしまう。


 エーシュタルの街中を走り回り、隅から隅まで見て回ったが、結局ミノーラとクリスの姿は見当たらなかった。


 雑踏をかき分けて走るカリオスに注がれる視線は、酷く冷たい。


 そんな視線と疲労を振り払うように首を振ったカリオスは、少しばかり焦りが滲んでいる頭で考える。


『日が暮れたら、マーカスの助けを得られなくなってしまう。かといって、夜の街を駆けまわるのは危険か?この街の治安維持局にもタシェルとマーカスが話をしに行ってくれてるが、当てになるか分からないしな。……どうする?考えられる可能性は、幾つかある。レイガスの仲間……マリルタで襲ってきたあいつらの仲間が、ミノーラを攫って行った?クラリスで俺達をおびき寄せたのはフェイクで、本命はこういうやり方だったということも充分にあり得る……。』


「カリオス。おい、聞いてるか?」


 考え込んでしまっていたカリオスは、マーカスが目の前で手を振るまで、彼が傍にいることに気づくことが出来なかった。


「少し話をしたい。一度宿まで戻ってくれ。」


 そう言われたカリオスは、一つ深呼吸をすると、頷き、壁に預けていた体重を元に戻す。


「そう深く考えるな、もしかしたら、純粋に迷ってるかもしれないし、ただ、この街を楽しんでいるだけかもしれないだろう。」


 そう告げるマーカスの表情は、口調とは裏腹に、どこか真剣な空気を漂わせている。


 恐らく、マーカスの本音を言えば、そんな楽観的な予想が当たらないことは重々承知なのだろう。


 それについては、カリオスも同感だ。


 どれだけ深い森の中でも、カリオスの匂いを辿って帰って来ていた彼女が、この街で迷子になるはずがない。


 ましてや、クリスも一緒にいるのだ。危険な事に率先して首を突っ込むとも思えなかった。


 だとするならば、不測の事態が発生したと考えるのが妥当だろう。


『くそっ……。考え事なんてしてる場合じゃなかった。これは、完全に俺のせいだな。』


 心の中で独白するカリオスは、マーカスの後についてひたすら歩いた。


 宿の前では、心配そうにキョロキョロと周囲を見渡すタシェルと、見知らぬ女性が立っている。


 長くて艶のある銀髪は肩のあたりまで降ろされており、時折吹く風で、さらさらと靡いている。


 彼女が着ている服は隊服のようだが、そんな服装でも分かるほどに女性らしいボディラインの持ち主だった。


 厳かな面持ちで周囲を観察している彼女の視線に、カリオスとマーカスが入ったのだろう、携えているレイピアに左手を軽く添えながら、声を掛けてくる。


「女性を二人も待たせるなんて、貴方も偉くなったものですね。」


「いやはや、それを言われては心が痛い。」


 目を細めて言い放ったその女性に対して、マーカスがおどけたように肩をすくめてみせる。


 そんなマーカスの言葉を流すように、女性の視線はカリオスへと移った。


「カリオス、紹介しておこう。彼女はイルミナ。精霊協会に所属しながら、この街の軍部で副長も務めている才女だ。イルミナ、彼がカリオス。私が遅れた原因だ。」


 マーカスの言葉を聞いたカリオスは、目の前の美女に軽く会釈をする。


 そして、エーシュタルに到着する前にハサクから聞いた話を思い出す。


『氷の乙女……だったか?確かに、かなりの美人だが、少し雰囲気が冷たいな。』


 見たままの感想を抱いたカリオスは、その考えが顔に現れないように注意しながら、マーカスへと視線を移した。


 自然とその場の全員がマーカスに視線を集めると、それに気が付いた彼が話し始める。


「……あーっと、私はそろそろ時間切れで消えることになる。続きはイルミナに頼んであるので、詳細は彼女に聞いてくれ。あと、タシェル。手紙については先程話した通り、精霊協会の方から送ってもらう方が良いだろう。明日の朝、またこの場所に来るので、進捗があれば、その時に報告を頼む。」


 早口に言ったマーカスは、全員の反応を伺ったあと、ゆっくりと消えていった。


 まだ完全に日が沈んだわけでは無いところを見ると、制限時間が来たのだろう。


 カリオスが静かに消えていったマーカスの残滓を眺めていると、イルミナが口を開いた。


「一旦、精霊協会へと行きましょう。話の続きはそこで。」


「分かりました。あ、ただ、一人帰って来てない人が居るので、伝言だけ残してきます。少しお待ちください。」


 タシェルは慌てた様子でそう告げると、宿の中へと入って行った。


 必然的に二人取り残されるカリオスとイルミナは、深い沈黙の中、タシェルの帰りを待つ。


 やはり、イルミナの姿はかなり目立つのか、道行く人々の視線が二人を見比べているのを感じた。


『……気まずいな。』


 沈みゆく夕日を眺めながらそんなことを考えていると、ようやくタシェルが戻って来た。


「すみません、お待たせしました。それでは行きましょう。」


 タシェルの呼びかけで歩き出した三人は、精霊協会へと向かう。


 道中でも目立っているイルミナの後をついて歩いたカリオス達は、身を隠すように協会の建物の中へと入り込んだのだった。


 入ってすぐのロビーを無言で突っ切るイルミナの後を追い、カリオス達も無言で歩く。


 そうして通された部屋は、応接間なのだろうか、背の低いテーブルを挟むように、長椅子が用意されていた。


「掛けてください。」


 言われるままに長椅子に腰かけた二人は、対面に座るイルミナの姿を眺めながら、彼女の言葉を待った。



「さて、まずは、現在の状況をお聞かせ頂きたいのですが。」


 イルミナがそう告げたところで、扉をノックする音が鳴り、協会の職員が紅茶を運んできた。


 カリオスが目の前のテーブルに出された紅茶とイルミナを見比べていると、タシェルが語り始める。


「行方が分からなくなったのは、ミノーラという名の狼とクリスという男の子です。二人は一緒に行動しているはずです。それと、ミノーラは言葉を話すことが出来ます。もし街を歩いていれば、すぐに見つかると思うのですが……。それと、ミノーラは鼻が利くので、もし道に迷ったとしても、宿に戻って来るか、私たちを探すことあ出来るはずなのです。だから……。」


 何かを言おうとしたタシェルは、そこで言葉を切った。


 恐らく、推測を話すのは好ましくないと判断したのだろう。


 タシェルの言葉を聞いたイルミナは、少しだけ考えると、一つため息を吐いた。


「……なるほど。事情はある程度分かりました。ミノーラとクリス君が居なくなった理由も、マーカスが私に話を持ってきた理由も。」


 そう告げた彼女は、立ち上がると、座っている二人に向かって深々と頭を下げた。


 突然の事にイルミナの行動を理解できなかったカリオスとタシェルは、お互いの顔を見合わせる。


 そんな二人に対して、イルミナは言葉を続けた。


「おそらく、ミノーラとクリス君の行方が分からなくなった遠因は私の政策にある。申し訳ない。」


「あ、あの、どういう事ですか?」


 突然の謝罪に戸惑ったタシェルが、イルミナに問う。


 イルミナは下げていた頭を上げると、まっすぐな眼差しでカリオス達を見ながら言ったのだった。


「これは推測ですが、今回の行方不明は、ミノーラを狙った人身売買組織によるものと思われます。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る