第119話 遠雷

 穏やかに重なる波の音を掻き乱すように、遠い雷が空気を揺らした。


 そんな振動で目を覚ましたミノーラは、見慣れない景色を見渡すと、思い出したように呟く。


「そうでした、今は洞穴の中にいるんでした。」


 横になった身体を縮めて寝息を立てているタシェルと、壁を背に座り込んで寝ているハイド。二人を確認した彼女は、海亀が居ないことに気が付く。


「海に戻ったのかな……。」


 眠る前の荒れていた海とは異なり、穏やかになっている海を眺め、再び呟く。話し相手が居ないと、どうにも呟いてしまうのは何故だろう。


 少ししんみりとした気持ちを抱きながら、ミノーラは波打ち際へと歩み寄ってみた。


 足元に目をやると、海の水は透き通っていて、ゴツゴツとした岩肌をはっきりと確認することが出来る。


 そこからゆっくりと顔を上げると、日の光を反射して、キラキラと光っている水面が視界に入った。


「きれいだなぁ。」


 そう呟きながら、彼女は少し前にサーナが言っていたことを思い出す。


「白と黒しか見えない……とかなんとか言ってたような?どういう意味なのかな。サーナにはこの景色が全然違うように見えるのかな。」


 目の前の光景以上に綺麗な情景を想像できないミノーラは、昨晩話していた内容を思い出し、やるせない気持ちになる。


 生き物の特徴。


 生命エネルギーによって形作られるそれによって、色々なことが決まるらしい。


「どうして、みんな同じじゃないのかな……?」


 ミノーラは今まで見てきた様々な物事を振り返る。


 森にはミノーラの家族や仲間たち、それ以外にもたくさんの生き物が住んでいた。


 王都にはサーナやサチ、そしてカリオスと言った人間が沢山住んでいた。


 ミスルトゥにはパトラやトリーヌのような羽のある人々が居たり、小人のドグル達や影の精霊である女王とレイラが住んでいた。


 ボルン・テールには人間のタシェルやドクターファーナス、マーカスやハリス会長だけではなく、ウルハ族のオルタのような人々も住んでいた。


 そして、マリルタにはハイドやクラリス、ジル、そしてザムス達が暮らしている。


 この短い間に、彼女は様々な物事を見てきた気がする。そして、得たものも多くある。


 それは、多くの人々との出会いであり、失った悲しみであり、抱えた違和感だった。


 昨日の話では生命エネルギーの差によって、生き物の特徴が現れると言っていた。これはドクターファーナスも言っていた気がするので、正しいのだろう。


 ではなぜ、私は涙を流すことが出来ないのだろう。


 それは、少し前にも抱いた疑問。


 ミノーラが混色であり、人間の生命エネルギーも持っているのだとするならば、ミスルトゥでのカリオスと同じように涙することが出来る筈ではないだろうか。


 それだけではない、ミノーラが島に行くと表明した時のタシェルやオルタは、悲しそうな表情で眼を潤わせていた。


 人は悲しいことがあった時、涙する。その姿を見て、ミノーラは羨んだ。


 深い思考に浸ってしまった頭を落ち着けるため、ミノーラは全身をブルブルと震わせ、筋肉や筋をほぐす。


 その音がうるさかったのか、ハイドがゆっくりと目を開けると、周囲を見渡し始める。


「朝か……。こげん寝たんは、ばりひさしぶりや。」


 しゃがれた声を出すハイドに向けて尻尾を振ったミノーラは、明るい声で語り掛ける。


「おはようございます。ハイドさん。今朝は穏やかな海が見れますよ。そろそろタシェルも起こした方が良いでしょうか?」


「ん?あぁ、もう少し寝かせてやり。俺は魚を取ってくるけん……ミノーラは魚食えるんか?」


「……できれば肉が良いです。でも、今はそんなにお腹減ってないので、大丈夫ですよ。」


「そうか?まぁ、ムリはせんとばい?」


 そう告げると、ハイドは船に乗り込み、海へと漕ぎ出していった。


 そんな姿を見送った後、彼女は再び一人になった寂しさを紛らわすため、タシェルの傍に腰を下ろす。


 穏やかに眠っている彼女の様子をじっと見ていると、なんだか悪戯をしたくなったため、そっと顔に近づき、思い切り頬をひと舐めしてみる。


 舐められたタシェルは眉をひそめて唸ったものの、起きる気配は無い。


 仕方なく、ミノーラはもう一度頬を舐めることにする。


 先ほどとは比べ物にならないほど激しく顔面を舐めてみると、流石に激しすぎたのか、タシェルは苦笑しながらも両手で顔を隠し、上半身を起こした。


「おはよう、タシェル。もう朝ですよ。」


「……ミノーラぁ……もぅ……」


 少し笑いながらも顔を手で拭いている彼女は、少し周りを見渡した後、ハイドが居ないことに気が付いたようだ。


「ハイドさんは魚を獲りに行きましたよ。戻って来るまでに、焚火に火を付けて待っておきましょう!」


「うん、そうしよう。その前に、ちょっと顔洗って来るね。って、松明も流石に消えてるかぁ。仕方ない、先に焚火を付けよう。」


 少し面倒くさそうにしているタシェルは、昨晩焚火の傍に置いて熱エネルギーを溜めていたクラミウム鉱石を手に取ると、残っていた枝をかき集めて昨日の要領で火をつけた。


 そうして、近くに置いていた松明に火を移すと、そのまま洞穴の各所に挿さっている松明に灯を付けながら、奥へと歩いて行った。


 ミノーラはそんな彼女の後を追うことなく、静かに焚火の傍に待つことにする。


 焚火の傍で地面に寝そべると、とても心地いい。ほんのりとした火の温もりが、彼女の体を通って、ひんやりとした地面に抜けて行く。


「穏やかだなぁ。」


 このままこの穏やかさが続けばいいのにと願えば願う程に、彼女は思い至る。


 今はこんなことをしている場合ではない。と。


 まるで巨大な雷が落ちたような振動が洞穴中に響いたかと思うと、ミノーラの耳がタシェルの悲鳴を聞き分けた。


 すぐさま体を起こし、全力で洞穴の奥へと駆ける。


「タシェル!大丈夫ですか!」


 ミノーラの声が、洞穴に響き渡る。自分のそんな声を聞きながら、ミノーラは無性に嫌な予感を抱いているのだった。

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