第114話 諦念(追憶)
「ここで一旦降ろしてくれ。」
サムの指示に従い、キュームが高度を下げて行く。瓦礫からかなり離れた岩山の上に降り立ったサムは、手近に転がっている大岩で体を支えながら、来た道を振り返った。
今のところ、先ほどの猛獣の姿は見えない。しかし、キュームの言い分の通りであれば、それほど遠くない未来に、あいつは姿を現すだろう。
彼はそんなことを考えると、胸ポケットで一休みしているキュームに目をやりながら、先ほど拾ったクラミウム鉱石をズボンのポケットから取り出した。
「これでなんとかなるか?いや、俺じゃ使いこなせないな。さて、となると、残った網とナイフしかないわけだが、キューム、どうすればいいと思う?」
そう呟いた彼の言葉に彼女は答えなかった。よほど疲れているのだろう。今はそっとしておこう。
未だに若干の浮遊感を覚えているサムは、キュームに感謝しながら岩にもたれかかり、空を見上げた。
こんなことをしている場合ではない。頭の中でそんな言葉が駆け巡っているが、どうにも体が言う事を聞かない。
気怠さと痛みと焦燥で全身がバラバラになってしまいそうだ。
「くそ、何も思いつかねぇ。キューム。まだ具合悪い感じか?」
改めて胸ポケットの中を見たサムは、明らかに様子のおかしいキュームの姿を目にし、声を張り上げてしまう。
「キューム!?どうした!?おい、大丈夫か!?」
焦点の合わない目で上空を見上げ、非常に浅い呼吸をひたすらに繰り返している。今までに見たことの無いその様子に動揺したサムは、彼女をそっと掌に載せ、岩の上に寝かせた。
相変わらず苦しそうな彼女の様子を、ただ見ることしかできないサムは、あいつが、すぐ傍まで接近していることに気が付くことが出来なかった。
二人のいる岩から数メートルしか離れていない場所に、猛獣が音も無く現れる。まるでサムが気が付くのを待っていたかのように微動だにしていなかった猛獣は、彼と目が合った瞬間、一歩を踏み出した。
「来るな!」
思わず叫び、キュームと猛獣の間に割って入る。そんなサムの様子を見降ろした猛獣は、ゆっくりと右腕を振りかざした。
死ぬ。本能的にそう感じたサムは、とっさに目を閉じたことを後悔しながらも、強い衝撃に備える。
が、その衝撃が訪れる前に、違和感が彼を襲った。
瞑った目の前が一瞬白く見えたかと思うと、腹に響く轟音が周囲を覆いつくす。
思わず肩をびくっとさせて驚いたサムは、自身の頬に落ちた水滴を感知し、そーっと目を開ける。
目の前にはやはり、猛獣が居る。しかし、猛獣の視線は明らかに彼の後ろへと注がれていた。
引かれるように後ろを振り返ったサムは、先ほどとは打って変わった光景に目を奪われる。
寝ていた筈のキュームが、意識を失ったまま浮き上がり、徐々に空へと上がっていく。そんな彼女に向かって吹くように、強烈な風が集まりつつあった。
晴れていた筈の空には分厚い雲がかかり、海の上に雷を落としている。全てが幻なのかと自身の目を疑ったサムだったが、その疑念は降り始めた雨によって振り払われた。
「なにが……どうなって……」
背後にいる猛獣や荒れ始めている空という脅威に目もくれず、浮き上がってゆくキュームを凝視したサム。
既に手の届かない程高くまで上がってしまったキュームに対して、声を張り上げる。
「キューム!どうしたんだ!戻ってこい!大丈夫か!?」
そんな彼の声に呼応するように、背後で猛獣が咆哮した。
流石にその咆哮を無視などできるわけも無く、サムは猛獣と対峙しながら後ずさる。自然と猛獣と目が合ったかと思うと、猛獣は思い出したようにサムへと歩み寄ってくる。
「ちょ、来るな!こっち来るな!くそ!」
痛む右足を引きずりながら、必死に崖の方へと逃げる。恐る恐る崖の下を覗き込んでみるが、荒れ狂う海面が見えるだけで、到底逃げれるわけが無かった。
半ば観念した彼は、ゆっくりと猛獣へと向き直り、両手を広げ、軽口を叩いてみる。
「なぁ、ちょっとだけでいいからさ、時間をくれ。考える時間と、書く時間だ。せめて、ここで見たこと聞いたことを記録したいんだ。良いだろ?俺とお前の仲じゃないか。」
そんな彼の言葉に猛獣が答えるわけも無く、一つ、凶暴な咆哮をお見舞いされた。飛び散る唾液とまとわりつく悪臭に、思わず顔をしかめたサムは、ため息を一つ吐いた。
ここまでか、と諦めを抱き、再び目を閉じようとした時、彼は猛獣の背後の様子がおかしい事に気が付いた。
それは上空から現れた。
今まで見ることなどできないと思っていた猛烈な風が、渦を巻きながら少しずつ地上へと降りてくる。
恐らく、風が雲を纏っているのだろう。
ゆっくりと伸びてきたその竜巻は、猛獣のすぐ後ろへと根を下ろし、猛威を振るい始めた。
当然、その猛威はサムにも振るわれる訳であって、決して彼の味方をするわけでは無い。
強烈に強まった横風を全身に受け、ただでさえバランスの悪い彼の両足は、瞬く間に崩れてしまう。
身体が風で浮き上がるのを感じた時には、彼は体の自由を失っていた。
あらゆる方向に体を引っ張られ、全身の骨が軋んでいるのが分かる。時折見える黒くて広いものが海なのか、それとも黒雲なのか判断することもできない。
そんな彼が最後に覚えていたのは、荒れる波に打ち付けられたときの衝撃と、何もできない虚無感と、諦念だけだった。
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