第112話 選択(追憶)
獣の発したその声は、森全体に響くほどの大きさと迫力を持ち合わせていた。とっさに茂みの中にもぐりこんで、息を殺したサムは、そのまま時が過ぎてゆくのを待っている。
「キューム!様子を見てこれるか?」
「……分かった。ここから動かないで。」
そんなやり取りを交わしてどれほどの時間が経っただろうか。サムは一向に戻ってこないキュームに違和感を覚えた。
「何してんだ?」
恐る恐る茂みから這い出したサムは、体勢を低くした状態で森の中を見渡す。見える範囲には生き物の気配は無い。
念のために胸ポケットの中を確認したサムは、やはり彼女が戻っていないことを再認識した。
背後の砂浜に目をやり、しばし考える。彼の脳裏には二つの選択肢が浮かんでいる。
一つは、砂浜に戻り、崖に戻り、洞穴に戻ること。現実的に考えて、そうすることが最も最善の手かもしれない。
しかし、彼はその選択をすることで、自身の中の何かが、後戻りできなくなってしまうような気がした。キュームはきっと許してくれるだろうし、誰かに咎められることは無いのだが。
もう一つは、このまま森の奥へと進むこと。最も非現実的で、危険な賭けだ。先程の獣の声には、流石のサムも恐怖を感じている。
出くわせば、到底勝ち目は無いだろう。
場合に寄っては、もう二度とここに戻って来ることが出来ないかもしれない。
「はぁ。俺ってやつは。とんだ馬鹿野郎だよなぁ。……親父、アンタの言う通りだぜ。」
二つの選択肢で悩んでいるうちに少しずつ冷静になった頭で考え直す。その結果として出てきた答えを一蹴するように、彼の口から言葉が零れた。
この場に残る事。キュームも言っていたように、この場から動かず、ただ彼女の帰還を待っていればいい。
至極当然の選択肢であり、多くの人間はこの選択肢を選ぶのではないだろうか。何も危険を冒して森の奥に足を踏み入れる必要は無いし、恐怖に負けて洞穴に戻る必要も無い。
ただ、この場に留まれば、じっと彼女の帰りを待てばいい。
「俺にそんなことが出来るわけないだろ?だからこそ、俺はここにいるんだからな。落ち着きが無い、無鉄砲、脳筋。くそ、思い出したら腹が立ってきた。まぁ、間違っちゃいないんだけどな。」
勢いよく立ち上がったサムは、躊躇いなく森の奥へ向けて歩を進め始める。周囲の様子や物音に意識を集中することは忘れずに、着実に歩く。
一向に何かが現れる気配は無く、彼の抱いていた恐怖が薄れ始めた頃、彼は足元に不思議な石材が落ちていることに気が付いた。
「何だ?これ。」
複雑な文様が彫り込まれた石材がいたるところに散らばっている。何かの遺跡の跡だろうか。
「ここに人が住んでる……いや、住んでたってことか?」
見るからに風化してしまっている石材を手にしたサムは、同じようなものが辺りの地面から顔を出していることに気が付き、自然とそれを辿るように、森の中を進む。
「石畳みたいだな。道があったってことは、やっぱり人が住んでたってことだな。これはすごい発見かもしれねぇな!」
先ほどまでの不安はどこへ行ったのか、彼の思考は瞬く間に遺跡へと傾いた。心に急かされるように、速足で道を進んだ彼は、少し先が開けているのに気が付き、自然と小走りになる。
開けた場所へ出ると、森の木々で遮られていた日光が一気に充満し、その景色を浮き上がらせた。
「な、んだ。ここは。」
古い遺跡群や集落の跡を期待していた彼は、その光景に言葉を失う。
島の中心にあたる場所だろうか、底には街一つが入ってしまう程の大穴が開いており、穴には遺跡の跡と思われる瓦礫が無数に転がっていた。
それらの殆どは既に植物に覆われていて、もはや元の形状を保っている物は一つも無い。
自然に出来上がったとは思えないその光景を見て、彼は一つの答えを連想する。
「……爆発?したような、感じか?なんだ?ここで何が起きたんだ?」
穴に転がっている石材を調べるために、彼は少しずつ穴の中心に向かって降り始める。
蟻地獄の巣のような地形になっているため、落下する危険性はそれほど無いが、転倒してしまえば危険だろう。
細心の注意を払って進んだ彼は、上から見た時に注意を引いた大きな瓦礫に到着する。
その瓦礫はサムの身長を遥かに超える大きさで、何かの建物の一部だったに違いない。風化の進んでいる表面を手でなぞりながら、刻まれた文様や周囲を調べていると、彼はあるものを見つけた。
「これは、クラミウム鉱石の欠片?なんでこんなところに?……いや、そうか。これはそういう……っ!」
手にしたクラミウム鉱石を見ながら考え込んだサムは、一つの事実に気が付き、改めて確認しようと周囲に目を向ける。
と同時に、自身の置かれた状況を理解した。
数匹の狼が彼の死角からこちらへと近づいて来ている。タイミングよく周囲を見渡したおかげで気づくことが出来たが、逃げ場を失いつつあることに変わりはない。
「ミスったな。」
走って逃げるのは得策では無いだろう。足の速さで人が狼に勝てる道理が無い。となれば、上か。
ジリジリと近付いてくる狼たちを視線で牽制しつつ、サムは瓦礫のどこかに登れそうな場所が無いかを探した。
瓦礫に掘られている文を辿ると、一か所掴まることが出来そうな窪みを見つける。
その瞬間、彼は駆け出す。
一拍遅れて狼たちも駆けだした。
正面から迫る狼に構うことなく、瓦礫の窪みに手を掛けると、全力を使って体を上に持ち上げる。
窪みを握っている右手が滑りそうになりつつ、左手で別の窪みに掴まり、さらに体を持ち上げた。
次の瞬間、右足のくるぶし辺りに猛烈な痛みを感じる。
「ぐあっ!」
必死に両手と左足で瓦礫から落ちないように踏ん張りながら、自身の右足を確認すると、一匹の狼が足首辺りに喰らいついていた。
狼が全身を揺らしてサムを落とそうとするたびに、痛みが倍増する。
「離せ!くそ!この!」
痛みに耐えながらも自身の右足を揺らして狼を落とそうと試みるが、余計に顎が閉まって行くのを感じる。
「くそ!くそ!くそっ!」
やけくそになった彼は、痛みをこらえるために大声を上げながら全身を左右に揺らす。両腕の筋肉と左足を酷使しながら、徐々に大きくなる揺れをさらに大きくして行く。
これ以上左右に揺らせないと感じたところで、彼は左足で瓦礫を蹴った。当然、体は瓦礫から離れようとする。
しかし、落ちるわけにはいかない。
下には十匹ほどの狼が待ち構えているのだ。
両腕の窪みを全力で握り込んだサムは、この窪みが結構深く、かつ引っ掛かるような構造になっていることに感謝しながらも、迫りくる痛みに身構えた。
離れようとしていた前進と狼は、サムの腕によって瓦礫につなぎ留められ、自然と瓦礫に向かって振り子のように衝突する。
身構えていたサムとは違い、突然全身を強打した狼は、短い悲鳴を上げて、地面に落下する。
一気に右足の痛みが弱まったことを感じつつも、すぐさま瓦礫を上り始めたサムは、やっとの思いで瓦礫の上に辿り着いた。
痛む右足を少し浮かせた状態にしつつ、寝転がる。
呼吸も鼓動も荒々しく、全身に熱を感じる。
「くそ!痛いだろうが!があぁぁぁぁ!いてぇぇぇぇ!」
サムは安堵する間もなく痛みに悶えることしかできない。何とか痛みが治まらないかと祈る事しかできなかった。
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