第67話 火傷

 先に動いたのはクロムだ。


 両腕を大きく振りかぶり、カリオスとマーカスへ向けて風を起こす。低く唸る風がそこらに転がっている小石を巻き上げながら迫ってきた。


 咄嗟に籠手をスライドさせながら籠手を構えたカリオスは、迫りくる風に向けて放つ。


 あまりエネルギーを溜め切れていなかったため、完全に打ち消すことはできなかったが、常識的な風の威力にまで落とすことはできた。しかし、飛んでくる小石は危険だ。


 頭部を庇い、クロムの出方を伺う。


 しかし、その判断は間違っていたようだ。


「死んでくれ。」


 そんな言葉を呟きながら、クロムがすぐ傍まで迫っている。カリオスは当然ながら、それを避けることなどできない。戦い慣れているわけでは無いのだ。見えたところで体が反応してくれない。


 今にもクロムの持つ短剣が、カリオスの腹に突き刺さろうとした時、彼は体の重心が左に持っていかれるのを感じた。


 鋭い痛みを腹部に感じながら、体勢を崩し、転がる。しかし、痛がっている暇などない、地面に這いつくばったまま元居た場所を振り返ると、マーカスがクロムの顔面に回し蹴りを食らわせたところだった。


 左側頭部に強烈な蹴りを食らったクロムが、そのまま倒れ込みそうになっている瞬間も、回し蹴りを食らわせたマーカスは追撃を緩めない。


 回し蹴りに使った右足が地面に着いたかと思うと、すぐさま左足で後ろ蹴りに繋げる。腹部に蹴りを食らったクロムは、そのまま後ろへと吹っ飛んだ。


 明らかに吹っ飛びすぎなくらい飛んだので、恐らくは精霊に助けてもらったのだろう。ふわりと着地をしたクロムは、左側頭部を抑えながらマーカスを睨んでいる。


「カリオス。彼への攻撃は私に任せてもらえないだろうか。その代わり!君は彼が飛ぶことを妨げてくれ。そうすれば勝てるさ。負ける要素は無い!安心してくれ!」


『さすがに落ち着いてるな……。俺はこんなザマなのに。』


 自身の震えている左手に目をやり、続けて腹部を見る。


 着ていたシャツの腹部が裂けており、その周辺が赤く染まっている。ヒリヒリとした痛みは感じるが、深い傷では無かった。


 マーカスに助けられなければ、今頃腹を裂かれて死んでいた。そんな事実が、彼の心を蝕みかけている。


『簡単に言うけどなぁ。』


 震える左手を隠すように立ち上がると、籠手のスライドを始める。その様子を見たマーカスは笑い、クロムは舌打ちをした。


「はぁ、なんで邪魔するんですか?あぁもう、何もかも全部台無しだ。俺には時間が無いんだよ。なんか知らない間にハームは捕まってるし。まぁ、金は貰ったからそいつは良いか。」


「のんきに話してる場合か?」


 ブツブツと言葉を並び立てていたクロムに対し、マーカスが間合いを詰めていく。風による反撃に警戒しながらも、着実に接近したマーカスが今にも飛び掛かろうとした時、カリオスの視界の外から何かが飛んできた。


 完全に死角からの攻撃だったのだが、マーカスは大きく飛び退いて回避する。飛んできた何かが鈍い音と低い声を上げ、マーカスの立っていた周辺に落下した。


「ぐはっ!」


『オルタ!?』


 全身から出血し、顔面に青あざを作っているオルタが、横たわっている。幸い、まだ息はあるようだが、あまりにも傷が多すぎる。


 そんなオルタを投げたであろうウルハ族の男に目をやると、先ほどまでオルタと戦っていた筈の三人のマーカスは消えており、こちらへと歩み寄ってきている。


「おいおい、クロム。なんだぁそのザマは?」


 最悪だ。クロム一人をようやく倒せそうになってきたところだったのに、ここに来てウルハ族の男が来るとは、考えもしなかった。


「遅いんだよ。何のために君を雇ったと思っているんだ?さっきまで、手を抜いてただろ?」


「仕方ねぇだろ?オメェの探し物があるかもしれねぇんだからよぉ。その男だろ?例の瓶を失くしたってやつは。案外持ってんじゃねぇか?」


「余計なことは言うな。」


 カリオスの背筋が凍る。今こいつらに小瓶を奪われるとまずい。何をするつもりか分からないが、良い事ではないだろう。


 寝そべるオルタに歩み寄ろうとしたクロムは、間に入ったマーカスに制止される。


「何をするつもりだ?」


「何をって。その男に渡したものを返してもらうだけだ。邪魔をするな。どこを探しても無いんだ。そいつが持っている可能性がある。」


 緊迫する空気の中、カリオスは今できることを考える。使えるものはすべて使うべきだ。ゆっくりと左手を腰のポーチへと伸ばし、熱を蓄えたクラミウム鉱石を取り出す。


 それを右手の籠手に装填し……


「何してんだぁ!?」


 突然の怒鳴り声で手が滑りそうになったが、何とか装填は終える。しかし、籠手をスライドさせる前に、カリオスはウルハ族の男に顔面を鷲掴みにされた。


 こめかみにめり込んでくる男の指が、彼の頭を締め付ける。あまりの激痛に全力で声を上げたいが、それは叶わない。立っていることもできずに、膝立ちになり、何とか逃げだそうともがくが、決して離されることは無かった。


「カリオス!」


「おっとぉ、動くなよ?こいつの頭がつぶれるぜ?」


 そんな会話を聞く余裕もなく、頭から全身に走る激痛の中で、籠手をゆっくりとスライドさせる。


 勢いよく五回ほどスライドしたカリオスは、頭を掴む手に右の拳を押し当て、左手で男の腕をホールドする。


「なんだぁ?そんなことしても無駄だぜ?」


 より一層強く頭を締め付けられ、気がおかしくなりそうだが、何とか堪える。そうして、力一杯に右の拳を握り込んだ。


 一瞬、何事も無かったかのように時が進んだように思えたが、すぐさま異変が起きる。


「ぐあああぁぁぁ!!」


 カリオスの頭を掴んでいた男が、突然叫び声をあげ、カリオスの頭から手を離した。解放されたカリオスは、若干ふらつきながらもポーチからもう一つのクラミウム鉱石を取り出し、同じように籠手に装填する。


 そこで、カリオスは男の右腕の惨状を目の当たりにする。


 まるで重度の火傷を負ったかのように、手首の辺りがただれ、水ぶくれが広がっている。見ているだけで気分が悪くなる。


 処置を間違えると、この男は右手を失うことになるかもしれない。それほど重度の火傷だった。


 それを見た上で、カリオスは籠手を四回だけスライドさせ、クロムへと目を向ける。先程までの余裕はどこへ行ったのか、彼は少し冷や汗を掻いているように見えた。

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