第68話 目的

「これはもう、潮時ですね。」


 火傷で動かなくなった腕を抱え込み、悶え苦しんでいるウルハ族の男を一瞥したクロムは、一言だけ呟いた。淡々と語るその口調に、仲間を労わる感情など含まれてはいない。


「逃がすと思っているのか?」


 駆け出そうとするマーカスの動きを制止するかのように、クロムが右手を前に出し、手に持っている物を見せつけた。


 彼が持っているのは、三つの小瓶。


「これが何だか分かりますか?」


 クロムのその問い掛けに、マーカスは何も答えずに身構えている。カリオスもその小瓶が何なのかは分からない。それと同時に、なぜそれがクロムの手の中にあるのかも分からなかった。


 オルタが持っていた筈なのに、いつの間に奪い取ったのか。そんな彼の疑問に、クロムは親切にも答えてくれる。


「私の精霊は器用なうえに手癖が悪くてね。まぁ、それが良いところでもあるんだけど。」


「そんなことはどうでも良い。貴様は何が目的なんだ?人を攫って何がしたい。その瓶に入っているものはなんだ?」


 マーカスの問いかけを聞いたクロムは、一瞬呆けた顔を見せ、瞬く間にニヤけて見せた。あまり表情の移り変わりが無い男のニヤケ顔は、どことなく不気味に感じる。


「ははは。目的は決めてるし、決まってる。だけど、誰もが目標を掲げるわけでは無いんだ。内に秘めて、じっくりゆっくりと煮詰めて、そうしてようやくグツグツと煮立ってきたそれを、覗き込もうとする奴らにぶちまけてやるのさ。」


 とても楽しそうに語るクロムの様子に、カリオスはなんとなく既視感を抱いた。それが何を根拠にした既視感なのか、分からないけれど、いい気分ではない。


「何を言っている?」


 同じようなものを抱いたのか、マーカスが眉をしかめて呟いた。


「分からないかな?分からないよね。私もさ。分からなかったよ。分からないことっていうのは、とてつもない不快感と嫌悪感になって現れる。全部分かるよ。君らの感じているものも、あの時あいつが感じていたものも。今の私は全部分かるんだ。でもまぁ、今は止めておこう。ここで実行しようと思っていたけれど、まだ煮立っていないみたいだし、まだまだ煮詰めていたいしね。それじゃあ、私はこれで失礼するよ。」


 ゆっくりと浮上し始めたクロムを目にし、とっさに籠手をスライドさせたカリオスは、鉱石を装填していたことに気が付いた。このままではクロムを叩き落とせない。


 マーカスもその状況にいち早く気付いたのか、すぐさま駆け出している。軽快な足取りで坑道入口の小屋へ向かって駆けたかと思うと、壁を蹴り、屋根の上へと昇ってしまう。


 そうして、クロムに向けて飛び掛かりながら剣を振るった。上昇していくクロムの腰を両断しそうな勢いで振り抜かれた彼の剣は、空を切った。


 短い風切音だけが響いたかと思うと、成す術なく落下を始めるマーカス。剣を振り抜いた不安定な体勢を戻しつつ、着地を決めた彼は、すぐさま空を見上げクロムの行方を探っている。


「逃げ足が速いな。見つからない。」


 カリオスもクロムの姿を空に探しつつ、横たわっているオルタの元へと駆け寄る。かなり無理をしてしまったのだろう。治療したはずの傷口が、悉く開いている。まだ息はあるみたいだが、このままでは危険だ。


「カリオス、オルタを仮設診療所まで運べるか?私は、そいつから目を離せないのでな。あぁ、それと、ハーム副会長はここに置いて行ってもらって構わない。どうせ話を聞くことになる。」


『……流石にムリだ。』


 意識を失っているオルタを、一人で運ぶなど到底無理な話だ。この場にシルフィが居れば何とかなるかもだが、今は診療所でドクターファーナスの手伝いをしている。


 首を横に振るカリオスを見たマーカスは、顎に手を当て考え込み始めた。そういえば、マーカスの部下が見当たらないが、どこにいるのだろう。部下たちが居れば、何とか運ぶことが出来たかもしれない。


 カリオスがそんな考えに辿り着いた時、二人に声を掛ける男が現れた。


「私が手を貸そう。」


 カリオスより年上と思われるその男性は、やけに畏まった服装で現れた。まっすぐ伸びた背筋と広い肩幅、そして高い腰の位置。着ている服装に見合ったシルエットがやたらと格好よく見せる。


 そんな男性の隣に付き従うように、一人の女性と風の精霊と思われるモヤモヤが控えている。


「ハリス会長!戻られていたのですね。」


 マーカスの言葉で、カリオスはこの男性の正体が分かった。精霊協会の会長。ドクターファーナスとも知り合いのようだが、やはり立場的に有名人なのだろう。


「あぁ、つい先ほど戻ったばかりだ。事情はあらかたドクターファーナスと協会員から聞いている。君のこともな。」


 唐突にカリオスへと語り掛けてきたハリスに対し、冷や汗を浮かべる。確かに、協会員から報告を受けたとすれば、協会に乗り込んで副会長を連れ去った男の内の一人と認識されていてもおかしくないだろう。ほぼ間違い無いのだから、言い逃れはできない。


 何を言われるのかと若干身構えていたカリオスだが、じっと見つめてくるハリスの圧に負け、思わず視線を外してしまう。


「人と話すときは視線を外すんじゃない。」


『それは……理不尽だ。』


 一言も交わしていないのだが、カリオスが一瞬にしてこの男に苦手意識を持ったのは言うまでも無い。

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