第51話 悪夢

 夢を見ていた。


 幼い頃の夢だ。


 大好きな両親や、仲のいい友達。沢山の人に囲まれて、談笑している。彼女の誕生日会だったろうか。とても懐かしい。


 食卓に並んでいる温かい食べ物や、サプライズで渡されたプレゼント、お祝いの言葉に囲まれた日。


 懐かしくて、温かい。それらを全部、ギュッと抱きしめて離したくない。そんな願望を抱きながら、彼女は自身の心が冷め切ってゆくのを感じる。


 温かい記憶を抱きしめて、心を温めようとするが、彼女の心に温もりが移ることは無かった。


 時が経ち、知恵がつき、言葉巧みになった彼女は、自身の目が少しずつ冷め切ってゆくのを感じる。


 なぜだろう?


 答の分かり切った疑問を何度も投げかけて、泥沼のようになった自身の心から抜け出そうと、もがいてみるものの、上手く行ったためしはない。


 彼女は何も与えることが出来なかった。


 温かい食事や心のこもったプレゼント、そして、お祝いの言葉。そのどれもが、与えられたものなのだ。


 それに対して何か返すことはできただろうか?


 温かなものを、返すことはできたのだろうか?


「タシェル?タシェル?起きてる?起きて?目を覚まして!」


 不意に聞こえて来たシルフィの声に、タシェルの意識は揺り起こされた。頬の冷たい感触と、後ろ手に縛られた手首の痛み、そして、無理矢理に噛まされた猿轡。それらの違和感と全身に気怠さを抱きながら、薄っすらと目を開ける。


「タシェル!起きた!起きた!」


 目の前で慌てた様子のシルフィが、いつもより小声で呼び掛けてくる。シルフィの後ろには鉄格子があり、どうやら閉じ込められているようだ。


 自身の状態を理解した彼女は、すぐさま状況を把握した。


 恐らく、ハームに捕まった後、どこかに監禁されているのだろう。声を出すこともできないうえに、手足を縛られており、逃げ出すことは無理そうだ。


 そんな彼女のいる牢屋の奥で、少しだけ話し声が聞こえる。誰かがいるのだろう。しかし、様子を見に行くことはできない。


「助け!助け!呼ぶ?」


 キョロキョロと辺りを見渡していたタシェルの行動から察したのか、シルフィが小声で提案をしてきたので、彼女はすぐに頷いて肯定した。


 タシェルの意を理解したのだろう、一度円を描くように舞ったシルフィは、鉄格子の隙間を通って颯爽と飛び去って行った。


 その様子を祈るように眺めていた彼女の耳に物音が飛び込んでくる。


 何者かの会話が途切れた直後、ドサッという物音が牢屋に響いた。


 あまりに突然だったので、彼女はとっさに目をつぶり、意識を失ったフリをする。正直に言えば、それ以外にできることは無い。


 それが功を奏したのか、彼女の入っている牢屋の前を数人の人間が通り過ぎて行った。


「お疲れさんです。この大男は、殺すんですかい?」


「いや、彼には一役買ってもらう必要がありますので。身体と心を痛めつけてください。後から私が洗脳しておきますので。」


「分かりやした。ところで、女の方はどうします?」


「殺さなければ好きにしていいですよ。私は今から薬の準備に行きますので。戻った時には片づけておいてください。」


 そんな短い会話が交わされると、こちらへと歩いて来る足音が聞こえた。目を閉じ、なるべく呼吸を浅くした状態で耳だけをフル稼働させる。


 歩いて来たその足音は、そのまま彼女のいる牢屋の前を通り過ぎ、どこかへと向かって行ったようだ。


 牢屋の奥からは男たちが何やら物音を立てており、鎖の音や扉を開平する音が聞こえる。これは推測でしかないが、誰かが捕まってしまったのかもしれない。


 そんな推測をしていると、一つの足音がこちらへと近付いて来た。


「……眠ってるな?あー、待ち遠しいぜ。早く声が聞きてぇなぁ。」


 そんな声が、彼女の牢屋の前から聞こえる。どうやら様子を見に来たその男は、癖なのだろうか、少しだけ呼吸が荒いように感じた。


 早くどこかに行って!心の中で叫ぶタシェルだが、声に出すわけにはいかない。今意識があることがばれると、厄介な気がする。


「よぉおし!そろそろ始めるぞ!」


 準備が整ったのか、男たちの声が聞こえる。いったん沈黙が挟まれた後、鈍い音が響いた。


 すぐ隣の牢では無いため、詳細に何が行われているかは分からない。しかし、想像することは容易かった。


 男たちの賑やかな声と、時折鳴る金属音。鈍い音が立て続けに鳴ったかと思えば、鎖のジャラジャラとした音がそれにつづく。


 誰かが暴行を受けているのだ。しかも、抵抗は出来ていないみたいだ。男たちの声音から察するに、完全に一方的な暴力。


 会話の内容は断片的にしか聞こえてこない。何やらひたすらに罵倒をしている内容で、それが先程の男が言っていた心を痛めつけると言う事なのだと彼女は理解した。


 そうして、自身にも同じような危機が迫っているのだと悟る。


 悟らざるを得ない。複数人の男に襲われて、拘束されている今の彼女が助かる術など、一つも無いのだから。


 唐突に、その未来が近付いて来た。


 止むことの無いと思われた暴行の音と罵詈雑言が止み、牢屋の扉を開閉する音が聞こえる。当然のようにこちらへと歩いて来る足音。


 ここまでくると彼女も気を失ったフリをする意味は無い。両手両足を拘束された状態で這うようにして移動する。


 男たちが来る方向から最も離れるように、牢の奥の隅に向かい、鉄格子の外を睨みつけた。


「お?起きたみたいだな。」


 鉄格子越しにこちらの様子を覗き込んだ男の内の一人が言葉を発する。その他の男達もニヤニヤと笑みを浮かべながら、彼女のことを凝視してきた。


 先頭の男が牢の扉を開け、中へと入ってくる。そして、饒舌に語り始めた。


「そんなに怖がる必要はないぞ?俺たちは遊びたいだけなんだ。さっきまで遊んでいたオモチャが汚れちまってなぁ、別のオモチャで遊びたいだけなんだ。」


 その言葉を聞いた他の男たちはゲラゲラと笑い、タシェルを取り囲むように近付いてくる。


 語っていた男が一人、彼女へと近付いて来て、頭に手を伸ばしてきた。


 とっさに足で抵抗を図るも、すぐに別の男たちに抑えつけられ、何もできない。そんな彼女の頭に手を回し、男は猿轡を取り外した。


「俺は、声が聴きたいんだ。」


 息の荒い男は猿轡を手にそう呟き、それに対して、彼女は震える喉で言葉を発する。


「……いやぁ……助けて……」

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