第3章 狼と精霊術師

第41話 予兆

 オルタと言う青年は、頭が悪い。それは、周りからの評価であって、本人には自覚が無かった。


 そんな彼は、ボルン・テールと言う街の鉱山作業員として生計を立てている。


 ちなみに、オルタは人間ではない。ウルハ族と呼ばれる亜人であり、並々ならぬ巨体と身体能力、そして自身の体毛を硬化させる唾液の分泌が出来る種族だ。


 それらの能力を使って、鉱山での採掘を行なっている。


 今日も今日とて仕事を終え、いつもの帰路を歩いていると、やはりいつも通り、麗しい声が聞こえてきた。


 泥だらけで帰宅をしている道すがら、精霊協会の寮の前を通るのだが、そこでいつも、彼にとって憧れである女性が、ベランダで楽し気に誰かと話をしているのだ。


「……可愛いなぁ」


 ベランダを見上げながら野太い声でそんなことを一言呟くが、聞かれていてはまずいと思い、そそくさと足を速める。


 彼女は精霊術師なのだろう。それに比べて、自分はただの鉱山作業員だ。住む世界が違う。だからこそ、憧れであり、言葉に諦めが滲んでいるのだ。


 この想いは、決して届くことは無い。


 それでいい。


 皆がそう言うのだから。


 届くわけがない。届いても、相手にされる訳ないだろう。夢の中だけにしておけ。オルタので考えても自明の理だった。


 それよりも、今は目の前のことに集中しよう。街の中心にある広場が視界に入り、その中でも一番と言われている酒場へと足を向ける。


 今日はそこで友人と待ち合わせているのだ。


「話があるって言ってたよなぁ。それにしても、腹減ったぁ。何食うかなー」


 食事に気分踊りながら酒場へと踏み入れる。


「おう! オルタ! 今日も大変だったなぁ! こっち来て座れよぉ」


 いつもの仲間に声を掛けられ、返事をしながらおもむろに腰を下ろす。


「どうした? 浮かねぇ顔して、さては、例の女か? ダハハハハハハッ! まーだ諦めて無かったのかよ。俺はあんな細っせえ女よりも、肉付きのある女の方が良いと思うぞ? なにせ、おめぇが抱きしめた途端、ぽっきりと折れちまいそうだからなぁ」


「そりゃ言えてるぜぇ! ガハハハハハハハハハッ!」


 なんだとぉ!? と言い返しながら、酒を仰ぎ、置いてあった野菜の炒め物と油ギトギトの唐揚げを口へとかき込んだ。


「おぉ! 良い食いっぷりじゃねぇか! マスター! さっきの唐揚げもう一皿だ!」


「あいよ!」


 オルタの事をいつものように茶化してくる彼らは、同僚であり、仲間である。そして、彼にとってはかけがえのない家族だった。


 文字通り、彼らは同じウルハ族として共に暮らしてきた仲間であるのと同時に、ウルハ族の文化として、ともに働き、ともに飯を囲んだ者は家族だと言う風習があるのだ。


 簡潔に言えば、オルタは彼らのことが大好きなのだった。


 そんな楽しい時間を過ごしていた彼は、視界の端で一人の人間の男が酒場へと入って来たことに気が付く。


「みんな、わりぃ、ちょっと友達と話してくる。そのまま続けててくれ。後で戻る」


 それだけ言い残すと、彼はその場を後にする。もちろん、今の言葉に返事をするものはいなかった。と言うか、騒ぎすぎて、誰も聞いちゃいない。まぁ、それもいつも通りだ。


「久しぶりだなぁ! 元気にしてたかぁ?」


「オルタですか、待たせましたね。元気でしたか?」


 オルタが話しかけたのは、先ほど酒場に入って来た人間の男である。カウンターでマスターと話をしていたところに乱入した形だ。


「マスター、ビールをくれ! この、えっと、名前なんだったっけ?」


「クロムだ。いい加減覚えてもらえないでしょうか?」


「ダハハハ! わりぃ、わりぃ。俺は酒を飲むと、ちぃっとばかし物覚えが悪くなるみたいでなぁ。この一杯は奢るからよぉ。で、話ってのは?」


「ちょっと、手伝って貰いたいことがあってね。これを、ある人に渡してほしいんだ。日時については後日連絡するから、それまで持っていてほしい」


 そう言ったクロムはオルタに小瓶を3つ手渡した。オルタはあまり見たことが無いその小瓶を顔の前に掲げ、中身を見つめる。


「これは? 何が入ってるんだ?」


「薬だ。ただ、馬鹿みたいに高いから、絶対に使うんじゃないぞ。ある人がそれを欲しがっているから、送る予定だ。けれど、まだ準備が整っていないから、整い次第また連絡する」


「そうか、分かった! 大切に保管しておくぜ! それよりも、飲めよ! ここのビールは久しぶりだろ!? 格別だぜ! そういえば、今までどこに行っていたんだ? 久しぶりに帰って来たかと思えば、突然連絡よこして、話があるって……。そういえば、妹はどうしてる? 元気か?」


「王都にいた。仕事だな。……妹は、まぁ、元気だ。悪いな、急に連絡して。また近いうちに出なきゃいけないけど、しばらくは、いる予定だから。また会おう」


 そう言うと、クロムはビールを一気に飲み干し、お代をカウンターへと置いた。


「すまない、もう今日は帰るよ」


「そうか、久しぶりに話せてよかった! また飲もうな!」


 最後にそれだけ言葉を交わし、二人は別れる。


 オルタと言う青年は、頭が悪い。


 だからこそ、クロムの思いつめたような表情にも気が付かなかったし、会話の中の一瞬の間にも気が付かない。聞いているだけで、聴いていない。


 クロムの去った酒場には、いつもの喧騒が残る。


 残った喧騒は夜が更けるにつれ、より騒がしさを増していった。まるで、何かを隠すためのように。

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