第34話 窮鼠

「走れ!!」


 閃光が広がると同時に、ドグルが叫ぶ。その声を聞くや否や、ミノーラは一気に駆け出した。


「くっ! 眩しい!」


 両の目を抑えているレイラと女王。弱点であると同時に、二人とも閃光弾を直接見てしまったようだ。しばらくは身動きを取れないであろう。


 対するミノーラは閃光弾が背中で炸裂したことと、あらかじめ、展開が読めていたことから、左程ダメージは受けていない。


 ここからは時間との勝負だ。


「行けぇ! 足元を気にせずに走り回れ!」


 背中の上で雄たけびを上げているドグルの言う通り、ミノーラは先程まで割いていた足元への注意を全て、前方へと向ける。


 影の女王を中心に、同心円を描くように反時計回りに駆ける。足場の悪い枝の上では、到底不可能な芸当だ。


 しかし、ドグルがいることによって、可能となる。


 大樹の枝が彼女の駆ける先に道を作っているのだ。しかし、それだけではない。彼女の駆けた後をなぞるように、枝葉が伸び始め、一枚の壁を形成していく。


 それら全てを操っているのは、ドグルただ一人である。


 女王とレイラが状況を確認できるようになった時には既に、それは完成間近まで迫っていた。


「急げ急げ! 絶対に逃がすなよ!」


 あおるドグルの声に応えるように、ミノーラもスピードを上げる。思えば、これほどまでに心地よく駆けたのは、久しぶりかもしれない。


 後ろ足で全身を前へ押し出し、その勢いを殺さぬまま、前足でもう一度体を押し出す。鼻先がかき分ける風と、尾を撫でる風が、彼女の気分を高揚させた。


「なんだか楽しくなってきました!」


「ばかっ! てめぇ! ふざけてる場合じゃねぇんだぞ!」


 そうこうしていると、駆けているミノーラめがけて伸びてくる影が幾本か視界に入る。


「ここからが正念場だ! 気ぃ引き締めろよ!」


「はいっ!」


 伸びてきた影は、ミノーラの進行を妨げるように、真正面から突っ込んでくる。


 しかし、それらの影がミノーラへと到達することは無かった。まるで矢を落とすむちのように、ドグルが操る木々がことごとく防いでいくのである。


 それでも、全てを落とすことはできない。かといって、正面から迫りくる影を避けるために減速するのは、愚策だ。


「ドグルさん、掴まっててください!」


 そう言うと、彼女は今までよりも体勢を一段と低くし、全身の重心を意識しながら駆け続けた。


 小さな獲物も逃がさないように、俊敏な動きを可能にするための技術である。


 左前から伸びてくる影に触れないように、全身を左に傾け、影の下をくぐる。かと思えば、すぐさま右へ重心を移動させ、真正面から伸びてきた影の右下を掻い潜った。


 そうして、女王の周りを一周走り終えた彼女は、改めて女王に対峙する。


 四方八方、全て大樹の枝で出来た壁に囲われたこの空間と、閉じ込められた影の女王。


「決まったな。こりゃ、袋のネズミってやつだぜ?」


「誰がネズミなのでしょうねぇ?」


 ドグルの煽り文句に、女王が煽り返す。


 ぼんやりと光を放つ枝に囲まれたこの空間。影の精霊である彼女らには、いささか居心地の悪い場所なのは間違いない。


 かといって、油断が許される状況ではない。するべきは油断ではなく、予断だ。


「影の女王!私と話をしましょう! 私の望みは一つです! これ以上、パトラさんやドグルさんたちに危害を加えないでください。その代わり、私が貴方のお手伝いをします!」


「お手伝い? 何をするつもりですか?」


「貴女の娘さんの敵討ちです。」


「敵討ち? クロムを知っているのですか?」


「クロム……と言うのですか?華奢きゃしゃで、何やら良く分からない攻撃をしてくる人間の男でしょうか? 実は、私もその人間に家族と家を奪われたのです。今こうしてここに来たのも、その男……クロムを探すためでした」


「そう。その男よ。その男が、私の娘を消したの。いいえ、違いますね。奪っていったの。何をするつもりか分からないですが、奪って行ったの。あの男が! 許さない。絶対に許さない。分かりますか? 私の怒りが。だから正直、あの鳥共が落ちたのを見て、少し気が晴れたんです。ミノーラさん。ありがとうございます」


 フフッと笑っている影の女王を凝視しながら、ミノーラは混乱が頭に広がっていくのを隠せなかった。


 なぜ、ミノーラに対して礼を言うのだろうか。


 それではまるで、私のせいでコロニーが落ちたかのようではないか。


 そこまで考えると、とある可能性に考えが行き着くまで、時間はそれほど必要としなかった。


 作戦会議をしていた時、ミノーラ達は既にレイラが近くで身を潜め、話を聞いている可能性に気が付いていた。


 初めにそれを提言したのはバートンである。なんでも、影の女王とその眷属は特別な繋がりで、影を通して情報のやり取りをできるとのことだった。


 それ故に、必要最低限の人数で会議を実施し、話をする際には明るい場所を選んだのだ。


 油断していた。それだけ注意していれば、大丈夫であろうと。


 作戦会議をドグル達の能力を使って、声に出さずに行なえば良かったのだ。恐らく、誰もが思いついたのであろうが、『面倒くさくて』実施しなかった。


 先程捕まった時にドグルが閃光弾を使えたのも、影の女王を逃がさないための作戦もこっそりとドグルの能力で打ち合わせをしていたからなのだ。


 爪が甘かった。まさか誰も、、レイラが話を聞いていたとは思いもしないだろうから。


「居心地よかったよ? ミノーラ。だーれも気づいてくれないから、ちょびっと寂しかったけどね?」


 ニタニタと笑うレイラと影の女王の言葉に、ミノーラは返す言葉が無かった。

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