第26話『12月17日(5)』

 つい何時間か前に戦って銃弾であちこちに怪我を負わされたが、不思議と負ける気がしなかった。

 身体から力が熱が湧き上がってくる。

 そんな今まで感じたことのない感覚が全身に満ち溢れる。

 夕方にやった時と違い、彼女の初動が遅く感じる。

 容易に動きが想像できる。彼女が何か行動しようとする前に、こちらが動き始められる。

 弾が銃口から出る以上、銃口の向きさえ見ていれば銃弾に当たる道理はない、かといってこちらの攻撃が当てられるわけではないのだけど。

 戦いは拮抗していた。

 校庭という場所は私にとってまずかった。

 戦い方の特性上、広さが相手の武器となるのはわかっていた。

 だが、狭いところで戦おう、などと私が提案しても彼女がその提案を呑むわけがない。

 そもそも、私が校庭に出るのを待ってから声をかけたのだろう。

 見た目によらず中々の策士。

 さらに追い討ちをかけるようにこの大雨。私の機動力を、太ももに張り付く濡れた制服のスカートと田んぼのようにぬかるむ足元の悪さ、が奪っていた。

 だが、頭に浮かぶ自分が不利な理由をいくつ並べても私は危機感を覚えない。

 それどころか、今の私ならどうにかなるとさえ思えてしまっていた。

 指と銃口を見ながら慎重に動く方向を定める。

 銃口から逃れ続けるのは困難だとしても、避ける術は先の戦いで自然と身についていた。

 痛みから逃れたいためだろう、痛みがあると頭も身体も覚えるのが早い。

 弾が当る条件は――引き金が引き終わるまで、銃口の先に私の身体があること。

 引き金にかかった指さえ見ていれば、

 必要なものは相手が引き金を引いた瞬間に左右上下どこかへ動く、瞬間的な瞬発力。

 動いた方向が相手へ近づけるものならなお良し。距離を詰めなければ攻撃が出来ないのだから当然だ。

 隙を窺うため、彼女を観察をする。

 私から距離を取るために必要な足先から膝、銃口を私に向けるための腕、引き金を引くための指先、そして何を考えているかわからない無機質な瞳。

 ん? 観察を終えた途端、私の意識に何かが引っかかる。

 彼女に何かが足りない気がした。何かが欠けている気がした。

 先の戦いが初対面のようなものだ、わかるわけがない。

 だけど決定的な違和感がある、それが何を意味するかはわからない。が、妙な胸騒ぎを感じた。



                                ※



 部屋を飛び出した僕を歓迎したのは、背筋を刺す冷気を伴った雨だった。

 吐く息が目の前を白く濁らせる。

 率直に言う、僕は馬鹿だ。

 和月を追いかけようにも、どこにいるかわからない。

 あてもなく飛び出した僕は部屋から出て数秒で途方にくれてしまう。

 「おい、少年。しょぼくれた顔をしてどうしたんだい?」

 修道服とは思えない派手な修道服を着たシスター、ラファエラさんがバイクのエンジン音を引き連れて颯爽と僕の前に現れる。

「和月が……!」

 言葉が続かない。気持ちばかりが急き、無意味な乾いた息だけが吐き出される。意味を成す言葉がうまく出せないでいた。

「落ち着け、和月がいなくなった、そんなところだろ?」

 察しがいいラファエラさんが、僕が言わんとする内容を短い言葉で纏めてくれる。

 だけど、現れたタイミングといい、あまりにも察しが良すぎる。

「和月の場所がわかるんですか?」

「ん? 偶然通りかかっただけの私が道具もなしにわかるわけないだろ、神様じゃないんだから」

「じゃ――」

「慌てるなよ、慌てる乞食は貰いが少ないって言うだろ? 和月のいる場所は今はわからないが、佐々木百夜の位置は私の手の中にあるんだ、これさえあれば神じゃなくとも和月の元にたどり着く」

「そこに連れて行ってください」

「行ってどうするんだ? ボーイ、お前が行くことで何かの役に立つのか? そもそも行く意味があるのか?」

「……でも――」

「責任は誰が取るんだ? お前さんが行ったことによって事態が好転する可能性は大きくない。むしろ、悪い方に転がる可能性の方が高い。知らない誰かが死んじまったり、大事な誰かが死んじまったりするかもしれない」

 言葉を続けることを許されない。。 

 でも、も、だけど、も、その先に続く言葉は同じようなものだからだ。自分の気持ちの押し付けに他ならない。

 ラファエラさんはそのことを理解した上で、聞く耳を持つ必要がないと判断したのだろう。

 だから、言葉を遮る。一蹴する。

 子供じみた僕の考えごとを。

「……」

 ラファエラさんの言うとおりだ。吸血鬼化症を発症している人間の前では、僕はどうしようもなく無力で、どうしようもなく足手まといになると思う。足を引っ張るだけが能と言われても反論できない。

「まぁ、いいさ。お前さんがそうしたいのならそうすればいい」

 溜息混じりに無言の僕に対して言葉をかけてくる。

「ラファエラさん……?」

 予想外の返答に戸惑いを隠せない。

「勘違いするなよ。お前は私の切り札だ、心証を悪くしすぎるのは先々のことを考えれば賢くない、ただそれだけさ。それに……子供はそれくらい無鉄砲な方が可愛げがある……よし、弁論大会の続きは後だ、乗りな」

 話の終わりの合図に僕の尻を叩く。

「は、はい!」

「暴れ馬から振り落とされないように、ちゃんと捕まっとけよ。落ちて死んじまっても七日で蘇る保証はないからな」

「あのー、乗せてもらってこんなこと言うのも心苦しいんですけど……安全運転でお願いします」

「何言ってるんだ、私が運転してる限り安全さ。なんたって安全の世界基準は私を基準に作られたんだからな……それに神の御加護があるんだから無敵だ」

 そんな適当なことを言うと、僕の反論をかき消すようにしてエンジンが唸りバイクは走り出した。前面からのGが僕を後ろへ後ろへと追いやる。

 それに逆らうようにしてラファエラさんの腰にまわした腕に力を込めた。

 身体に力を入れた拍子に首筋が少し痛む。今は両手が塞がっているので触って確かめることは難しいが、何度か経験したことのある痛みだった。

「はっはー、少年、随分と積極的じゃないか。そんなに抱きしめられたらその気になっちまうよ」

 ラファエラさんの高笑いがエンジン音にかき消されず前から流れてくる。

 それは耳元で笛のように鳴る風にも負けないものだった。

 身体の前に眼球が風の冷たさを、感じ涙を出した。

 次に自分がパジャマ姿だということを思い出させた。

 いくら寒いとはいえ、気温はマイナスではない。

 だが、相当な速度が出ているバイクに乗っているせいで体感温度は氷点下のそれだった。

 おまけに液体とは思えない硬さとなった雨を満遍なく身体に受け、急激に体温が持っていかれる。

「どうした、ここそんなに震え上がってたら、到着してから震えられないぞ? 現場で震える分を残しておけ」

「ただ寒いだけですよ。ラファエラさんはそんな格好で寒くないんですか?」

 ラファエラさんは見るだけで寒くなる様な全身露出スタイルだ、思わずそんな疑問が口をついて出てしまう。

「寒い? 寒さなんて気合でなんとかするもんだ。それにこの商売は、暑いだの寒いだの痛いだの痒いだの言ってられねーんだ」

 声に震えもなく、身体に震えもない。本当に寒くないらしい。そうなると僕には気合が足りてないことになるが……記憶をさかのぼって思い出してみると、ラファエラさんの言った言葉も合点がいく。

「……」

「お前さんの通っている学校の裏サイトがあるって知ってたか?」

 僕の沈黙を寒さのためと受け取ったのか、気を使ったラファエラさんがそれを紛らわせるためだろう、僕の興味をそそる話を振ってくる。

「初耳ですよ」

 度々ニュースや新聞などで社会問題のひとつとして上げらてはいたが、自分の学校にもあるとは中々に闇が深い。

「ああ、モノとしてはインターネット上にあるものなんだが、匿名掲示板を想像してくれるとわかりやすい」

「はぁ……」

 この話の内容がどこで終着を迎えるのかが、少し想像できてしまったのでつい浮かない返事をしてしまう。

 とりあえず、匿名での情報交換を目的とされる掲示板をいくつか想像してみる。

 匿名という時点で大半は後ろ暗い使われ方をしているのだろう、そんな嫌な想像が頭をよぎった。

「大抵の場合、在校生が作っているんだろうが……まぁ、誰が作ったなんてどうでもいい。私が話題に上げたいのはその中身だ」  

「ネットを使ったイジメの温床になってたりしたんですか?」

「ネット『を』使った、モノならまだいい。ネット『も』使ったイジメ、これは中々読み応えのあるものだったよ。ネットでは暴言、リアルでは暴力、これを受けてる方は八方塞がりだったろうな」

「……」

「加害者のメモ、いや、この場合、日記と言った方が当を得ているかもしれないな。それはもう細かく書かれていたよ。売れっ子芸能人も驚く過密スケジュールで日常的にイジメを行っていたらしい、それも複数人で、だ。被害者の名前は正確には書かれていなかったが佐々木 百夜ということは容易に断定できたよ」

 個人を特定されないため、イニシャルか、当て字、あだ名、で書かれていたのだろう。胸糞悪いのは、これは被害者を守るための措置ではないところだ。

 何かの拍子でこれが学校側にばれた時に、イジメ自体が妄想でした、とでも言い逃れするためだろう。そんなん被害者は存在しない、と。

 これは匿名性だけでは安心できないようなことをやっていると、自覚しているということに他ならない。

 二重三重にも自らの保身は考えるのに、その十分の一も被害者の立場になって考えない。

「ありがとうございます、ラファエラさん。少し身体が温まってきました」

 ラファエラさんの話に寒さも忘れ、身体が熱くなった。

「礼には及ばんよ、それにそう熱くなるな。イジメの被害者が佐々木百夜と断定出来た理由なんだが……」

「殺害された人物と、その裏サイトでイジメを行っている人物との共通点があった?」

「ああ、ビンゴだ。匿名とはいえ、饒舌なやつは自らの情報を垂れ流す。そんな場所で日記を付けるようなやつなら尚更だ。だから、この件に関しては被害者には同情しないね。それにこのイジメの精神的ストレス、もしくは肉体的ダメージなどで発症した可能性まであるんだ、どちらも加害者であり被害者だが、片方は神様ですら助走をつけて蹴り飛ばしたくなるだろうよ」

 ラファエラさんの口ぶりから、余程、凄惨なことが書かれていたんだとわかった。

「誰でもいい、ほんの少しでも彼女に優しくしてやれたら結果は変わら無くとも、少しは救われたんじゃないか。なんでこんなことに……」

 絶望の淵で嘆いたことも一度や二度ではないだろう。学校ではイジメられ、今は彼女からすれば知らない人物に命を狙われる。

 こんなにイジメを行った人間にイラついているのに、こんなにどうしようもなく不愉快なのに――

 ――どうして復讐を行った彼女に対して僕は怒っているんだろう……。

「どのような理由があっても殺人は許容されてはいけない」

「残された者の話でもするつもりか? 殺された級友の親御さんや兄弟、それに友人もいただろう。そいつらになんて言い訳するとでも?」 

「ええ」

 欺瞞。

 偽善。

 傲慢。

 わかっている。

 そんなこと誰よりもわかっている。

 だけど、僕はいつだって、いつまでだって、変わらず同じことを言うだろう。

『殺人が許容されてはいけない』と。

「彼女にだってそのすべてが居たさ。だけど彼女だけ迫害され続けていた。殺されてないから条件が違う? 何も違わないだろ、私にとって生きている死んでいるはそう大きな意味を持たない。殺人を行う理由付けとしては彼女はまったくブレがない、むしろイジメを行っていた人間よりも人としてのルールを守っていた。少なくとも今までは――」

「今までは?」

「ああ、今まではだ。今日までのことが、これから先を保障するものではない。何がきっかけでブレるかわからないからな」

「命を狙われれば、誰だって自衛する」

「そうさ、それが当然で必然だ。命を狙われたことによっての殺人。それはイジメの加害者を被害者である佐々木百夜が殺したこととなんらかわらない。つまりそこにブレはない」

「防衛ではない殺人が行われようとしていると言いたいんですか?」

「仮定の話さ」

 二つの『かてい』

 殺人に至るまでの過程。

 殺人に至った理由の仮定。

 どちらも筋は通っているはずなのに僕はまだ納得出来ないでいた。

「……」

 風がそんな僕を責める様に、一際強く吹きつける。

 このわずか数分で随分と雨足も強くなり、これは気のせいかもしれないが気温も下がっている気がする。

「そうだ、、今からでも間に合うかもしれない。まだ彼女は――」

 自分の声が聞き取りにくいほどの風になっていた。

「逃避という行動から始まった殺人が復讐という殺人に切り替わり、そして今日からは……これは私の勘だが『  』の殺人に切り替わる。私の経験上、少年、お前さんの思う通りには多分ならない」

 バイクのエンジン音と風のせいでよく聞こえない部分があった。

 だけどそれは聞き取れなくて良かったのかもしれない。

 なんとなくだけど、そう思ってしまった。

「おっと、お喋りはここまでだ。お待ちかねの目的の場所に到着したぞ」

 そこは見覚えのある場所だった。

 当然だ。ここから出て来てまだ半日も経っていない。

 呆然と自分の学び舎を眺める僕を、現実に引き戻す地鳴り。

 建物が揺れ動くような轟音。

 比喩ではなく、校舎が揺れていた。

 地震ではない。

 いや、建物の揺れという意味では建物内にいる人間にとっては地震と大差はないだろうが。

 数瞬遅れて建物の揺れが僕が立っている校門にまで伝わってくる。

 不安定な船上にいるような、足元が曖昧になるような感覚。

 震源地は紛れもなく僕が通う学校の校舎だった。

 それは体調を崩した人間の消化管が消化不良を起こし、不規則な蠕動運動を起こしているようだった。

 校舎全体が何かを飲み込み、吐き出そうとしているような……嫌悪感を覚える。

「これは派手にやらかしたもんだ、今回はごまかしきれないかもな」

 校舎を仰ぎ、苦々しい表情で胸元から取り出したタバコの吸い口を噛んだ。

 バイクのサイドスタンドを立て、校門の前に停める。

 ガラスが割れ落ち、校舎のどこかにヒビが入ったような音がする。

 その様子を見たラファエラさんは、眩暈でも起こしたのか、足をふらつかせタバコを持っていないほうの手で顔を覆う。

 イラ立たしげにマッチを擦り、薄い唇の先に咥えたタバコに火をつけるとディーゼル車のように煙を口から吐き出す。

「ラファエラさん!」

 校内へ足を向けようとするラファエラさんに咄嗟に声をかける。

「馬鹿か、大きな声を出すな。で、どうしたんだ、少年」

「校内は禁煙です」

 当たり前だ。大量の未成年を詰め込む場所なのだから、喫煙が許される場所など限られている。

「じゃあ、喫煙スペースを教えろ。そこで一服してから私は向かうよ……冗談だ、そう睨むな。必要分は十分に体内に入れた」

 僕の感情を目で悟ったらしく、ラファエラさんはタバコをハイヒールの踵で踏みつけると、揺れが収まった校舎内へ向かう。

「ラファエラさん、大丈夫ですか?」

 もちろん、初めて来る場所で迷わないかという意味だ。

 僕にとって校内は勝手知ったるなんとやらだが、目的地がわからないのであれば案内のしようもない。

「オーライだよ。こっちには神のお導きがあるんだ」

 時計をチラチラ見ながら真っ暗な廊下を進んで行き、階段を登る。

 その足取りに迷いは見られない。

 先ほどよりも大きな轟音。

 同時に、うねりに近い揺れ。すぐに立っていられなくなり、尻を廊下にしたたかにぶつける羽目になる。

「走れ少年。ここはまずい!」

 珍しく焦った様子を見せるラファエラさん。

 僕は暗さのせいで自分の状況が理解できない。

 それでもラファエラさんの強い言葉が僕に降りかかっている状況を、嫌というほど説明していた。

 パラパラと何かの破片が僕の頭や肩を叩く。

 すぐにこの場から離れないとまずい!

 頭を下げ、一歩前へ踏み出す。目の前のラファエラさんが僕の方へ手を伸ばしている。

 だけど何故だか僕の手と高さが合わない。

 浮遊感。

 そして突然、重力が思い出したかのように僕の身体を、下へ下へ、奥へ奥へと引きずり込んだ。

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