第23話『12月17日(2)』

 家に帰って私が最初にしたことは手早くシャワーを浴びることだった。

 銃弾によってあちこち穴が空いた制服を脱ぎ、ゴミ袋へ入れる。

 制服の予備があってよかった……新しく買う余裕なんて今はないから。

 浴室へ入るとシャワーのコックを捻り、水がお湯に変わるのをしばらく待ってから頭から浴びる。

 疲れが温かいお湯によってドロドロと溶かされていくようだった。

 疲れを纏った薄い赤色が排水溝へと流れていく。

 水の流れる音が私の心を落ち着かせた。

 足が震える。力が入らない。

 この足のままでは何も出来ない。

 自由に動くのは、両手のみ。

 洗い場に座り込み、しばしの逡巡。

 意を決し、手を伸ばす。

 このまま手にするのがシャンプーや石鹸だったらどれだけよかったことか……。

 シャンプーの入ったボトル、石鹸以外に包丁とピンセットがお風呂場の仲間に加わっていた。

 お腹の中で疼く毒を吐き続ける銃弾を取り除かなければならない。

 そのためには塞がっている傷を切り開き取り除く必要がある。

 その光景を想像するだけで溜息が一つも二つも漏れた。

 今日のことで自分が人間を辞めていると確信できたが、痛みはある。

 もう身体に傷跡一つないが、一つ一つの痛みを思い出せた。

 自らの手で記憶にもういくつか痛みを刻むと考えるとと憂鬱で仕方ない。

 この拒否感はトイレに閉じ込められて水をかけられたり、無理やり掃除当番を押し付けられることの比ではない。

 いくら傷跡が残らないからといっても、自分で自分を傷つけることの拒否感や嫌悪感は拭い去れない。

 それが仮に痛みがなかったとしても……。

 私は手を伸ばした先にある包丁を手にする。

「ふぅ……」

 息を止め、薄目で大体の当たりをつけて右太ももに包丁の先端を突き刺す。

 消毒もせずに刃物を自らの肉体に迎え入れるなど傍から見れば正気の沙汰ではないが、私にはもう正気という言葉を口にする資格すらない。

 刃の冷たい感触がとても言葉にできない異物感となり、思わずえずきそうになる。

「――――ッッッッ……」

 喉の奥で悲鳴を押し殺す。こんな所を両親に見られるわけにはいかない。

 麻酔なしでこんなことをすれば痛みで気絶、悪ければ痛みでショック死もありえるが、そこまでの痛さではない。出血も想像してたものより遥かに少ない。

 一瞬、銃弾が貫通しなかったことを思い出し、刺さらないことを期待した自分もいたが、それをあざ笑うかのようにいとも簡単に包丁は肉に食い込んだ。

 私の身体は常時銃弾を弾くような強度を保ってはいないらしい。

 白い肌を幾本もの赤い線となって血が流れ落ちる。

 さらに数センチ深く刺し込むと噴出した血液が私の顔や肩、胸にまで飛び散った。

 動脈を傷つけてしまったようだ。

 肉を開くためにグリグリと左右に包丁を動かすと、ピンクと赤の中に数個の銀の塊が見えた。

 銃弾は私の太ももの中で砕けてたらしい。

 その周辺の肉はオゾンのせいで複数のヒルが張り付いたかのようなケロイド状になっていた。

 銃弾の破片を取り出すため、包丁からピンセットに持ち替える。

 包丁にこびりついたザクロのように赤黒い小さな肉片がお風呂場の床に落ち、シャワーの水流が排水溝へと運んでいく。

 後でまとめて取らないと……。

 血液が飛び散り肉片が転がるお風呂場は、ホラー映画の一幕を私に想起させた。

 血が湯気となりお風呂場を満たしている、という錯覚を覚えるほど、むせ返るような血臭に満たされるお風呂場。

 真紅の肉がはがれた場所から、白い骨が見える。

 一度、両手を切り口に入れ、観音開きの戸のように大きく肉を開く。

『くちゅっ』、とも、『くちゃ』、とも表現できない粘ついた体液の音が私の心を乱しにかかる。

 その嫌悪感を誘う音を出来るだけ意識外に飛ばして作業を進める。

 そしてピンセットを持っていない方の手で開いた状態を固定し、ピンセットを砕けた銃弾付近に近づける。

「――あ、ぐっ、はぁ……」

 むき出しの肉に鉄が触れる刺すような痛みが走る。撃たれた時とは比べ物にならない痛みを感じる。

 血に塗れた金属片を痛みで震える手で一つ一つ摘み出し、床に落としていく。

 やっと一発……。

 この作業が後五発分、特に腹部の弾の存在はどうしたものかと、私を途方に暮れさせた。

 毒を出していない部分の弾は放っておこうと決意を固める。

 一発や二発、身体に残っていたところで自らの手で身体を刻むことを考えれば、何の問題にもならない。

 私を責めるようにシャワーが湯を吐き散らし続ける。

 やっていることは今までとまるで同じだ。

 学校から帰ったあと、嫌なことがあったあと、私はシャワーを浴びた。        

 ただ、最初の殺人を犯してから意味が変わった。

 被害者の返り血を落とすために。

 もちろん極力返り血を浴びないようにしていたが、まったく浴びないというわけにはいかない。

 それを洗い流す。

 私は被害者から加害者になっていた。

 暴力を行使される側から行使する側に変わった。                

 私のこの力が立場を百八十度転換させた。

 悪いことをしているなんて微塵も思っていない。

 後ろめたいことなんてなにもない。

 私が笑顔でいるためも必要なことだから、やっているのだ。

 笑顔になってから何もかもうまくいっているのだから、私が笑うことに邪魔になりえそうなものは徹底的に排除する。

 先輩と一緒にいた女にこの考えを信仰と言われた。実際その通りだと思う。道理も筋も通っている。

 考えではなく、すがり付いているモノだから、信仰なんだと思う。

 だけど、身体が熱くなった。

 身体の中に火が灯るように。

 細胞の一つ一つが熱を発するように。

 怒りなのかもしれない。

 諦めなのかもしれない。

 嫉妬なのかもしれない。

 この、かもしれない、をいくら重ねたって正解にはたどり着かないことを私は知っている。

 ただ一つわかっていることは、自分のこの考えを信じないと前へ進めない。

 きっと途中で膝を突いてしまう。

 もう後へは戻れないのに、立ち止まるわけにはいかない。

 自分への施術でついた血液を洗い落としていると、ふと、浴室の鏡が目に入る。

 身体の傷が消えている。

 弾丸を取り除いた時の傷や、先ほどの戦いで出来た傷だけではない。

 今まで受けてきた暴力によって染みついた傷痕がどこにもない。 

 殴られて出来た傷、いくら逆らっても止めてくれなかった傷。

 ここにあったのは先月、あそこにあったのは三週間前。

 これは先輩とコンビニに行く前にやられて出来た傷。あれは凄く痛かった。

 少しでも抵抗すると酷くされて出来た傷。

 逃げたかった。逃げられなかった。怖くて身体が冷え切っていた。

 傷跡とひとくくりにして覚えていたと思ってたのに……傷が消えても思いだせてしまう。

 殴られて、焼き焦がされて、大事な物、ちょっと大切だった物も区別なく壊されて。

 あれは本当に悲しかった、お母さんが作ってくれたお弁当を汚い、臭いと言われて捨てられたの。

 汚くも無かったし、美味しそうだったのに。

 そういえば、沢山嫌なことされたな……。

 投げつけられて、壊されて、潰されて、削られて、焼かれて、傷つけられて、止めてって言ったのに、嫌だって言ったのに、言えば言うほど酷くなって、また、壊されて、潰されて、削られて、焼かれて、傷つけられて……。

 どこまで耐えれば終わりが来るのかわからない、ゴールが見えないマラソンをさせられて。

 心が壊れて涙が出なくて。

 身体が冷え切っていて。

 心は凍り付いて。

 これが私だったもの。

 立ち上がろうと腰を上げる。

 違和感なくスムーズに下半身が動いた。足にかなり力が戻ってきているようだ。

 だが、急に立ったせいか激しい立ちくらみに襲われる。視界が回り、世界が回り、アタマガクラクラシタ。

 それに酷く喉が渇く、何度かシャワーのお湯を口に含み飲み干すが渇きが癒されることはなかった。

 もう、今の私は昔の私ではないようだ。

 身体も心も変わって――こんなに熱いんだから。

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