第22話『12月17日』

「和月ちゃん、あ、そ、ぼー!」

 時計の針が天辺を指す頃、ノックもなく万人の感情を逆なでするようにして、ラファエラが部屋に入ってきた。

「和月は今忙しい」

 一々相手にしていられないと、私は素っ気ない言葉でラファエラを迎えた。

「お、どうやらお邪魔しちゃったか?」

 裸でベッドの上に横になっている私を横目に、口元をにやけさせる。

「変な勘ぐりはやめてくれ、メンテナンスだよ」

 少女から逃げ出して駆け込んだ場所は、私の義手を作ってくれた造形師の住む古いアパートだった。

 アパートの外装は老朽化が進んでいるが、内装はもっとまずいことになっている。

 家主が部屋のあちこちを適当に改造したものだから、古いは古いのだがそれに怪しさも加わっていた。

 家中が幽霊屋敷のように暗く、合法的じゃない雰囲気をを醸し出していた。

 なんというか、衛生面が最悪な保健室としかこの部屋を表現できない。

 この部屋は元々全体的に白かったのだろうが、部屋の真ん中に吊るされたタバコのヤニで黄色く変色した裸電球が部屋を薄暗く照らす。

 色合いはラファエラの事務所と似ているがこちらはより病的だ。

 消毒薬の臭いとタバコの残り香が混じり、なんとも言えない匂いが部屋全体に充満している。

 錠のついた薬品棚らしきものもあるが、何が入っているかわかったもんじゃない。十中八九法に触れるものであろう。 

 この部屋を一言で表すなら、違法の総合商社である。

「ん、意識あったの? え、相変わらず凄いね、キミ。これだと麻酔の意味ないよ。あと、えーと、なんだっけ、ラファなんとかだっけ、今いいところなんだから黙ってて欲しいね、楽しくなくなってしまう」

 マットもスプリングもない大き目のサービスワゴンのようなベッドの上に裸で寝かされている私から、目を離さずラファエラの相手をする。

「ラファエラだ。いい加減に覚えろ。犬でもそろそろ覚える頃だぞ? あとお前筈羞恥心とかないのか?」

 私が堂々と異性に身体を晒しているからだろう、ラファエラが苦言を呈する。

 常時半裸みたいな格好をしているラファエラにはだけは言われたくない。

 それに、恥ずかしいという気持ちは微塵もわかない。

 むしろ見せ付けることに意義や意味があるのだ。

 自信のあるいい身体をしているのだ、隠すことは最早罪である。

 死んでも三日で蘇る稀代の奇術師に仕えている身で、あの様な巫山戯た格好をしているのだからラファエラは私と同じ価値観だと思っていたが……どうやら違うらしい。

「犬は頭がいいからネ。あっ……」

「頼む集中してやってくれ、腕なしだと服が似合わなくなる」

 首輪と時計以外、身につけず生まれたままの姿になった私は、義手を付ける手術を受けていた。

 執刀医は造形師の陳(ちん)さん。喋り方はアレだが、集中さえしていれば腕の方は申し分ない。

 物を作るのが本業だが、物作りと医療行為は似ているとのことで必要とあれば手術も執刀する。

 その言葉に嘘はなく、何度か治療してもらったことがあるが手際のよさは見事の一言だった。

 彼も教会の人間で主に対吸血鬼化症の人間用に武器などを作っている。

 私の持っているレイジングブルはブラジルのトーラス社が製作しているものだが、それに改造を施してくれたのは陳さんだった。

「君は腕なしだけど、これを失敗したら私は形無しになってしまうね、あ、糖分が足りない糖分が!」

 そう言って薄汚れた白衣のポケットからチョコを取り出し、包装紙を向くのも面倒とばかりに紙ごとガツガツと食べ出す。

 きっかり五秒でチョコを食べ終えると腹を抱えて笑った。何が面白いのかわからない私は、空気を読んだ結果、苦笑いを浮かべることしか出来なかった。

 もちろん彼は医師免許を持っていない。

 物を作るプロだ。真偽の程は定かではないが、形のあるもので作れないモノはないと豪語していた。

 その時はタバコを咥えニヒルに言い放つものだから一瞬信じそうになったが、口の周りにチョコがついていたので途端に胡散臭くなったのを覚えている。

「で、どうして電話にでなかったんだ? 言い訳を聞いてやるよ」

 陳さんの言うことなど聞いてなかったかのように、部屋の隅にあったパイプ椅子をベッドの横に設置し背もたれに全身を預ける。

 ギヂギヂと錆びた部分が擦れる安っぽい音がした。

「誤ってトイレに流してしまった、今頃は下水でクロールしてると思う」

 感情を込めず、事務的に答える。

「私はお前のおふざけを聞きにここに来たんじゃない、その腕はどうした? それも便器に落としたって言うつもりじゃないだろうな?」

「腕は壊れかけてたから、そこらを歩いてた女子高生にプレゼントしてきた。使いようによってはパーティーシーズンに重宝するかもしれないから、今頃喜んでると思う」

「嘘、嘘ネ! 象が踏んでも壊れないように私作ったヨ」

 珍しく動揺を見せる陳さん。         

「今の時代、筆箱ですら象が踏んでも壊れないんだから、次からはもうちょっと丈夫に作って頂きたい」

 毎回壊されているようでは、いい加減財布の中が寂しくなってしまう。

「なら筆箱つけるか?」

 陳さんは冗談とも本気ともつかない言葉を吐き出す。            

「はっはー! そりゃいいかもな、きっと近所の小学生の人気者になれるぞ、どうする?」

 膝を叩き笑うラファエラ。         

 タバコを咥え、サングラスを外し天井を仰ぐ。

「真面目にしてくれ……」           

 他人事だと思って好き勝手言ってくれる……。

「でだ、どうして『こう』なった?」     

 咥えたタバコに火をつけ、大きく吸い込み煙を私に吹きかけた。

 一人はチョコを齧り、一人はタバコの煙を患者にかける、とても手術中の光景ではない。

 それが執刀医に面会者というのだから地獄絵図である。

「電話に出られなかったことか? それとも、腕をなくしたことか?」

「両方だ。お前、やりあっただろ? じゃなきゃ、お前の姿の辻褄が合わない」

 改造した修道服のスリットから伸びた脚を乱暴に組みかえる。

「ああ」                     

 歯噛みすることが多かったさっきまでの戦闘を思い出し、私は短く返事をする。

 腕にチクリと痛みを感じた。右腕の神経を義手と繋いでいるのだろうか。この程度の痛みで済むということは多少は麻酔が効いている様だ。                         

「今回のターゲットは佐々木百夜、七月七日生まれのAB型。現在、三人家族の長女で母親は佐々木晴美、父親は佐々木秀雄、鳴神高等学校に所属。まぁ、蒼太と同じ学校だな、そこの一年だ」

「随分調べがついてるじゃないか、わかってるなら早く言ってくれよ」

「ああ、だから嬉々としてお前に電話したんだよ」  

 ぐうの音もでない。

「ほら、ないと困るだろ。予備を持っててよかったよ、まったく……」

「そりゃひと月に三台も壊すんだから、予備くらいは持ちたくなるな」

 ラファエラは物を壊す才能に恵まれている。今までにも携帯電話だけではなく、机、パソコン、テレビ程度の小物から、体育館やマンションといった建造物に至るまで有象無象の区別無く満遍なく壊しつくしてきた。

 何より壊すのが得意なものは、物質ではなく人間関係という概念なのが笑えない。

「お前も壊してるんだ、減らず口を叩かず黙って受け取れ」

「今晩にも必要になりそうだから、ありがたく受け取らせてもらうよ」  

「で、顛末だ。死んだのか?」           

「喜べ、元気に生きてるよ、あの狂犬は」

 どんな状態になっても私に近づこうとしてくる白夜を思い出し、私は強く奥歯を噛み締めた。            

「お前何してたんだ? 腕を取られて逃げただけか? 相手は新人だぞ、何年吸血鬼やってんだ? 私なら恥ずかしくて小便漏らしちまうよ」             ラファエラの凍てつく冷笑がチクチクとツララのように突き刺さる。     

 私の失態に肉食魚の如き食いつきを見せた。相変わらずの性格の悪さにむしろ清々しさすら覚える。

「私だってこれさえなきゃ、もっとうまくやれたさ――」

 首輪を指差す。

 事実、制限なしで戦えばさっきのあいつなら間違いなく勝てたと思う。

 さっきのままなら……。

「――それにあいつは普通じゃない、四ヶ月前の奴とはまったく逆のタイプだ」

「吸血鬼化症の進行が早い、か……そこまで言うんだ、戦闘中にもわかるくらいだったんだろう。どんな様子だったんだ?」

「あいつは最初から壊れていた。壊れているモノ、それはある意味完成されているんだから、それに付け足す言葉は持たない」

「御託はいいんだよ、お前の悪い癖だ。いい加減付き合いもそこそこ長いんだ、私が求めてそうな答えを返せ、わかるだろ?」

「……」

 しばしの沈黙。

 心の中で反論の言葉を探すが見当たらず、犬歯が長くなっているのも忘れて思わず歯軋りをしてしまう。

 犬歯が歯茎を擦り、口の中に鉄の味が広がった。

 仕方がないので目の前のシスターが求めている情報を口にする。

「あいつはあんたが欲してる情報は持ってないよ、それに仲間もいない。単独犯だ」

「何故単独犯だと?」

「根拠はない、だけど自信はある。それに調べてたならラファエラもあいつが単独犯ってことはわかっているだろ、長い付き合いなんだからそんなことを一々聞くな」

 ぶっきらぼうに言い放つ。

 これはさっきの意趣返し。

 目の前でギリッと歯が擦り合わさるような音が聞こえた気がしたが、きっと気のせいだと思う。

「ほい、繋がったよ――」

 多少、険悪な空気になったが、陳さんの気の抜けた声のおかげで空気がのんの少しだけ緩んだ。          

 義手を愛しげに撫でる陳さんの目が、子供を見る父親のような目をしている。とても印象に残る瞳だった。

「――もう壊さないでね」

 チョコ色に染まった涎を垂らしながら脂ぎった頬を義手に摩り付けてさえしていなければ、作品愛が逞しい職人が実の子供のように製作物を大事にしているという感動的なワンシーンになりえたかもしれない。

 一頻り頬ずりをすると満足したのか、仕事の後はこれに限るネ、などと呟き、白衣から取り出したチョコを頬張り、同時にタバコも吸い始める。

「二度目の無様は晒すつもりは毛頭ない」

「右目の義眼の調子はどうネ」

「問題ない」

 答えながら繋げて貰ったばかりの腕の調子を確かめるために、私はベッドの上で指を動かしてみたり手首を回してみたりする。

 問題はない。むしろ、前よりもよく馴染んでいる気がする。

「えーと、前と何か変えた?」

「義手は何も変えてないヨ。素材も繋ぎ方も前と寸分なく同じネ。もし何か変わったのだったら、変わったのはきっとあなたネ」

「私は何も変わってない」

 心当たりが何もない。

「手術中、身体が前より拒否反応を示してなかったヨ。身体が義手を取り込もうとしているようにみえたネ」

「そんなことあるのか?」

「吸血鬼化症のウィルスは宿主を守ろうとして肉体を変質させたりするんだ、ボコられりゃそれくらいはするだろうさ。珍しいことでもない」

「ボコられてない。変異は見たことがあるからピンと来るが、無機物を取り込むなんてありえるのか?」

 変質……ラファエラは変異のことを言っているのだろう。

 変異は吸血鬼化症を発症したモノの終着点。肉体そのものが違う形に変わり、爆発的に戦闘力が増す。

 ガス爆発ということで教会がもみ消したらしいが、ラファエラの話だと変異した吸血鬼が村を一つ消したこともあったらしい。

 さすがにそれは話半分として聞いておいたが、私が過去に会った変異した吸血鬼も中々に厄介だった。

 苦い思い出が頭をよぎると、義手をつけた右腕が疼いた。

 こうも痛みがあるということはラファエラの言うことはあながち間違っていないのかもしれない。

「強くなろうとして貪欲に有機物無機物関係なく吸収するやつを私は見たことがある。お前の身体も義手を吸収して強くなろうとしてるんだろ。正直教会もウィルスに関してはほとんど何もわかっていないんだ、だから私の言っていることは可能性の問題だ。可能性のな。それに馴染んでるんだったら、なんの問題もないだろ。喜べ、戦力が上がる」

「そう楽観出来る問題なのか、変異の前兆かも知れないだろ?」

「腕時計の数値を見てみろ、その数値で変異はしない。変異に関してはかなり痛い目にあったからな、研究は進んでいる。教会の見解だとその時計の数値で進行度が80を超えると高確率でなるとのことだ。だからお前はまだ大丈夫だ。それにもしなったとしても私が殺してやるから安心しろ」

 物騒なことを口元を緩ませて言うが、その言葉が冗談ではないことをラファエラの目が物語っていた。

 進行度自体、何を基準に数値化されているのか、厳密にいうと私は知らない。

 大体、意味合いとしては血中ウィルス量といったところなのだろうが、細かいことはわからないし、知りたくもない。

 私は何をすれば上がるか、何をすれば下がるかだけを知っておけばいいからだ。無駄な情報は判断を鈍らせる。

 聞き覚えのあるバタバタ走る足音がアパートの前で止まる。

 程なくして、手術室のドアが乱暴に開かれた。

「近所迷惑だぞ」

「迷惑って誰にさ。このアパートの部屋、全部陳さんが借り占めてるじゃないか」

「借り占めるなんて言葉、初めて聞いたぞ。日本語は正しく使わないといい大人になれないぞ」

 ハーフの私に言われて、蒼太はさぞかし複雑な気分になっていることだろう。

 借り占める、恐らく、買い占めるの変形なのだろう。確かに一階と二階にある部屋すべて、計八部屋を陳さんが借りていた。

 そうでもしないと、引っ越して三日と経たずに近隣トラブルで大家に追い出されるからだ。

「……和月、なにやってるのさ?」

 乱れた息を整えると冬に似合わない汗を手の甲で拭い、上着のダウンジャケットの袖から腕を引き抜いた。

「夜も遅いだろ、だからこうやってベッドで横になっている。蒼太こそ何をしている? 未成年が出歩いていい時間はとうに過ぎているぞ」

 私は長時間ベッドに拘束されて固まった身体の柔軟をするために、身体をベッドの上で伸び縮みさせる。

 こんな感じに。

 _(:3 」_ ∠)_

 _(:3 」__ ∠)_

「何してるって……和月が帰ってくるのが遅いから探しに来たんじゃないか」

 宇宙人の解剖にでも使いそうなベッドに寝転ぶ私に鋭く視線を走らせる。

「そ、そうマジマジ見ないでくれ」

 普段はこんな気持ちになることはないのに、理由不明、意味不明なやりどころのない羞恥を覚える。

 何故だか今すぐにでも明かりのない、どこかの隙間に入りみたい気持ちになった。

「ん? いつもは平気なのに、今日に限ってどうしたのさ」

「う、うるさいな、そもそも異性の裸を見るのは無礼だとは思わないのか」

「異性……あまり意識したことなかったけど、そういえばそうだね、次から気をつけるよ」

 蒼太はそう言うが目が私から離れない。

「だからジロジロ見るなと言っている!」

 顔が赤くなっていないか、気になる。

 ステンレス製の床を鏡代わりにしようと、チラリと床に目をやる。

 信じられない。信じたくないことだが、私の顔は完熟したトマトのように耳まで真っ赤になっていた。

 ラファエラに目をやる。

 声のない歪んだ嘲笑が、刻みつけられでもしたように動かない。

 ああ、馬鹿にされている。完全に後日、揶揄される。

 それを想像するだけで、数日は憂鬱になれそうだ。

「え、次からだから今回はノーカンじゃないの?」

 そんな私の気持ちを知らず、のんきにこんなことを言ってくるのだから実に頭にくる。

「それは変更だ。今、この瞬間からに」

 ラファエラがリングに投入するタオルのように、どこからか探してきたシーツを私の顔に投げつけてくる。

「ヘイヘイ、痴話喧嘩はそれくらいにしてくれ。そう見せ付けられると、万物を見通す神だって目を逸らしちまう」

 後日じゃなく、もうからかいに来た。実にこらえ性のない女だ。

 だが、身体を隠すものをよこしてくれたのには、素直に感謝し、身体の主要な部分が隠れるように巻き付ける。

「和月、ここにいるってことは怪我をしたってことだろ、なんでコンビニから帰るだけで怪我なんてするのさ」

「私一人で怪我が出来るほど私は器用じゃない」

「じゃ、その怪我をさせた協力者は誰だい?」

「聞かないほうがいいと思うが?」

 ペースを取り戻すために淡々と言葉を続けた。

 最近、口調がぶれてよくない。そのせいか、自分をよく見失いそうになる。

「じゃあ、聞かないよ」

「蒼太ならそう言うと思った」

 蒼太は少しでもこちらが難色を示すと、ほとんどの場合、今みたいに引き下がる。

「佐々木百夜だ、お前と同じ学校に通っている。聞き覚えは?」

 ラファエラが話に割り込んでくる。

 私が言いたくなかったことをあっさり蒼太に告げる。

「聞いたことがない名前だと思う。人の名前を覚えるのが苦手だから、ただ単に忘れてるだけかもしれないけど」

「まぁ、お前とは学年が違うから知らなくても当然といえば当然か」

 ふむ、と一つ頷きラファエラは納得した様子だ。

 納得しているラファエラを尻目に、いつまでも裸でいるわけにはいかないので床に畳んである衣装の袖に腕を通そうと手を伸ばす。

「蒼太、三十秒だ。一分まで取らせないから目を瞑っていてくれ」

「どうしたのさ?」

「裸の女性が自分の服を手にする、そこから察するものはないか? いいから瞼を落とせ」

 蒼太は首をかしげながらも、言われるがままに目を閉じる。

 この簡単な式に、簡単な答えが導き出されそうなものだが……。

「行くのか? 」

「場所はわかっているからな。準備し次第すぐにでも行く。佐々木百夜について、わかっている情報は書類にまとめてるんだろ?」

「ああ、大した情報じゃないがここにある。あ、あと、一応、決まりなんでこれも持っていけ」

 ラファエラが手の平サイズのアンプルと書類の入った封筒を私に投げ渡す。

 どこかスナイパーライフルの弾に似ているガラスで出来たそれを、床に畳んであるディアンドルのポケットに入れる。

 ラファエラの決まりというのは、追い詰めた犯人に対して警察がよく言う、あなたには黙秘権がある。

 あなたの供述は法廷であなたに不利な証拠として採用されることがありうる。

 あなたには弁護士の立会いを求める権利がある。

 もし自分で弁護士に依頼する資力がなければ、公費で弁護士を付けてもらう権利がある、的なもののことだ。

 これはミランダ・ルールといわれるものだが、教会にもこれに似たようなルールがあった。

 このアンプルを吸血鬼化症を発症している者に渡して、それを自分で打ち、教会の研究に協力しろなどと無理難題を押し付ける。

 何かの間違いで、相手がその条件をすべて飲んだ場合、教会に送り届け研究に協力して貰うという体(てい)になっていた。

 どんな研究をするか想像するだけで怖気が走るが、そんなわけのわからない条件を飲むという奇特な人物がいるとは思えないので想像するだけ無駄というものだ。

 だが、教会に所属しているラファエラに言われた以上、この形だけでしかない形式を守る必要がある。ラファエラの意に反することは私のためにも蒼太のためにもするべきではない。

 アンプルの中身は吸血鬼化症を治すための薬ではなく、現状を維持するだけのものだ。なんの解決にもならない、真綿で首を絞める行為そのものである。

 それはそうと、早く着替えないと面倒なことになる。手早く服を身に付けなければ。

 身体に巻いていたシーツを落とし、衣服を身につけ始める。

「三十! ギャーッッッ!!」

 瞼を開く蒼太の眼球の表面を咄嗟に指先で撫でる。

 これが付け直してもらった義手の初仕事だった。

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