第17話『12月16日(2)』

 少年が帰った後、事務所の椅子に腰掛けラファエラは胸元から携帯電話を取り出す。

 電話帳に登録されている和月に連絡を取るためだ。

 荒々しい動作でディスプレイに映る電話帳から和月の電話番号を探し出し、耳に携帯電話を当てる。

 程なくして呼び出し音が流れ出した。

 ――二回、三回……。

 イライラとした様子で目の前の机の脚を爪先でリズムよく蹴り上げる。

 佐々木白夜はもう二人も殺っている。事態を早急に収めなければまずいことになる。

 これがラファエラの率直な感想だった。

 このまずいことというのは、バチカン市国にある本部にこの事件を知られることだ。基本、吸血鬼化が発症したモノが起こす事件は起こってからじゃないと対処できない。

 総じて受身。

 余程、吸血鬼化が進み身体が変異してしまえば、見た目でわかるが、そこまで吸血鬼化が進んだものが、なんの事件も起こさないなど本当に稀なことである。

 大抵の場合、吸血鬼化が少し進んだ段階で、何かしらの事件を起こす。

 被害が出る前に事件を察知し、対処することなど出来はしない。

 だが、本部の中にはそう考えていない者もいる。

 対処療法ではなく事件が起こらないように予防をしろと。

 あまり被害が大きくなるのはまずい。すでに被害者が二人もでているのだから、とてもじゃないが三人目は容認されない。

 ただでさえ、ラファエラは四ヶ月前の事件で大きな被害を出し本部から小言を言われていた、立て続けというのは非常に印象が悪い。

 まだ解決できればいい、もし被害が大きくなった上に解決ができなかった場合は間違いなくラファエラは無能の烙印を押されるだろう。

 街の治安を吸血鬼化したモノから守る、それが教会の仕事なのだ。

 その教会に就職したラファエラも当然、仕事として治安を守らなければならない。それで給料を貰っているのだから当然であり義務である。

 本来なら少年が来なくとも動き始めるはずだったが、少年があまりにも金の匂いを撒き散らしている外道ということもあり、商売っ気を出してしまった。

 ラファエラが商売っ気を出すのは珍しいことではないが、人としての節度もある程度はわきまえていた。

 今回も逆恨みなどで命を狙われているのであれば、少年が金持ちだろうがラファエラは無料で仕事を請け負っただろう。

 だが、ふたを開けてみれば、ラファエラの言葉を借りるならクズ中のクズだったのであの値段になったというわけだ。

 失態が続き、本部から査察が来ればこのような会社と依頼人、金の二重取りとも言える小遣い稼ぎが出来なくなってしまうばかりか、そのようなことをしているとばれかねない。

 先ほどラファエラが少年に言った言葉ではないが、痛い腹を探られるわけには行かない。

 探られた結果、職を失う可能性もあるからだ。

 クビになるわけにはいかない理由がラファエラにはあった。

 では、何故二重取りのような危ない橋を渡るのか? それにももちろん理由がある。

 金が必要だからだ。

 教会のトップに登り詰める、これがクビになっては困る理由と大金が必要な理由だ。

 これがラファエラの夢であり、願い。

 ラファエラはこれを叶えるためにはなんだってすると決めていた。

 だからどんなことだってしてきた。そしてこれからもしていくつもりだ。

 ここ三日間ラファエラが教会に引きこもり何をしていたか、所謂調べモノである。

 ラファエラは一人目の被害者が出た時点で、吸血鬼化した人間の犯行と断定していた。

 だが、動くことはできなかった。誰が吸血鬼化したか? がわからなかったからだ。

 かなりこの街と街の住人を把握しているラファエラといえど、一日二日では目星もつけようがない。

 そうこうしているうちに第二の被害者があがった。

 この間もちろん何もしていなかったわけではない。先ほどの調べモノである。

 具体的に何をしていたか?

 この街にある監視カメラが撮った映像とにらめっこをしていた。

 警察内部にも教会の『社員』が数人潜り込んでいる。

『社員』仲間が警察内部にいるので、ほんの少しだけラファエラが無理をいって提供してもらったものである。

 間違いではない、修道者ではなく『社員』だ。

 教会と社員、決して結びつきそうに無い言葉だが、吸血鬼化症の存在が発覚した現在は意外とそうでもない。

 修道者は教会法上、私有財産を放棄する清貧の誓願を立てているので金銭は殆ど受け取らない。

 修道者ではないラファエラは清貧の誓いなどは立てていない。吸血鬼化症を発症した人間を狩る専門だからだ。する理由が無い。

 吸血鬼化症が発症した人間を狩る仕事と、吸血鬼化症の存在を隠す仕事をしている人間は修道者ではない。

 無心論者の民間人である。

 教会から見れば外部の人間とも言える。

 教会はそういった外部の人間と社員契約を結び運営されていた。

 つまりラファエラは月給制だ。

 汚れ仕事は外部の人間にやってもらい。吸血鬼化症の研究は内部でやるといったところか。

 もちろん吸血鬼化症についての口止めはされ、駐在所代わりの教会でシスターの真似事などさせられているが、多額の報酬が貰えるということもありラファエラとしてもまんざらではなかった。

 外部仲間のいる警察内部から情報を提供して貰えるということは、どう足掻いても警察より出遅れてるということになる。

 よーいドンの時点で出遅れてるのだから、警察より早く犯人を捜すためには効率と気合しかない。

 警察より早く動き出さなければ、無駄に捜査する警察関係者を危険に晒すことになるからだ。間違って吸血鬼化した犯人と鉢合わせなどしようものなら目も当てられない。

 いつから蔓延し始めたのか現在わかってはいないが、この吸血鬼化という感染力の強い流行病の存在は教会がうまく隠蔽している。

 世界の人口の九割近くが感染してはいるが発病者が殆どでていないから、何とか隠しおおせていた。

 もしこの病気が全世界で公になれば混乱は免れず、魔女狩りが行われた大迫害時代が再来する可能性も否定できない。

 魔女という単語が吸血鬼に置き換わるだけなのだから、教会が言うことも決して大げさではないだろう。

 そうならないためにも極秘裏に、迅速に事件を解決へと導く必要がある。

 迅速に事件を解決するにあたって警察にすべて捜査を任せ、犯人がわかった時点でまたお願いをして捜査に待ったをかけることも不可能ではない。

 不可能ではないが、出世をもくろむラファエラはこれ以上警察内部の友人に借りを作るわけには行かなかった。

 その夢への気迫が結果的に警察官と市民の命を守ることに繋がった。

 日本全国の監視カメラの総数は、現在六百万台を越える。

 都会であれば繁華街にでも出て、首を上に傾けるだけで三分もしないうちに何台か見つけることができるだろう。

 それほど日本国内には身近な場所に監視カメラが溢れている。

 当然だが、ラファエラはすべての監視カメラの映像に目を通すなんていう非効率なことはしていない。

 否、している時間がないと言ったほうがこの場合は正確だろう。

 被害者の死体があがった周辺の監視カメラに絞り込んでの作業だったが、これが並大抵ではなかった。

 第一の死体があがった公園の周囲半径一キロメートルに絞ってもカメラの数がゆうに百を越えた。

 動くものにだけ反応し、録画をする動体検知タイプのカメラが少なかったことも作業がより複雑なものとなる要因となった。

 ラファエラが目を通した主なカメラの内訳は――道路は交差点に設置してある可動式の監視カメラ、車のナンバーを読み取るために信号機に取り付けられているNシステム、店舗はコンビニエンスストアやファーストフード店、ファミリーレストランの駐車場についている防犯カメラ。

 それに加え住人が個人的に自宅の玄関前につけている防犯カメラを一睡もせず、目が真っ赤になるまでチェックした。

 調べれば調べるほど日本という国に常時監視されている気がして、薄ら寒くもなったがそんなこともすぐに忘れるほどにその時のラファエラは作業に没頭していた。

 どんな些細な手がかりでも構わなかった。

 そこが犯行現場でなくても構わない、どこか違う場所で犯行を行い、公園に死体を運んできたとしても運んできた人物の顔が映っていればいいのだ。

 顔さえわかれば、ラファエラはこの街に住む住民ほとんどの顔写真を持っているのだから後はしらみ潰しでどうとでもなる。

 ようは時間との勝負だ。

 そのしらみ潰しが少年が来る五分前に終わった所だった。

 結果、怪しい人物などいなかった。それがラファエラが出した答えだ。

 それはありえない。

 クモの子のように散らされた監視カメラの位置をすべて把握して動いていれば可能かもしれないが、そんなことは不可能だからだ。

 犯人が透明人間でない限り、必ずどこかに映っているはずなのだ。

 となると逆の発想をしなければならない。

 怪しくない人物はどうだろうか?

 この周辺に住んでいる人物で、自分の家の方向へ向かって歩く通行人は基本的に除外していた。

 帰宅途中だろうと高をくくっていたからだ。

 何故こんな簡単なことに気がつかなかったのだろうと自分を責めた。

 怪しいものだけを探そうと躍起になっていて、ラファエラはあることを失念していたのだ。

 時間。

 ラファエラを擁護するなら疲労や焦りもあり、更にカメラの映像が白黒のものが多かったので時間の感覚を失念してしまうのも致し方ない。

 一般市民が玄関前に設置したカメラの映像に制服姿の生徒が映っていた。

 時間は午後九時半過ぎ。

 カメラの画像は荒く暗いが、人が家の前を通るとセンサーに反応して明かりがつく自動感知タイプの照明のおかげで幸い顔が映っていた。

 ラファエラはすぐに顔写真つきの名簿の入ったフォルダをパソコンで開き、照合する。

 十分ほどで目当ての人物は見つかる。

 名前は佐々木百夜、鳴神高等学校に所属と書かれていた。

 クラブ活動をしていたとしても、学校まで徒歩十分の距離ということをを考えればこの時間に帰宅するとは考えにくい。

 時間を遡って白夜に注視するともう一つ不可解なことがわかった。

 夕方に一度学校から帰って来ている。そして、午後七時過ぎにどこかへ行き、午後九時過ぎに帰って来る。

 それも制服姿で行動している。一度帰宅したのに着替えていないことも不可解だが、そもそもどこへ行ったというのだろうか。

 これだけで白夜が犯人と言い切るには恐ろしく弱い、ただのあてずっぽうの予想だ。だが、行動が不可解なのも事実。

 会ってしまえば、ラファエラは予想を確信に変えられると考えていた。

 間違えていても構わない、とにかく今は正否の確認をしなければいけない。これにはそう時間はかからないからだ。

 経験上、目を合わせて会話することができれば相手が発症者かどうか、ラファエラには十中八九当てられる自信があった。

 それにしても和月は電話にでない。

 呼び出し音はすでに二桁を数えていた。

 その頃にはラファエラのイライラも頂点に達し、リズミカルに蹴っていた丈夫さだけが売りの机の足が曲がりつつあった。

「あんにゃろ……今すぐ爆破してやろうか!?」

 机を蹴りあげひっくり返すと携帯電話を壁に叩きつけようと手を振り上げるが、すんでのところで踏みとどまった。

「あぶないあぶない、もう今月三台目だぞ、まったく……最近の携帯はちょっと壁に投げつけると、ボン! だからな。気合とか根性が足りんよ、まったく……」

 ブツブツと呟くラファエラの視線の先には携帯電話の部品の欠片が突き刺さった壁があった。

 ラファエラの力で壁に投げつけられて、ボン! しない携帯電話は恐らくこの地球上に存在しない。彼女はちょっと体調不良のメスゴリラになら腕相撲で勝てるほどの膂力の持ち主だからだ。

 十五回目の呼び出し音の後、携帯電話を閉じ、胸元にしまいこんだ。

「このクソ一刻を争う時に出ないとは、舐めやがって……蒼太としっぽり何かやってんじゃないだろうな」

 ラファエラは事務所から飛び出すと、教会の裏に駐車してあるバイクに跨りイグニッションキーを捻った。

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