第16話『12月16日』

『十二月十六日』

 少年が息を切らせ、ステンドグラス煌く室内に入ってくる。

 場所は教会。時は宵の口。

 教会内は白を基調とした荘厳な趣を纏い、いかにもな神聖性を醸し出していた。

「はぁはぁはぁ……」

「おやおや、近所でマラソン大会でもあったのか? それならここは給水所じゃないし、ゴール地点でもない。お帰りはあちらだよ」

 汗だくの闖入者に、講壇椅子に腰掛けた褐色の肌のシスターがやる気のなさそうな声でやる気のなさそうな言葉をかける。

 ずり落ちたサングラスの位置を指で調整しながら本来なら背中を預ける背もたれの上部に顎と肘を乗せ、馬にでもまたがるようにして座面に座っている。

 修道服を着ていなければ彼女がシスターだと誰一人として信じないだろう。

「違うんだ、シスターを出してくれ」

 歳の頃は十代半ば、学生であることは服装を見れば明らかだ。

「目の前にいるだろ? よく見ると学生服か……平日のこんな時間に尋ねてくるのは感心しないんだが、意味なくサボったってわけでもなさそうだ」

「当たり前だ! じゃなきゃ、こんなへんぴなところまで尋ねるかよ。それに時間の感覚が狂ってるんじゃないか? もう授業は終わってる」

 サボったという指摘は否定しない。

 この教会のある場所は、一言で言うなら郊外である。用事がない限りは訪れる者などほとんどいない。

「そりゃすまなかったな、ここ最近、奥にこもりっきりで時間の感覚がガバってるんだ……だが、残念だ。せっかく来てくれたところ悪いが、昨日から神はバカンスに行ってる。来年まで返って来れそうにないってさ」

 猫でも追っ払うように、少年へ向け腕を振った。

「まぁ、どうしても神に祈りたいというのであれば、留守番電話代わりのあたしが聞いて神様に言っといてやるけどどうする?」

「話を聞いてくれ。ここに十万ある。聞いてくれるだけでコレを置いていく」

「だから、そう言っているだろ?」

「そうじゃない……命を狙われてるんだ!」

「……じゃ、そこに入れときな」

 入り口に設置してある献金箱を指差す。

「……」

 ポケットから取り出した皺だらけの札を無言で献金箱に入れる。

 少年は学校では知らないものはいない人物だった。

 両親が企業の社長をやっており、そのおかげでこの少年の羽振りもよかった。

 金に物を言わせて何かをすることに長けており、やりたい放題する彼を上級生の不良グループも一目おくほどであった。

 そんな彼が、白夜をイジメていた理由は特にない。

 あえて理由を挙げるなら、彼が暇を持て余していた頃に、白夜がイジメのターゲットになっているという話を耳にしたという些細な理由に過ぎない。

 殴っても蹴っても泣かない白夜のことをつまらない奴だと思っていた。

 途中からは半ば意地になってイジメていたが、いつしか考えが逆転する。

 どういうことをすればこいつは泣くんだろうか?

 それは実験といってもいい。

 彼と白夜の関係は研究者とモルモットのような関係になっていた。

 彼の手と彼の取り巻き、そして元々イジメていた者達によって様々なイジメが行われた。

「その金の出所は聞かないよ。金は金だからね」

「あんた本当にシスターなのかよ……」

 会話のどこを切り取っても、少年が目の前の人物を疑う理由になり得る会話だった。

 そんな少年の問いを、十字架ついてるだろう、とばかりにベールの隙間から耳を出し、一蹴する。

「イヤリングになんてしていいのかよ」

「問題ないさ、神は寛大だからな。ここで話すのもなんだ、迷える子羊よ、あちらへどうぞ」

 どこかへ少年を案内しようと立ち上がった彼女の背丈は決して小柄とはいえない少年よりも頭半個分ほど大きく柄の悪さも手伝い、知らず知らずの内に少年を緊張させた。

「……」

 少年の喉が鳴る。

「なんだ、取って食いやしないよ。なんなら水くらいは出す。話を聞くには適切な場所っていうのがあるんだよ」

 教会の奥にある部屋へ少年を案内する。

 修道服をよく見ると彼女の趣味なのか所々改造されており、胸元は大きく開かれ、スカートにはチャイナドレスのように大きくスリットが入っていた。

 少年は彼女に案内されるがまま廊下をしばらく歩き、一枚扉を抜けると事務所のような場所にでた。

 ただ事務所というには生活観が前面に押し出され過ぎている。

 壁紙は煙草のヤニで黄色く変色し、床には煙草の灰が散見され、部屋の真ん中に置かれた机の上は空いた酒瓶で山盛りとなっていた。 

 誰がどう見ても仕事が出来る環境ではないだろう。

 人が十人も入れば息苦しさを感じるであろう部屋の中は物が乱雑に置かれた安っぽい机と安っぽい椅子が一セット、あとは折りたたまれた椅子が数セット壁際にあるだけで、他は何もなかった。

 いや、一つだけ他の事務所には絶対においてないであろう物が狭苦しいこの部屋に鎮座している。

 それは黒塗りの木材で作った扉が二つある少し大きめの電話ボックス、といった形容のものだった。

 突然何かが落ちる音で、謎の物体に目を奪われていた少年は背を震わせ我に返る。

「これを見ると本部の連中がうるさくてな」

 ビールの缶と山盛りになった灰皿を机から豪快に手で払い落とし、脚で部屋の隅に追いやる。

「……」

 緊張しているのか、少年は汗を拭い大きく息を吐く。

「悪いね、暖房はかけっぱなしにしている。光熱費は教会の本部が支払うから、使わなきゃ損だからな。だけど暑かったら言ってくれ、そこの箱の中で聞くから」

 先ほどから少年が気にしている部屋の隅にそびえ立つ謎の箱を顎で指す。

「聞くだけ?」

「ああ、聞くのが仕事だからな。行動するにはエネルギーが要る」

 親指と人差し指を付けお金のジェスチャーをみせる。彼女が話すエネルギーとはお金のことのようだ。

「随分と仕事熱心ですね……」

 彼女の雰囲気に気おされたのか、少年は自然と敬語になる。

「仕事熱心で思い出した……ほら受け取れ」

 豊満な胸元をガサゴソと漁ると、長方形の紙を一枚取り出す。

「名刺……?」

「まじまじと見ても私の名前とここの住所程度しか情報は載ってないがね、悪いがここに電話はないんだ。寝てる時にかかってくると、破壊衝動が湧いてくる。私のことはそこに書いてある名前で呼んでくれ、主語がないと困る時もでてくるだろ?」

「ラファエラ……」

「天使と間違えるなよ?」

 ラファエラは似た名前の天使のことを言っているのだろう。

「……」

「それじゃあ、本題に入ろう。そこに入りな」

 ラファエラの視線は部屋に似つかわしくない黒塗りの箱を指している。

「ざ、懺悔室……?」

「私に理解できる範囲でなら好きに呼んでくれて構わない。懺悔室でも告解(こっかい)部屋でも赦しの秘蹟を行う部屋でも、ここから気に入ったやつを好きにチョイスしてくれ」

 少年は素直に二つある扉のうち一つを開け、黒い箱に入っていく。

 同時にラファエラも少年が開けた扉の反対側にある扉を開け入る。

 中は薄暗く、椅子だけがある狭い空間だった。大柄な人間なら身体を少し揺するだけで、肩が左右の壁にぶつかってしまうだろう。

 両者椅子に腰掛ける。

 一人は足を組み、火のついていない煙草を咥えて。

 一人は両膝を揃え、緊張の面持ちで。

「どうだい? ここならなんでも話せるだろ? いい話し悪い話お好きにどうぞってやつだ」

「……」

 少年からの返事はない。舌打ちをするラファエラ。

 箱の中は木の板で仕切られており、お互いの声は聞こえるが姿が見えないようになっている。

 その木の板越しに、ラファエラと少年は話し始める。          

「で、今日は、どういう用向きでうちにきたんだい? だんまりは止めてくれよ、時間だけがかかっちまう。そもそも、なんでココなんだ?」

「ネットで見たんだ。数ヶ月前のバラバラ殺人事件をここの教会が解決に導いたって」

「たまたま警察関係者に古いお友達がいて、そいつのお願いに答えてやっただけさ。解決したのは警察だよ……それにしても今じゃ、インターネットでなんでもわかっちまうんだな。便利な世の中になったもんだ」

 器用に煙草を咥えた口で感慨深げに呟く。

「じゃあ、俺のお願いにも答えてくれよ!」

 肩が告解部屋の壁にぶつかり、小さく揺れる。

「あのな……内容もわからないのに答えようがないだろ?」

「あ、あの、信じてもらえないと思うんです」           

「私は何でも信じるさ。なんたって神を信じてるんだぞ、私は……説得力あんだろ?」            

「……殺される!」             

「誰に?」                          

 慌てず、言葉を促す。                          

「佐々木白夜にだ!」                     

「なぜ?」                            

「あいつをイジメてたやつが二人立て続けに殺されてるんだ。だから次は俺かも知れない、何とかしてくれ!」

「たまたま被害者にそういう共通点があっただけかもしれないだろ?」     

「偶然だと?」                    

「それにな、そういうのは警察に行け」  

「警察に行って、イジメてた子に復讐されそうです。なんて言えねえよ」

「どういう風にイジメてたか、根掘り葉掘りだもんな。痛くもない腹ですら探られたくないのに、痛い腹なら尚更ってわけか、そうだろ?」

「……」

「まぁ、警察に行ったところで女子高生が人をあんな風に殺すなんて信じないだろうしな。安心しろ、数々の人間を救ってきた神だ、何を言っても神はお前さんを見捨てはしないだろうぜ、ちなみにどういうイジメをしてたんだ?」

「……」

「ここに来た理由ってのはネットでここの評判を見て、あわよくば助けて貰おうって話なんだろ? ここは心に溜まったものをゲロ……吐き出す場所だから吐いてもらうぞ」

 もちろん少年に話す義務などないが、数十秒の沈黙の後、重々しい口を開いた。

「髪を切ったり焼いたり、水をかけたり、机を前衛的に削ったり、暴行を加えたり……」

「そんだけして何も反撃してこなかったんだろ? そんな根性のねえやつは死ぬまでイジメられ続けるさ」

「そうそう、あいつ表情も変えず淡々と殴られ続けるの! それが面白くて面白くてさ。一日に全部してやったこともあるんだぜ!」

 告解部屋の壁を叩き、心底楽しそうに笑う。

「はっはっは、そりゃ豪勢なフルコースだな、とても食べきれそうにない」 

 ひとしきり笑うと声のトーンを一段下げる。

「お前救えねえよ」                 

「か、神は赦すって――」

 慌てた少年の声が裏返る。

「神は赦すだろうさ、なんでもかんでも赦すからな。だけど、私は赦さねぇわ、神じゃねぇからな。だってお前最悪じゃん、無抵抗の人間ボコリ続けたんだろ、並の人間じゃ出来ないってそういうの……この際、そいつの復讐を受けきるってのが筋ってもんだろ? 大人しく殺されとけって、な?」

 最後はなだめるように、諭すように問いかける。

 先ほどまでの感情を前面に出すラファエラはいなかった。少年からは姿は見えないが目も顔も笑っていないことは想像に難くない。

「そんな……」

「加害者側の時はヘラヘラ笑ってやってたんだろ、被害者側の時も笑って死ねって」

「俺は佐々木を殺してない」

「殺すと後が面倒だからだろ? もし、その面倒ごとがなけりゃお前、多分殺してるよ。絶対に学校にばれることもなく警察にも捕まらない、って条件下なら確実にな」

 咥えていた火のついていない煙草を不愉快だとばかりに吐き出す。

「じゃあ、俺はどうすればいいんだよ……被害者が佐々木をイジメていたって言うのは偶然かもしれないけど、もし偶然じゃなかったら俺もあんな風に――」

 インターネットで閲覧できる匿名掲示板で、被害者がどういう死に様だったかは出回っている。それを見て少年は怯えているのだろう。

「――死にたくない。何とかしてください! なんでもします!」

「ん? 今なんでもするって言ったな?」

「え?」

「二百万だ。それが用意できるなら助けてやる。親が金持ちなんだ、適当になんか話せばそれくらいの額引っ張れるだろ?」

「どうして――」

 そんなことを知っている? という言葉を飲みこむ。言葉を発するとその事実を認めることになる。そうなると足元を見られかねない。それは本能的な自衛。

「お前さ、最近くしゃみ止まらないだろ? その辺を歩けば不良やチンピラが勝手にお前さんのことを噂してるぞ?」

 あえて噂話の内容を言わなかったのだろう。ラファエラからすれば少年に勝手に想像してもらう方が色々と都合がいいからだろう。

 ここ数日、外に出ずに引きこもっていたのだから、そもそもこの話自体が大金を引っ張るための大嘘の可能性が非常に高いのだが、少年には知る由もない。

「……」

 少年は下唇をかみ締める。

「安心しろ、無駄金になりはしないさ。お前さんの勘が当たっているからだ。二人を殺ったのは佐々木白夜だ。それにしても依頼人として来るなんてツいてるよ、お前は」

 心底楽しそうに笑みを浮かべ、懐から取り出したタバコに火を点け咥える。

「え?」

「依頼人じゃなければ私が殺してた」

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