4.《空洞》の終着点/全て意味のない……

4.《空洞》の終着点/全て意味のない……


 では、このように《空洞》への葛藤に苦悩する語り手の心の揺らぎは、どのように終着点を迎えるのか。最後にゆらゆら帝国後期の楽曲を見ていくことにしよう。2003年の8th『ゆらゆら帝国のしびれ』/9th『ゆらゆら帝国のめまい』(この二作は同時リリース)から、2007年に発表された彼らの最後のアルバムとなる11th『空洞です』までが、ゆらゆら帝国の後期とされる。



「からっぽの町」(9th『ゆらゆら帝国のめまい』より)

作詞/坂本慎太郎


灰色のコンクリート 無情に響く足音

あ~俺が遠離ってゆく 無用になったっていうことか

最果ての凍り付いた 架空の町の出来事

あ~それが遠離ってしまう 無用になったんだ全て


黒い車には町の葬儀屋が 砂埃を巻き上げ仕事を探してる

あとは誰もいない からっぽの町で

風が掃除をするように通りを吹き抜ける


暗い色のロングヘアー 聴こえだす枯れた口笛

あ~俺が遠離ってゆく 無用になったっていうことか


今日のひび割れた俺の残像が 花束を片手に通りをうろつく

あとは誰もいない からっぽの町で

風が掃除をするように通りを吹き抜ける


最果ての凍り付いた 架空の町の出来事

あ~それが遠離ってゆく 無用になったっていうことか

無用になったんだ全て

無用になったんだ全て



 架空の町の出来事を歌ったこの楽曲において、語り手の眼には「全てが無用」に映る。町の風景が、音が、そして自分が、全て意味のないものに感じられるのである。「からっぽの町」というタイトルからも察せられるように、語り手はここで、「町」の風景、すなわち「外部」までにも《空洞》を感じ始めるのだ。

 さらにここでは、「他者」というものが失われる。いや、正確には存在しているのだが、彼らは「葬儀屋」「暗い色のロングヘアー」「枯れた口笛」というように、喪失感をともなった、生命力のないイメージで象徴的に描かれる。すなわち、ここに描かれる「他者」は、語り手にとって意味をもたない、物質的なモノとして認識されるのだ。ちょうど、初期の楽曲の中で「生きている自分との隔たり」から「生という実感の欠如」が生じたのと同じように。

 そうして、語り手にとって「外部」が、「他者」が、そして自分までもが、意味のないものに成り果てる。「自己の不必要性」を自覚するのである。なぜなら、意味をもった「他者」がいないのならば、「自己」というものも無用になるからだ。「自己」という概念は、「他者」という概念があることで初めて成立するためである。「外」がなければ「内」がないのと同じように。



「あえて抵抗しない」(11th『空洞です』より)

作詞/坂本慎太郎


さしずめ俺は一件の空き家さ

垣根も鍵もついてないつもりさ

住もうが 焼こうが 好きにしな もししたいのなら

さあやるがいい さあやるがいい さあやるがいい


さしずめ俺はちょっとしたくぼみさ

特別邪魔になっていないつもりさ

掘ろうが 埋めようが 好きにしな もししたいのなら

さあやるがいい さあやるがいい さあやるがいい


さしずめ俺はかつてつくった傷さ

忘れるほど目立っていないつもりさ

でも 拭こうが こすろうが 確かにまだそこにある

さあやるがいい

さあやるがいい 

さあやるがいい

さあやるがいい



 ゆらゆら帝国の最後のアルバムとなる11th『空洞です』から。このアルバムでは「空っぽな感覚」というコンセプトを徹底的に追求した。統一的なテーマがありながら、アルバム全体の起承転結はほぼ皆無。肉体的なカタルシスや感情の起伏といったものも一切排した、ないない尽くしの作品である。

 この楽曲では語り手の「内部」にできた《空洞》が、「一件の空き家」「ちょっとしたくぼみ」「かつてつくった傷」という言葉で表現される。そして、そんな自分を自覚しながら「もししたいなら好きにしな」「さあやるがいい」と、挑発するように語りかける。ここには《空洞》に対する諦めにも似た開き直りがある。先の楽曲において、語り手は「外部」あるいは「他者」までをも《空洞》とみなしたことは既に述べた。重要なのは、語り手がそこで「自己の不必要性」を自覚したこと。すなわち、「外部」そして「他者」が全て意味のないものであるならば、それらによって規定され成立する「自己」も、まったく意味のないものだということを自覚しえた点である。ここから導き出されるのは、「自己」というものが無用で意味のないものであるならば、その存在について懐疑的になったり思い悩んだりすることも、まったく意味をなさない行為であるということである。

 この過程において、語り手は《空洞》との葛藤を乗り越えた。「病気なのか」「陽気なのか」と不安を抱くことをやめた。言うなれば、自身のうちにできた《空洞》を完全に受け入れ、真に「無自覚な存在」になりえたのである。


 このアルバム11th『空洞です』を発表した後のライブツアーで、ゆらゆら帝国はこう語った。


「我々は、はっきりとバンドが過去最高に充実した状態・完成度にあると感じました。この3人でしか表現できない演奏と世界観に到達した、という実感と自負があります。しかし、完成とはまた、終わりをも意味していたようです。ゆらゆら帝国は完全に出来上がってしまったと感じました」


 この言葉を最後に、2010年にゆらゆら帝国は解散した。11th『空洞です』は、ゆらゆら帝国というバンドの最後、そして彼らの《空洞》の物語の終着点でもあるのだ。

 最後に、このアルバムのラストを飾る収録曲を見てみる。ずいぶん長々と歌詞を見続けてきたが、本当にこれが最後である。



「空洞です」(11th『空洞です』より)

作詞/坂本慎太郎


ぼくの心をあなたは奪い去った

俺は空洞 でかい空洞

全て残らずあなたは奪い去った

俺は空洞 面白い

バカな子どもが ふざけて駆け抜ける

俺は空洞 でかい空洞

いいよ くぐりぬけてみな 穴の中

さあどうぞ 空洞


なせか町には大事なものがない

それはムード 甘いムード

意味を求めて無意味なものがない

それはムード とろけそうな

入り組んだ路地であなたに出会いたい

それはムード 甘いムード

誰か 味見をしてみな 踊りたい

さあどうぞ ムード


ぼくの心をあなたは奪い去った

俺は空洞 でかい空洞

全て残らずあなたは奪い去った

俺は空洞 面白い

バカな子どもが ふざけて駆け抜ける

俺は空洞 でかい空洞

いいよ くぐりぬけてみな 穴の中

さあどうぞ 空洞


空洞

空洞

空洞

空洞

空洞



 最後に繰り返される「空洞」という言葉とともに、この楽曲はフェイドアウトするように静かに終わりを迎える。甘美で多幸感に満ちたメロディと「いいよ くぐりぬけてみな 穴の中/さあどうぞ 空洞」というフレーズからは、語り手自身の《空洞》すなわち「無自覚な存在」「意味のない存在」となった自分自身への絶対的な自信と肯定感が窺える。

 そして「意味を求めて無意味なものがない」という部分。本稿で追いかけてきたゆらゆら帝国の《空洞》の物語は、この言葉に収束する。「意味を求めて」「無意味なものがない」とは一体どういうことだろうか。これについては、次の「おわりに」の章で述べさせていただくことにする。

                                (つづく)

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