子犬の思い出

 いまでは全く見かけることはないが、僕が子供の頃には、まだ野良犬が町中をよく徘徊していた。たまに小学校の校庭にうっかり入り込んで悪ガキどもに追いかけ回されたり、マジックインキで眉毛をいたずら書きされたりと、恰好の慰み者にされる気の毒な犬もいた。などというと他人事みたいだが、僕も当時はそんな悪ガキの一人だった。

 戦後の急速な復興が一段落して、庶民の生活の質も次第に向上しつつあった時代であり、野良犬たちも餌に不自由することはなかったようである。

 しかし、そのような人と野良犬の平和な共存関係も長くは続かなかった。

 ある年の春、狂犬病が全国的に大流行したのである。

 政府広報が出されて、野良犬を見つけた者は直ちに保健所に連絡しなければいけなくなった。まもなく僕が住んでいた小さな町でも、灰色の服を着た野犬狩りの男たちが険しい眼つきをしてパトロールを始めた。

「野良犬を見かけたら絶対に近づかないで、すぐに誰か大人のひとに知らせること。わかりましたね」

 月曜の朝、全校朝礼で校長先生がそう話したとき、僕の心臓が早鐘を打ったようにドキドキしていたことは、今でもはっきり覚えている。

「ねえ、どうしよう」

 朝礼が終わり教室に戻ると、たっちゃんが僕にひそひそ声で話しかけてきた。もちろん僕には何のことか、すでにわかっていた。そのとき僕たち二人は、何日か前に一緒に拾った子犬を、学校近くの空き地にある物置小屋で、こっそり飼っていたのである。

 その日の放課後、僕たちは急いで空き地に向かった。人目を避けて小屋に入ると、古道具を積み上げた奥の方から、焦げ茶色の小さな塊が走り出てきた。

「ジョン、お腹空いたろ」

 僕たちは子犬の頭をなでて、それから持ってきた給食の余りを食べさせた。

「ジョンも殺されちゃうのかな」

 たっちゃんが不安げに呟いた。

「ばか。そんなことさせるわけないだろ」

 僕はそう言ったが、本当のところ、この先どうすればいいのか途方に暮れていた。二人とも家がアパートなので犬を飼うことは出来なかったし、野良犬を引き取って飼ってくれそうな知り合いもいなかった。かといって、この小屋でこのまま飼い続けていたら、いずれは誰かに見つかって、通報されてしまうだろう。

 野犬狩りに捕まって保健所に連れて行かれた犬たちは、小さな部屋に閉じ込められて毒ガスを吸わされ、何十分ものあいだ苦しみ抜いて死ぬのだと噂されていた。

「ジョンをそんなひどい目に合わせるわけにはいかないよ、絶対に」

 そして僕はある決心をした。

 改めて道具を用意する必要はなかった。物置小屋の中を探せば、手頃な長さの丈夫な紐がすぐに見つかったし、スコップも幾つか置いてあった。

 渾身の力を込めたので、数秒で終わった。終わらせた。僕の手のひらには、くっきりと赤く紐の跡が残った。それから僕たちは各々スコップを握って小屋の外に出た。

 後片付けを全部済ませた後、たっちゃんが春の野花を摘んできて、空き地の隅の、埋め戻された土の上に、そっと置いた。

 その日を最後に僕たちは、二度とその空き地に遊びに行くことはなかった。

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