第三十九話 赤い大地
赤い土が舞い上がっては 追憶をつついてしまう
夜の蜻蛉が 今日の明日を数え上げる
何気ない顔して 約束してしまおう
いつか そこに行くって
いつか ここに戻ってくるって
君がいた季節 僕は忘れないだろう
行けるとこまで行ったら
ひと休みして その風景の中で佇むんだ
そしてまた 歩きだしてゆく
そう 歩きだしてゆく
痣だらけの顔をおさえ、キングスキャニオンを降りていくと、少人数のツアー団体に出くわした。
その団体のガイドでジャンという人は親切で、僕が「旅の途中で迷ってしまった」と言うと、ツアーの途中参加という形で一緒に行動するよう誘ってくれた。しかも、エアーズロックに向かうツアーだという。災い転じて福となす、とはこういうことだろう。
まあ、車くらいはジェイソンに残しておいてやろう。
満天の星空の下、ビールとキャンプファイアを楽しんだ翌朝、僕はツアー客と一緒に、〈ウルル国立公園〉へと向かった。その公園にはエアーズロックと、オルガ奇岩群がある。
まずは、〈オルガ奇岩群〉へと向かった。
そこは、標高千七十メートルほどの大きな大きな奇岩山が三十六個も寄り集まっていて、エアーズロックと並ぶ観光名所となっている。キングスキャニオンと同様、ここを歩くのには相応の体力がいるが、代わりに迫力ある景観をおがむことができる。
そして、この奇岩群の内部には、とっておきの見晴らし場所があった。
〈風の谷〉――
橙色の断崖が眼上にそびえ、その岩肌に点在している窪みには何か未知の生きものが住んでいそうで、〈風の谷のナウシカ〉の実写版といったような風景だ。
両端の断崖がゆるやかにV字型に開いている向こう側には、緑地と砂地が混合した地帯が自然の田園となって広がり、その田園の背後には岩群がそびえていた。
それは、大いなる力が描いた、途方もない一枚絵のようだった。
この谷をぬっていくように流れゆく風は、静かな音楽を奏でつつ、そっと、旅人の肌を撫でてゆく。
東から西へ――
太陽が毎日繰り返すこの動きが、今日の僕にとって特別な日を演出してくれることは間違いなかった。素晴らしき風の谷を去り、いよいよエアーズロックへと向かうのだ。
あと二時間も経てば陽は沈んでゆくだろう。
バスの中でうとうとしていたが、ふと窓の外に目をむけると、悠然とそびえるものが僕の目を釘付けにした。
エアーズロック――。
今までのオーストラリアの生活が、フィルムのように、頭の中で次々と映しだされてゆく。
もっと近くまで――
バスは変わらぬ速度で、偉大な岩へと近づいていく。
エアーズロックの展望場所に着くと、二百人くらいの人達がいた。さすがに、オーストラリア観光の目玉だ。
ここを一年間の最終目的地としたのは、ありきたりなことかもしれない。
でも、そんなことはどうでもいい。
大事なのは、自分で設定した道を、つまづきながらも通ってきたことなのだ。そして、その過程で、眼に写る景色を自分の心の根っこに刻んでゆくことなのだ。
今、目の前にある大きな一枚岩は、揺るぎなく自分の目的地としてそびえ立っている。とてもひとつの岩とは思えないほど、雄大で、見事なほどに柔らかな台形を成し、この赤い大地に悠々と佇んでいた。
青い空に浮かぶ太陽が西に傾いてゆくにしたがって、エアーズロックは色を変えてゆく。優しいオレンジ色から、狂気と美しさ、そして強さを備える激しい赤へ。それは人の心の変化をも映しだしているようで、観るものの足を大地に固定させてしまう力があった。
夕闇が辺りを支配するまで、僕はじっと、その岩と向き合っていた。
その晩、今日という特別な一日の終わりに、旅人達はビールで乾杯した。僕もいいほろ酔い加減になって、この二度と来ない夜を楽しんでいた。
夜が進み、何人かの旅人は寝てしまったが、僕はなかなか寝付けず、コーヒーを片手に岩に腰かけ、ぼんやりと星を眺めていた。すると、のそのそとガイドのジャンさんがやってきて「俺も寝られないんだよ」と言い、となりに腰かけてきた。それから二人で色々なことを話した。
「ガイドの仕事ってなあ、まあけっこう、きつい時もあるさ。イカれた客もいるしな」
「ほとんど毎日、エアーズロックを見るんですか?」
「月に十回は見てると思うよ。まあ、仕事に飽きることはあるが、あのでかい岩にゃ、不思議と飽きねえな。あの岩は時々、いつもと違うすごい表情を出したりするんだ。それが楽しみなのさ」
「すごい表情って?」
「ん……うまく言えないが、まあすごいんだよ。いや、俺はガイドだってのに、うまく言えない……でも、すごいんだ! わかるかなあ?」
「うん、わかります。すごいんでしょ?」
「きっと、ゴスケはいい絵描きになるよ」
僕はカラカラッと笑った。「そうなれるといいですね」
ジャンさんは、ここにいるみんなと同じように、世界のどこかで足跡を残してきた人なのだろう。辺りは暗いけれど、その目は微かに光っていた。
「俺は南アフリカから逃げるようにしてここまで来て、いつの間にかここに住み着いちまった。まあ、生きてる限り、どうにかできる道はあるってことさ」
このツアー団体は、明日の夕方にはアリススプリングに戻る予定だ。が、僕はもう決めていた。
「ジャンさん。俺、明日は町に戻らないです。もう少し、ここに残りたいんです。エアーズロックを描きたいんですよ」
ジャンさんは微笑みながらうなずいた。
「うん、それがいいよ」
月は空高く、中天にさしかかろうとしていた。
夜更け過ぎに雨が降ってきた。朝になると、観光客は朝焼けしたエアーズロックが見えるのか心配になっていたが、実は、その雨は、自然が描く芸術の材料の一つだった。
雨がしとしとと滴るくらいまでに落ちつきはじめると、うっすらと、陽が神の岩を差しはじめた。
やがて、七色の虹がすうっと現れはじめ、いつの間にか、この大きな岩にわたって架かっていた。
思わぬ幻想的な景色に、人々はただ感嘆の音をあげるばかりだった。もちろん、僕もそのうちの一人だ。
今この瞬間、ここにいる人々は同じ時間を共有しているのだ。
ジャンさんが言った。
「これがすごい表情ってやつさ。俺たちは運がいい」
僕はにこりと笑った。
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