第三十八話 さあ、決着だ

「さあ」


 ジェイソンが覗き込むように近づいてきた。

 僕は、唇が震えそうになるのをこらえる。


「わかった。こんなもんあげるから、もう勘弁してくれ」


 大きく頬を緩ませるジェイソン。

 地面に背をつけたまま、僕は首を上げてネックレスを外した。


「ほらよ」


 手を伸ばすジェイソン。


 その顔を見ていると、熱いものが僕の腹をぐるぐるとしだした。


(やっぱり、こんなんじゃダメだ……)


 ネックレスにジェイソンの手が触れた瞬間、ガバッと身を起こし、その手に噛みついた。


 悲鳴を上げるジェイソン。

 ずきずきとする足で、ジェイソンの左足を薙いだ。


 ジェイソンが、転んだ。


「いつも、詰めが甘いんだよ」


 そう吐き捨て、ネックレスを強く握ったまま僕は懸命に走った。まだ頭がふらふらするし、こんな状態でまともにやり合っても、とてもジェイソンには勝てそうもない。

 今は、とにかく身を隠すことだ。


 走った。きっと、遅いだろう。それでも走った。身を隠せる岩がたくさんあるので、そのうちの一つにまわり込むと、腰を落とした。途端に、息をつく。肩からかけてあるバッグから水を取り出すと、がぶ飲みした。


(ジェイソンの野郎……)


 ようやく息が整ってくると、少し目を閉じてから、岩陰から走ってきた道を覗いてみた。幸い、ジェイソンの姿は見えない。


 空を見た。眩しいほど青い。もう一度、目を閉じた。


 以前の僕だったら、ジェイソンにネックレスを渡したまま、見逃してもらおうとしたかもしれない。でも、反射的に身体が動いた。


 気分は悪くない。


 バッグの中をごそごそとやってから、服とズボンについている土埃を払った。

 そのまま少し休んでいると、ぽろぽろと、頭の上に小石が落ちてきた。


(いる……!)


 今、ジェイソンはこの岩の上にいて、僕を見下ろしている……。


 体中の神経に気を配った。とてもジェイソンから逃げ切れる足じゃないし、そうなると、これからやってくるはずの彼の落下攻撃に備えなければならない。


 耳をすました。風の音。遠くからだ。

 また風の音。近い。


 ぐっと右腕を上げて、僕は立ちあがった!


 どさっ。


 ジェイソンは、地面に突っ伏し、呻いている。


 僕の右手にはブーメランが握られている。別れ際、剛からもらったものだ。まさか、こんな所で、こんな至近距離で役に立つとは。カウンターではいったんだから、ジェイソンは相当痛いに違いない。


 何にしろ、この場は早く立ち去った方がよさそうだ。そう思って足を動かそうとすると、ジェイソンの叫び声が聞こえた。

 この地にはびこる獣のような唸りに、本能的に僕はふりかえってしまっていた。案の定、彼は凄まじい形相で襲いかかってきた。


 掴みあったまま、転げ回る僕たち。少し有利なポジションになると、当たろうが当たるまいがお互いのパンチがとんだ。そのまま、また掴みあったまま転げ回った。


 気がつけば、崖はすぐそこだった。これ以上転げまわったら、二人とも奈落の底に落ちてしまうだろう。

 さっきのブーメランでの一撃が利いているのか、ジェイソンの力は次第に落ちてきている。僕は、グッと力を込めて、ジェイソンとの位置を無理やり入れ替えた。これで、ジェイソンは下で、僕は上のポジションだ。


「さあ、ここから突き落とされたくなきゃ、もう観念して帰りやがれ」


「ジャップが、こんなとこで人殺しすんのか? おまえさん、人のことをロクデナシ呼ばわりできねえな」


 ジェイソン……本当に嫌な野郎だ。


 今、もし気を抜いたら、どうなるのか分からない。


  そう、こいつとはここでもう、おさらばしなきゃならない。


「最初から、こうすりゃよかったなあ」


 僕は笑う。

 ジェイソンが、初めて怯えた目をした。


「お、おい、なにする気だ? まさか、おまえ」


 ジェイソンの目の前で、ネックレスを持った手をかざす。

 思いっきり、腕をふった。


 奈落の底へと、弧を描いて落ちていく獅子の証。


「これで、もう俺を追う理由はねえよな」


 ジェイソンは、不自由な体勢から何とか首をまわし、崖の方を見つめている。


 体を離し、僕は立ち上がった。それでも、彼は起きなかった。いや、起きられないのだろう。


「あんたはあんたの旅をしろよ。俺は俺の旅をつづける」


 バッグを拾い、土埃を払って、僕は歩きはじめた。


「くそったれ……」


 力なくそう言ったジェイソンの声が聞こえたけれど、構わず歩きつづけた。

 しばらく経ってから、もう一度ふりかえった。ジェイソンは地面と一体化したかのように、虚空を見上げている。


 ホーッとため息をついてから、カバンを開けた。そこには、ライオンのヘッドがついた銀のネックレスがずっしりとした重みをたたえ、入っている。


 あの時投げたのは、日本から持ってきたネックレスだったのだ。


 くすくす、と笑ってから、カバンを閉めた。


 何にしろ、こんなネックレスをいつまでも持っているのも、ろくなことが無さそうだ。パースに帰ったら、警察署に届けよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る