第三十七話 エデンの園で
「んじゃあ、いくぜよ!」
ポールさんの声真似をしたジェイソンが、ハンドルを握って叫んだ。
二人で折半してレンタカーで行った方が安そうなので、そうすることにしたのだ。
それにしても、あのジェイソンと仲良くなるなんて。
サンが聞いたら、小便でも漏らすんじゃないか。
さまざまな場面と立ち会い、色々な景色を観て、今、そこに辿り着こうとしている。
エアーズロックへ――
車は、砂漠をつっきっていく。
僕は、じっと、外の景色を眺めていた。
ひとまずキャンプするべく、僕たちは〈ワタルカ国立公園〉に停まった。この地に広がる〈キングスキャニオン〉はオーストラリア版のグランドキャニオンともいうべき地で、大峡谷の絶壁をなす赤系統の岩石が、一日の流れとともに濃淡の変化をみせ、壮大な景観をなしている。
僕は絶壁の縁に立って両手両足を左右に大きく伸ばし、向かい側の絶壁に向かって叫んだ。その後ろ姿を、パシャッと、ジェイソンが写真を撮ってくれた。
「ゴスケ、そそうも済ませるか?」
陽光が眩しい。
「水分とっときゃよかった。ここからしたら気持ちいいもんな」
峡谷の岩肌を僕たちは歩きはじめた。
眼下では、岩の隙間から苦しそうに木々が顔をだし、道なき道が両側の岩に押し出されるようにクネクネと曲がっている。もし、眼下までの距離を水平の位置にあてはめたとしても大して遠くは感じないだろう。けれど、その距離が実際に真下にあるとすごく遠く感じることが不思議だった。
またしばらく歩くと、不思議な空間に辿り着いた。
横から、ジェイソンの声がした。
「ここはエデンの園っていわれてるらしい」
エデンの園は、幾層もの地質で積み重なった三~六メートルほどの岩に囲まれた白砂の広場だった。そこは、ポツンポツンと点在する乾燥植物とともに、陽に照らされて白く輝いていた。まるで、映画〈ネヴァー・エンディング・ストーリー〉に出てきたような幻想的な庭園を偲ばせる、気品に溢れた場所だ。
「いいとこだなあ」
月並みにそんなことを口に出してしまう。
ひとまず写真を撮り、後日その写真を元にここの絵を描くことにした。スケッチに十分な時間がない時はこの方法を用いるのだ。今や、そのネタは十数枚に及んでいた。
「ん?」
足元で、土色のぶさいくなトカゲが歩いている。なんていうトカゲだろう。じっくりそいつを見ようと、屈もうとした。その時、
ガッ!
と音が鳴った。
痛い。自分の頭を押さえた。
いったい、なんだ。何が起こったんだ?
倒れ込んでから、何とか仰向けに体勢を変えた。頭をおさえていた手を、目の前にかざす。幸い、血は出ていないようだ。
視界の先には、ジェイソンが立っていた。右手に、カメラ用の脚立を持っている。
「ちっ、石頭だな。まあいいや、何とかなりそうだ」
「ジェイソン……あんた、どうしたんだ?」
ジェイソンはにやにやと笑っている。それは、一緒に農場で働いていた、あの時のジェイソンの表情だった。
「オイラが狂ったなんて、思わないでくれよ。ただ、人生には時としてこういう試練もあるってことさ。おまえさんも、そんだけひねくれてんなら、そういうのって分かるだろ?」
「ちっとも、分かりゃしねえよ。ただ、あんたが裏切ったってことだけは分かる」
睨みながらそう言うと、彼は勝ち誇ったように笑った。
「裏切った? そいつは違うよ、兄弟。ただ、おまえさんはゲームに負けただけさ」
そう言って、ひき笑いをする悪漢。
こんなことをしておいて、どうしてそんなに堂々とできるのか。
「ずっと、こうして人気のない所で、こうやっておまえさんを見下ろせる機会を狙ってたのさ。やっぱり、男はゲームに勝たねえとなあ」
何がゲームだ。おまえが勝手に作った下らない茶番だろうが。
「ずっと、俺をぶちのめすためだけに、ついてきたのか? 究極の暇人だな、あんた」
と、つい口にしたものの、すぐにやばいと思った。今、この男を余計に刺激するようなことは避けるべきなのだ。
けれど、ジェイソンの表情には、余裕が滲み出ていた。こんな風に人を追い詰めて、優越感を得るなんて、どこまでクソッタレな奴なんだろう。
「ほんとは、もっと早くこうしてるはずだったんだけどな。おまえさん、泣き虫なスズメみたいに用心深いもんだから、こんなとこまで来るはめになっちまった。まあいいさ、もうじき、旅費どころか、ベンツだって買えるかもしれねえ」
ジェイソンの足が弧を描いた。腹に衝撃が響く。僕は腹をおさえながら、このろくでなしを睨んだ。
「色々とくせえことを吐いてたけど、おまえさんは結局、ただの負け犬なのさ。そういうバカは、オイラみたいなクールガイにワインでも注いでりゃいいんだ」
悔しかった。悔しくてしかたなかった。なんで、こんな奴を信じてしまったんだろう。
「おまえさんが着けてるネックレス、オイラによこしなよ。そしたら、もう痛い目にあわねえで済むぜ」
「ネックレス?」
確かに、僕はネックレスを身につけている。銀製で、ヘッドに勇ましいライオンの顔が刻んであるものだ。サンと一緒にカラマンダを歩いているときに拾ったもので、今じゃ、すっかり気に入っていた。
ジェイソンにどういう意図があるのか分からないけど、このまま渡していいんだろうか。首元を少し震えた手でおさえながら、僕は背中をすりながら後ずさりした。当然それに合わせて、ジェイソンは歩をすすめる。
「確かにおまえさんは気に入らねえが、それだけで追いかけたと思われちゃあ、しゃくだからな。教えてやるよ。オイラ、そのネックレスがほしいのさ。もちろん、おまえさんとこうやってコミュニケーションをとるのも楽しいけどよ」
ジェイソンは、ますます醜悪な笑みを浮かべる。
「そのネックレスはよ、あの土地でくたばった大富豪の家宝のひとつなんだよ。一見、他の銀のネックレスと変わりゃしねえが、その値打ちは目ん玉が飛び出しちまうほどで、〈獅子の証〉って言われてるらしい。おまえさんがあの農場を出てった後に知ったから、半分あきらめてたんだけど、オイラあ、やっぱりついてらあ。農場を辞めてから、ジェラルトンでおまえさんを発見した時は、何時間も小躍りしちまったんだぜ?」
なるほど、と思った。不思議と驚きはない。
ジェラルトンか。
ミナに電話した場所じゃないか……。
ミナ、僕はあれから変わっただろうか――
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