第三十六話 旅は道連れ

 おまえさん どこに行くんだい

 そんなとこにゃ 何もありゃしないよ

 それでも行くってんなら

 こいつを持っていくといい

 効き目があるかなんて 分かりゃしないけど

 なんか かっこいいだろ




 隣の席に座ったジェイソンが、しっきりなしに話しかけてくる。しかも、えらく好意的にだ。いったい何を企んでいるのか、このヒゲモジャは。


「なあ、何でこんなに話しかけてくるんだ? 俺のことが嫌いなんだろ」と僕が言うと、ジェイソンは驚いたような顔をつくってみせた。


「おいおい、考えてみろよ。こんなに、おまえさんと縁があるってえのに、無視なんかできるか? おまえさんがどう思ってようと、オイラは縁ってのを大事にする人間でね。そりゃ、最初はおまえさんが嫌いだったが、今は別だ。考えてみると、おまえさんほど誠実な人間はいない。ほんと、そう思ってんだぜ?」


 ジェイソンは、自分の黒髭をつまむようにいじくりまわしている。

 こいつめ、こっちにはしっかりとした恨みがあるんだぜ。


「この前のYHAでさ、あんた、俺のカバンをいじくりまわしてたんだってな。センシに聞いたぜ」


 どうだ、というつもりだったが、ジェイソンは意外なほど冷静だった。髭をいじったまま、何かを思い出すように上を向くと、また僕の目を見てきた。


「ああ、そのことか。そう、確かにオイラはゴスケのカバンをいじったよ」


 それみたことかと、ジェイソンを睨もうとした。が、彼の反応は意外なものだった。


「ゴスケ、本当にすまなかった。オイラがまぬけだったんだ。あの時、自分の財布が見当たんなくて、あの部屋のあちこちを探していたんだ。必死だったんで、ゴスケのカバンをオイラのカバンと勘違いして、開けちまったんだ。今思うと、まずはおまえさんに声をかけてからにすればよかったと思う。本当にすまない。この通りだ、許してくれ」


 驚いたことに、僕に向かってジェイソンは拝むように手を合わせてきた。

 こうなったら、こっちが困ってしまう。


「まあ、別に何もなくなってなかったから、いいよもう。財布は見つかったの?」


 ジェイソンはにかっと笑って、ポッケから財布を取り出した。


「ゴスケ、おまえさんは本当にいい奴だな。今まで辛くあたってきた自分自身が本当に憎いよ。くそ、オイラあ、バカだなあ……」


 何て言ったらいいか分からず、僕は黙っていた。今まで見たことのないジェイソンだった。誠実さとは正反対の男だと思っていたのに、今は普通のオージーに見える。


「なあ、ゴスケ。タバコを吸いに行かないか? 仲直りしてくれって言ったって、簡単には納得してくれないだろうけど、おまえさんと話したいんだよ。ほら、旅は道連れっていうだろ? オイラみてえな無精もんだって、この旅を楽しみたいんだよ」


 そして、僕らは喫煙室へと入っていった。タバコを吸いながら、色々な話をした。最初はジェイソンがべらべらとしゃべっていたものの、次第に僕も彼に馴染んできたのだ。


 ジェイソンは、昨日まで敵だった男だ。不思議なもので、今は気兼ねなく話せてしまっている。

 『昨日の敵は今日の友』と言うけど、そんな経験は今までなかったので、どことなく嬉しい気持ちになっていた。




 長時間の乗車が終わり、アリススプリングに着いた。


 たっぷりと光を吸いとった砂地が熱気を含み、列車から降りた途端に、足元で熱い空気がモワッとした。僕とジェイソンはバスを使わず、徒歩で宿のある町の中心まで行こうとしたが、いまいち地理をつかめず、途中で迷ってしまった。


 あわれな方向音痴の男達が、困り顔で道に突っ立って地図を見ていると、古いワゴンに乗ったお婆さんが車から降りてきた。


「坊やたち、迷ったの? 私が送ってあげるから乗りなさい」


 僕は警戒したが、ジェイソンは乗り気になっているし、彼女の強いすすめにおされて、結局その車に乗ることになった。金をとられるんじゃないかと、僕は車の中で内心ひやひやしていたが、お婆さんはきちんとその宿まで届けてくれて、僕たちのためにお祈りまでしてくれた。彼女は真摯なクリスチャンらしく、どんなお祈りをしてくれたのかまでは分からなかったが、気持ちは充分に伝わった。


「この出会いも神の思し召しよ。幸運を祈ってるわ」


 僕は老婆に深々とおじぎをし、彼女の車が見えなくなるまで見送った。


 カリステアスさんといい、ティミーさんといい、今の人といい、僕はオーストラリアでずいぶんと、老人に助けられている。


「旅はいいもんだな。ああいう婆さんもいるんだな。うちのお袋とは大違いだ」


 ジェイソンも気分がよさそうだ。


 結局、列車からの成り行き上、宿に泊まるまではジェイソンと一緒に行動することになった。まだ完全に友達になったってわけじゃないかもしれないけど、まともに付きあってみると、彼は愉快な男だということを発見した。


 旅というのは、意外な人間模様が生まれるものだ。


 宿に着くと、僕は知人にメールを送ることに時間を費やした。日本にいる親や、大吾、友久、オーストラリアでの最初の仲間やチャンやセバス、テレサ、サン、マクド、魁など、彼ら一人一人にメールを送った。

 ようやく、この一年のクライマックスの地にいることを報告したかったのだ。


 ただ。

 ミナには……送れなかった。


 長い旅だった。それでも、いつだって心の中には彼女がいた。


 やっぱり、もう一度だけ、ちゃんと伝えたい。


 もう、報われるとは思っちゃいない。また傷つくことも分かっている。でも、今度こそ勇気を伴った行動をしたい――




 次の日、僕はふらふらとアリススプリングを歩いた。一時間以内には、スタート地点に着いてしまうほど規模は小さい町だ。

 それでも、この町は広大な土地の砂漠のオアシスとして、旅の中継地点となっている。旅人はここでひと休みし、北へ南へ、あるいは、エアーズロックへと向かってゆくのだ。


 このこぢんまりとした町は大きな岩肌に囲まれていて、風が吹くと、砂塵がところどころに舞った。

 旅人は、砂埃の向こうに見える景色に目を向けるたびに、これからの行き先の不透明さをぼやけた景色に同調させ、希望と不安とを実感するのだろう。


 夜になり、ジェイソンら同じ宿の連中とバーで飲むことになった。ジェイソンは僕にしきりと日本のことを聞いてきた。彼は本来、日本が嫌いなはずだった。でも、僕との出会いで考えが変わったらしい。

 いつでもそうなのだが、自分の国について外国人が興味を持ってくれることは嬉しいものだ。僕は饒舌になっていた。


「ここにきて、改めて自分の国の良さを再確認できた気がするよ。礼儀正しく謙虚な人々、きめ細かい自然――俺は桜が好きだ。うん、桜が見たいなあ。ジェイソンもいつか日本に来てみなよ」


「そうだな……まずは、金を作んねえとなあ。日本て国は、歩くだけで財布が軽くなっちまうだろうから」


「確かに、物価が高いんだよな。交通費なんか、恐ろしいくらい」


「まあ、でも、今じゃ行ってみてえ国さ。本場のスシも食ってみてえしな」


「ジェイソンは今まで行った国で、どこがお気に入りなんだい?」


「うーん、そうだな……昔、イギリスに行ったよ。ビールとロックが最高なんだ。メシは、味気ねえけどな。でも、やっぱり自分の国が一番かもしれない。おまえは?」


「俺はオーストラリアで、まだ四カ国目だからね。パースは第二の故郷だと思ってるけどさ。結局、いいとこはいいってことなのかもな」


 本当に、そう思う。


「ここで色々なものを見てさ、改めて自分の国を好きになったんだ。俺はずいぶんと鈍感だったよ」


 ジェイソンは口についた泡をぐいっと、片肘でふくと、大きくうなずいた。


「オイラもさ」

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