第十八話 生まれゆく光
気がつけばさ
色んなもん とりこぼしてんだ
どうしてそうなっちまったか
いくら考えても分からない
みじめな思いだったよ
そんでも またさ
大事なもんができちまった
必死で生きてたらさ
今度こそって思ったんだ
それでいいだろ
この足は この土地についてるんだから
太陽の光とともに、目覚めた。ソファから身を起こすと、ちょうど亮さんがトイレから出てきたところだった。亮さんは眠たそうな目をこすりながら言った。
「おっはよ。久しぶりに、よう寝れたんちゃう?」
「はい。目覚めに亮さんの顔ってのは、余計なオプションですけどね」
パースに戻ってからは、亮さんの部屋に直行していた。次のシェアハウスが見つかるまで、彼のアパートに泊めてもらうことにしたのだ。昨夜は、由美とカンナも来て、ふんだんに手料理をふるまってくれた。久しぶりの家庭の味に、僕は胃薬を飲むまで食欲の虜になってしまった。
三人とも、帰ってきた僕に同じことを言った。
「顔つきが変わった」と。
きっと、そうなんだろう。
朝食を済ませると、久しぶりに街に出た。今からシェアハウスを探しにいくのだ。由美も一緒にだ。ヒマだったので、つきあってくれるという。
彼女は目がパッチリしていて、鼻の形もきれいなので、日本人からも外国人からもよくモテる。実際、彼女と歩いていると、男達の視線が集まった。もう完全に友達になっているとはいえ、由美の何気ない色っぽい仕草には、さすがに緊張してしまう時がある。
「護助君、どんな家に住みたいの?」
「寝られれば、どこでもいいけどな」
「そうっぽいよね……探すのラクだね。なんかつまんない」
「面白いことでもする?」
「どうせ、変なことでも考えてんでしょ?」
「するどいな」
「そんな度胸ないくせに」
「かくれんぼに度胸が必要か?」
「バカ」
「おっ! これなんかよさそうじゃん」
旅行代理店の壁に貼ってあった、一件のシェアメイト募集のチラシに、僕は目を留めた。
『日本人シェアメイト募集!
オーナーはリトアニア人のリッチー(七十六歳)元気もりもり
現在、ドイツ人と日本人の留学生が一緒に住んでます。
*冷蔵庫、テレビ、エアコン、優しさ完備
週七十五ドルぽっち!』
さっそく、この物件に電話した。
見学の了解はあっさりととりつけられたので、由美と一緒にその家へと向かうことになった。パース市街から北へ五キロ、その家は坂道の途中にあった。白くて大きな家の玄関には、いくつもの花が飾られている。
「おしゃれな家だね。あたしもついでに住みたい!」
「住むがいいさ。俺と一緒の部屋でよければ」
「だったら、土管に住むわ」
「ひどい。かよわい男の子を傷つけて楽しいのかしら?」
「かよわいって意味知ってるのかしら? 辞書貸そうか」
舌打ちしてから、チャイムを押した。
しばらくすると、中から電話の声の主である、オーナーのリッチー老その人が現れた。
百八十センチは軽く超えているであろう大柄な老人で、見るからにエネルギーに満ちあふれている。白菜を連想させる面長の顔と、そのてっぺんにのっかった白い髪を揺らしながら、老人は握手を求めてきた。僕の手よりも大きい。
「ハロー、君がゴスケ君だね。おや、そちらの美しいお嬢さんは君の恋人かね?」
「初めまして、ミスターリッチーさん。このコはただの悪友です」
「由美です。よろしくミスターリッチーさん。さっそくですが、信じてください。彼はうそつきです」
リッチーさんの大きな体が何度も揺れた。
「面白いボウヤ達だ。さ、中にお入り」
さっそく、リッチーさんは実に紳士的にこの家の中を紹介してくれた。
木製の机に椅子、いくつものポプリに装飾されたリビングルームは、まるで工房のような雰囲気で、粋だった。
「ここに住んでいる女の子が、色々とコーディネートしてくれたんだよ。それまでは、もっと殺風景な部屋だったんだけどね」
「私、ここ好きですわ」
由美が目を輝かせてそう言うと、リッチー老は嬉しそうに笑った。相変わらず、外づらだけはいい女だ。
彼は僕たちのために、グリーンティーとココナッツクッキーを用意してくれた。由美が一緒にいてくれたこともあって、この老人とははじめから気軽に会話することができた。
リッチーさんは色々なことを話してくれた。戦時下での出来事、オーストラリアに来てから旅をした時のこと等……。
僕はこの老人の話に聞き入っていた。若い日本人にとって、ヒトラーの侵攻を受けた人の当時の話など、滅多に聞けるものではない。
「ゴスケ君、住むのは、ここ以外の家じゃだめかい?」
「と、いうと?」
「実はね、わしの友達がシェアメイトを探してるんだ。是非、彼女に会ってほしい。今、そう思ったんだ」
「彼女?」
「ワシの古い友人でな。同じくリトアニア人さ。彼女は夫を亡くしてからは一人暮らしをしててね。君はナイスガイだし、ボディガードにもなれそうだ。大丈夫、彼女はすごくいい人だから」
特に住み家にこだわっているわけではないので、「わかりました。是非、お会いしたいと思います」と、僕は即答した。
リッチーさんは笑顔で感謝の気持ちを述べると、車を持ち出して僕と由美を乗せ、その家へと向かった。二転三転の展開だが、もう、そういう展開には慣れている。
パースからわずか二駅の〈ウェスト・リーダヴィル〉から徒歩5分ほどの場所に、その家はあった。小さなギリシャ神殿を思わせる、白い、年季の入っている家だ。玄関へと続く五段立ての階段が踊り場につづき、そこには小さな木製のイスが置いてあって、手すりと連なるように円柱の白い柱が屋根を支えている。
「ティミー、連れてきたよ!」
車からおりたリッチーさんは、門の前で彼女を呼んだ。
「今、行くよお!」
老人らしいゆっくりとした、しかし響きのある声がかえってきた。
玄関から出てきたのは、話に聞いていたとおり白髪のおばあちゃんだ。老婆にしては背が高く、琥珀色の瞳に柔らかな笑みをたたえ、僕たちを心地よく迎えてくれた。
さすがに女性が一人住まいをしているだけあって、内装にはきめ細かい柄の絨毯や壺が使われており、いたる所にドライフラワーが飾ってある。僕が使う予定の部屋は、中庭に向かって張り出している造りになっていた。それは、まるで母屋にくっついた番所といったかっこうで、キッチンやティミーさんの部屋に行くには、その部屋から出て裏口を通らなければならない。
少々面倒な造りだけれど、隠れ家みたいで、僕が好きなタイプの部屋だ。
ひととおり、家の中を紹介されると、キッチンにて四人でティータイムをとった。急いで、僕は番所のような部屋が気に入ったことをティミーさんに伝えた。
「オーケー、ゴスケ。あなたさえよければ、明日にでもここに住んでいいのよ」
「本当ですか? ありがとう! ティミーさん」
「よかったね、護助君」
「ユミちゃん、あなたも一緒に住んだら? カップル同士で素敵じゃない」
由美は、さも迷惑そうな顔をした。「何言ってるの、ティミーさん。ジョークにもなってないわ」
「あら、ゴスケ君は残念そうよ」
「冗談じゃない。こんなのが近くにいたら、明日から奴隷生活が始まっちまう」
そう言ってハハ、と僕が笑うと、由美がすぐに腕をつねってきた。
みんな笑ってくれたが、本当に痛かった。
しばらくの雑談に興じた後、僕たちはこの家をあとにした。入居は明日からだ。別れ際に由美が顔を覗きこんできた。
「護助君、おばあちゃんに優しくしなきゃダメよ」
「わかってるよ。由美は、俺に優しくしなきゃダメよ。亮さんにはどうでもいいけど」
「十分優しいじゃん!」
肩をすくめてベロを出す。すかさず、軽く蹴りをいれてくる由美。スネにはいったので、またしても本当に痛かった。
翌朝、亮さんのアパートを出て、荷物を抱えてティミー家へと向かった。彼女は玄関先で掃き掃除をしていた。僕に気づくと、笑みを浮かべて近づいてきた。
「ゴスケ! よく来たわね。あらっ、重そうなスーツケースまで抱えて。それがあなたの引っ越し道具なのね?」
「はい。お世話になります。いやはや、移動するのも大変なもんですね」
「ささっ、早く中に入りなさい。お茶を出してあげるからね」
さっそく、今日から自分の部屋になる部屋に荷物を置き、キッチンに向かった。ティミーさんは熱いハーブティーを煎れると、僕を座らせて、共同生活の始まりを紅茶で乾杯してくれた。
「よろしくねゴスケ。私は一人息子のジョンを二年前になくしてね。だれかいい人がそばにいてくれると助かるわ。ヨウジンボウね」
「それはとても残念です……息子さんはおいくつだったんですか?」
そう言った後、余計なこと聞いたかな? と思い、少し後悔した。
「五十五歳だったわ。ガンで死んだの。とてもとても悲しかったわ。あたしにはあの子が必要だったのに……」
自分より先に我が子が死ぬ――僕なんかには想像もつかないその痛みは、彼女の心をずっとなぶり続けているのだろう。
僕は――優しく迎えてくれ、住む所まで提供してくれたこの老婆の力になりたいと心から思った。彼女の息子のジョンがもし存命していれば、僕の父親と同い年のはずだ。
「何か問題があった時には言って下さいね。僕はあなたの力になります」
お茶を持つ手をぐいっと上げると、彼女はニカッと笑った。
「ありがとうボーイ。仲良く過ごしましょうね」
僕とティミーさんとの生活が始まった。
ティミーさんは今年で八十一歳になるが、その年齢とは関係なく活発な女性で、外出もよくするし、電話が鳴るとパタパタと走って、受話器を取りにいく。口も達者で、僕がヘマ(床を汚したり、夜中に音楽を鳴らしたり)をすると容赦なく叱ってきた。
この家には、彼女の部屋にしかテレビはない。なので、僕はよく彼女の部屋で一緒にドラマや映画を観た。オードリー・ヘプバーンの〈ローマの休日〉が放映した時など、ティミーさんは食い入るように見入っていた。オードリーとグレゴリーがそれぞれの場所へと戻っていく最後の場面では、ハンカチで目を拭っていた。
「どんなに愛していて、恋焦がれていても、それぞれの道に歩いていかなければならない時もあるのよ。そしてそれは、ドラマより現実に起きるの」
ティミーさんはそう言ったが、今の僕には、よく分からない。
二人の生活もある程度時間を共にしていくと、お互いの呼吸も分かるようになってきた。
活発でよく動き回るティミーさんにハラハラしながらも、親切で明るい彼女と一緒に過ごす時間が、周囲の風景をより晴れやかにしていた。
穏やかな日々の中、ついに相棒のサンがエクスマスから、パースに戻ってきた。久しぶりに見る彼の顔は、以前よりも更に日焼けして黒くなっている。
「よお兄弟! 久方のパースはどうだい?」
「十分満喫してるよ。エクスマスの海はどうだった?」
「ジンベエザメ、見れたよ。もう、すんごいでかかったよ!」
「いいなあ……」
ジンベエザメは世界一大きい、非常に穏やかな魚で、その希少性のため世界各地で天然記念物に指定されている。オーストラリアに来たからには、僕にとっても一度は見てみたい生物だ。
海中で堂々と我が道を往く巨大な海の王――いつか、絵に描いてみたい。ずうずうしくもそんなことを思った。
「ゴスケ、絵は描いてるのかい?」
「うーん、実はまだなんだよ。絵描きの道具は揃えたんだけどね」
「早く描いちまいなよ。その方がいい。きれいな自然を描きたいんだろ?」
「ついでに、きれいな女の子の水着の写真が撮りたいよ」
「絵じゃねえじゃん」
「まあ、でもサンの言うとおりだな。まずは行動だな。いや、写真じゃないよ?」
「サーフィンだってやるんだろ? どっちにしろ、水着の姉ちゃんは見られるぜ」
「もちろん! 早く板、買いに行こうぜ」
「うん、まずは俺も家を探さなきゃ。スカボロの辺りで探すつもりだよ。そしたら、すぐにサーフィンにも行けるだろ」
「おお、なんだか本格的だな」
それから、二人でウェスト・リーダヴィルに向かった。サンが部屋を見つけるまで、僕の部屋で寝袋を使って一緒に寝泊まりすることにしてもらったのだ。そのことは、すでにティミーさんも承諾していた。
「また農場生活に逆戻りしたみたいだね」サンは苦笑いしてみせた。
「大丈夫。寝坊できるし、夜は静かだし、パンツも燃えないんだぜ?」
家に着くと、ティミーさんは快く出迎えてくれた。
「ようこそサン! あなたのことはゴスケからよく聞いていたわ。よろしくね!」
夕食になると、いつになくキッチンでの会話が活発になった。サンもティミーさんの人柄を好ましく思っているようだ。
夕食後、スタンドの光だけを灯したほんわかと明るい部屋で、僕たちは横たわりながら話をした。
「いい人だね。ゴスケ、おまえは恵まれてるよ。あの人のために一枚、絵を描いてあげたらどうだい?」
「そうだなあ。そんなら、いいもん描きたいよな」
「ゴスケ、最初からうまく描くなんてきっと無理だよ。心を込めて描いたものを送ってみなよ。下手くそだとしても、それって素敵なことだぜ」
「うーん、なるほどね。そうだな、やってみるよ。彼女にはお世話になってるからな」
それから二日後、サンはスカボロビーチの近くのシェアハウスに住むことになった。ティミーさんは自分の家に住むようにサンに強く勧めたが、彼はどうしても海の近くに住みたかったので、丁重に断った。もちろん、またティミーさんの家に遊びに来ることを約束して。
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