第十二話 農場へ
亮さん、カンナ、由美と飲んだ翌朝。
荷物をまとめ、利夫さんと優子さんへの挨拶を済ませてから、僕は農場へと向かった。
バスが市街地を離れると、牧歌的な風景が車窓の外に広がっていった。バスは坂道を上り、どんどん山奥へと入ってゆく。眼下には牛飼いの集落が風車と共にあり、ゆっくりと時間が流れているようだった。
(まじで、俺はこんな所で働くのか)
けれど、働かなきゃオーストラリアでの生活が終わってしまう。
中途半端だけは、ごめんだった。
やがて、バスは目的地に停まった。その目的地は〈カラマンダ〉。パースヒルとも呼ばれている丘陵地帯で、ここでは農作物がよく採れる。
降りてから、タバコに火をつけた。
三本ほど吸い終わると、ヒュンダイの大型のバンが勢いよくやってきた。
中から、サングラスをかけた大男と、凛々しいゴールデンレトリバーが降りてきた。大男はサングラスを外すと、青い目をニカッとさせて握手してきた。
「Hello、ナカヤマ。俺はトムだ。よろしくな!」
「よろしくお願いします」
トムさんに導かれるまま、僕は彼のバンへと乗りこんだ。
山奥の道を走り、〈ピックリング・ブロック〉と書かれた看板が掲げてある道を曲がって小道に入っていくと、プレハブ式の長屋が見えてきた。
「着いたぞ、君の新しい家だ」
まじか。
プレハブ式の長屋には四つほど部屋があるのだが、いかにも造りがお粗末で、台風でも起こった日にはひとたまりもなさそうだった。
この起居用の長屋式プレハブ小屋の入り口の前には、もう一棟小さなプレハブ小屋があり、そこは共同キッチン兼トイレ付きバスルームになっていて、テレビもついていた。
そこのテーブルに、アジア人の青年がポツンと座っていた。
トムさんがその青年に声をかけた。
「おいサン、新入りだ。嬉しいだろ?」
サンと呼ばれた男は、立ち上がって挨拶してきた。どうやら、礼儀正しい若者のようだ。
「よろしく。日本人かな?」
「はい、護助っていいます。よろしくお願いします」
「僕はサン。ベトナムから来たんですよ」
サンはほっそりとしていて手が長く、豊かな黒髪に、涼しい目元を備え、無精髭がよく似合っていた。ハンサムといっていい。
「じゃあサン、後はよろしく頼む。ゴスケに色々と教えてやってくれ。仕事は明日からだからよ。遅れるなよ」
そう言い残すと、トムさんは車を走らせていった。オージーの去り際は早い。
キッチンにはアジアの男が二人。
「部屋はどこなのかな?」
それは、僕の不安の種の一つだった。できれば一人部屋に入りたかったからだ。
「多分、俺の隣の部屋じゃないかな。今のとこ、ここに住んでるの、俺だけだから」
なるほど、そいつは期待できそうだな、と思った。
こういった共同の住宅をマンションも含めて、一部の海外では〈アコモデーション〉という。ここのオーナーはトムさんではなく、イタリアからの移住民で、コリーナという男だった。森に囲まれたアコモデーションの目の前には広大なリンゴ畑が広がっている。彼はこの土地一帯の持ち主で、トムさんとは幼なじみの関係だ。
コリーナさんの大邸宅(農場のオーナーは金持ち!)は、このアコモデーションから歩いて七、八分のところにあり、僕はサンに連れられ、コリーナさんを紹介してもらった。
「おお、新入りか。よろしくな!」
コリーナさんは小男で、ミスタービーンを思わせるコミカルな顔と雰囲気を持つ陽気な男だった。
地中海から取り寄せた値打ちものの調度品と、きめ細かい彫り込みがしてあるステンドグラスで彩られたリビングルームに通され、大きな木製の円卓に座るようにすすめられた。
「まあ飲めよ。出会いの儀式だ」そう言うと、コリーナさんはイタリア産のブランデーを出してくれた。飲みこむと、喉が火傷したように熱くなる一品で、僕は思わず呻いた。
「男はこいつを飲めて一人前さ! なあ、サン!」
サンは肩をすくめた。彼はアルコール類をあまり飲めないらしい。
「ゴスケ、サン。君たちには同じ部屋に住んでもらう。もっとも、トイレに行く時は別々に行くんだぞ」と言って、コリーナさんは笑った。
おいおい、何言ってんだ、このミスタービーンは。
「個人部屋じゃあないんですか?」
「ああ。一週間ごとに新入りが入ってくる予定でさ。なんせ、これからカキ入れ時でね」
頭が急に重くなったように感じたが、サンの手前、これ以上糾問するわけにもいかなかった。
サンだって、当然戸惑っているだろう。まだ、お互いによく知らないのだ。けれど、僕と違い、コリーナさんの事情もよく分かっているのか、彼は僕の方を見てうなずいた。〈よろしく〉と言っている。
何だか、自分が恥ずかしくなってしまった。
二人が納得した様子を見て、コリーナさんはほっとしたのか、「家賃は週五十ドルだ。安いだろ? 二週間おきに払いに来てくれればいいよ」と告げてきた。
「じゃあ、部屋を整理しなきゃね」
サンは扉を開けると、僕を部屋に入れてくれた。案の定狭い。四畳半ほどの大きさで、ベッドが二台に、ドアの横にみすぼらしいクローゼットがあるだけの囚人部屋だ。もちろん、窓はついているが、カーテンはない。
大の男二人で住むには狭すぎるということは明白だった。僕にとっては、絶望的な空間といえる。
「狭すぎるよ。まじかよ、あのミスタービーン」
「確かに。風邪ひかないようにしような」
「ごめんね、サン。俺がこの小さい部屋の半分を使っちまう」
それでも、サンは笑顔のままだった。
「気にするなよ。俺、こんな山奥で、こんなプレハブで一人だったからさ。寂しかったんだ。ちょうどよかったよ」
「どれくらい、ここに住んでんの?」
「二週間かな。そうそう、ここの近くに小さいコンビニがあるんだけど、行ってみる? 二十分はかかるけど」
当然、僕はうなずいた。
僕たちは色々と話をしながら、森に囲まれた道をそのコンビニに向かって歩いていった。確かに遠かったが、話し合っているうちに、彼とは気が合いそうな印象を持つようになり、道中は楽しいものとなった。
オーストラリアの地方に点在するコンビニは、街中で売っているものよりなぜか値段が高く、度々、金のない旅人を困らせる。例外になく、このコンビニに置いてある品物のラベルに、僕はがっかりしてしまった。
「サン、もっと安いとこないの?」
「ここから歩いて二時間以上はかかるけど、スーパーがあるよ」
「に、二時間以上も?」
「うん、一回行ったことがあるんだ。タクシーなんか呼んだら手ぶらで帰るはめになるからね。もし、体力に自信があるんなら来週は歩いて行ってみないか?」
「ちょいとした陸の孤島だね。来週からはトレーニングだな」
もはや、どうにでもなっちまえ、と僕は吹っ切ったように笑った。
その夜は、今はまだ二人だけのキッチンで食事会をした。僕は肉じゃがを、サンはフォーを用意した。お互いの国の味比べは楽しかった。サンはすっかり肉じゃがを気に入ったし、僕は麺類が大好きなのだ。当然、ビールも飲んでいる。
いいほろ酔い加減になると、僕たちは外に出た。
空はもう満天の星だらけで、夜風がなんとも心地よい。
「こういう田舎暮らしもいいよね。心が癒されてくよ。ああー、しょんべんって、こんなにいいもんだっけ?」
僕はチャックを全開にしたまま、ウットリとしている。カンナが見たら大笑いするだろう。ミナが見たら……それはそれで、ネタになるかも。
「うん。男でよかったと思う瞬間だね。まあ、買い物が不便なとこ意外はいいと思うよ」
サンも、気持ちよさそうだ。
土に立てられる音を、耳が拾ってゆく。
ここに来て初めて、僕は笑ったような気がした。
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