第十一話 勇気
セバスとの旅行が終わり、シェアハウスに戻ると、リオナが慌ただしく動き回っていた。
「よおリオナ。どうしたんだ、下着泥棒でも見つけたのか?」
「ゴスケ!」
リオナはいつもの彼女らしくない沈んだ表情でふりかえると、声をひきずらせた。
「ゴスケ……あたし、農場には行けなくなったわ」
「え」
「ドイツの母親がね、入院したんだって。彼女は元々、体が弱かったから……私、さっそく今日帰ることにしたの。ごめんねゴスケ……」
突然のことに、言葉が詰まる。
未知の環境へと共に飛び込む仲間が突然いなくなってしまう事実に、不安と失望が堰を切って飛び出してきた。
けれども、無念の帰国となるリオナを恨むわけにはいかない。
「残念だけど、しかたないよ。早く帰った方がいい。俺も空港まで行くよ」
「うん! ありがとう!」
リオナは泣いている。色々な思いで混乱しているのだ。僕は黙って彼女の荷造りを手伝った。
利夫さんが運転する車で空港に着くと、リオナと秋子は泣きながら抱き合って、別れを惜しんでいた。
利夫さんはそんな二人を見ながら言った。
「護助君。別れってのは、辛いもんだね。長年ここに住んでるけど、別れの場面だけはどうも慣れない」
やがて、ドイツ行きの飛行機が威勢よく大空に飛び出していった。
――あと何回、友達をのせた飛行機が飛んでいくんだろう。俺はあと何回の別れを経験してから、自分の国に帰るんだろう。
空を眺めながら、そんなことを考える。空港ロビーの脇では、ヤシの木が気持ちよさそうに風に揺れていた。
風にほどよくそよぐ、さらっとした髪。透き通るような白い肌、触れたら壊れてしまいそうな細い肩、くっきりとした水晶のような瞳――
会いたい。
勇気ではないのだろう。
ただ、想いに伴う悲しさに沈んでしまわないように、受話器に手を伸ばしていた。
呼び出し音が鳴るたびに、心拍数が早くなってゆく。
数コール鳴ってから、彼女の声が聞こえた。
あまり考えなかったのがよかったのか、この日はよく話が弾んだ。
少し会話がひと段落すると、ミナはトーンを変えた声で言った。
「正直、最近は少し疲れてるかな。何のために今の仕事をしているのか、分からなくなる時があるの。頑張ってるつもりなんだけど……なんかね、やる気が空回りしちゃって」
続けて、今度はあっさりとした口調で言葉を接いだ。
「彼氏とはね、別れちゃった」
咳き込みそうになったが、なんとか堪える。
「大学出てから、色々と対立するようになっちゃって。気がついたら離ればなれになってたよ」
「そうか……」
声をおとしながらも、心は沸騰しそうになっていた。
これは、間違いなくチャンスだ! 飛び跳ねそうな衝動におそわれたが、その代わりに、グルグルとまわる目を家具や机なんかに向けた。
ふと、自分が今いる場所に気がついた。
ここは、オーストラリアなのだ。
僕は今、その中のパースという町にいて、そこから人生を進めようとしている。まだ、なにも誇れるものなんてなかった。
そんなことを思うと、自信がなくなってきていた。当たって砕けろ、と言う人がいる。当然、それはそうなんだろう。だけど、本当にミナの幸せを想うんだったら、まだ想いを告げるのは早いんじゃないか――そう決めつけ、僕はまたくだらないことを話しはじめた。
今まで見てきたものや出会ってきた人たちとの体験を、ミナは笑いながら、時には絶妙なあいづちをうちながら聞いてくれていた。彼女のこういう、人に共感できる所が大好きだった。
「ありがとうね、護助君。何か、元気が出てきた」
「一日のごほうびってさ、思わぬところに隠れてるよな」
鼻の頭を掻きながら、僕は言った。
「いや、ほらっ、例えばさ、仕事の後のビールだったり、きれいな夕陽を仕事帰りに見たりさ。もしさ、一日一生懸命生きて、素晴らしい景色を見ることができるなら、俺はそんな毎日を過ごしたいと思うんだ」
「うん、そうだね。そんな毎日が過ごせれば……」
さらに、僕はこう思う。
また彼女と会える日は来るんだろうか――。
いつまで、僕は弱いんだろう。結局は、またふられて傷つくのが怖いだけなのかもしれない。それとも、クソみたいなプライドが邪魔しているだけなのか。
いずれにせよ、心には何一つ覚悟はできていなかった。
ミナが言った。
「ねえ、何で海外で生活しようとしたの? なんでオーストラリアを選んだの?」
「まあ、あれだ、適当にのんびりと暮してみたかったんだよ。オーストラリアは広いし、イギリスなんかに比べると物価も安いからね」
サッカーではない何か、自分を捧げられる何かを求めて、僕は広い大地を持つ異国に飛び込むことを決めたつもりだった。ある意味、それは大学時代から続く僕の『旅』なのだろう。
けれど、ミナにそう説明することはできなかった。
本当にそうなのか、まだ自信がないのだ。どこかで僕は、自分を苦しめたものから逃げたくて、ここまで来てしまったのではないか、とも思っている。
まあ、実際、すでに外国で暮らしているんだから、なるようにしかならない。
「ねえ」と、ミナ。どこか屹立とした口調だ。
「護助君てさ、いつもそうだよね」
「えっ」
「自分のこと、打ち明けようとしないよね。話してくれればラクになるかもしれないのに。あたしだって……」
なんだかやばそうだ。何かいけなかったのか。
「昔からそう。そんなの、つまんないよ」
脂汗が、背筋を伝う。
「そうかなあ……」
それしか言えなかった。
「ううん、ごめんね急に」
ミナは、そんなふうに僕を見ていたのか。
そして、その見方は当たっている気がした。
「なんつうかさ、その、俺、しゃべるの苦手だからさ。だからさ、なんだろ?」
頭が茹で上がりそうだ。
「必死なつもりなんだ、ほんとは。でも、言葉がでてこないんだ。いつも、そうなんだ」
一体、何を言ってるんだろう。
目の前に、青いランプがある。光が爛々と輝いている。ここの夫婦が買ったものなのだろう。
「なんか、ごめんね」
ミナは少し笑ったようだった。「護助君、いつも飄々としてるから、ちょっと意地悪言いたくなっちゃって」
「いや、いいんだ」
僕は目を閉じ、言葉を探す。
今さら気取ってもしかたないことに気づく。
「ほんとはさ、膝から下が崩れちまいそうになる時があるんだ。それでも、いつかたどり着くといいよな」
今、何かを言ったところでどこか嘘くさいのかもしれない。それでも、やはり、言葉でしか進めない場面だということは確かだった。
「ほら、自分の望む場所みたいなとこに……って、ちょっち、くさいかな。あっ、そういや、石鹸買いに行かなきゃ」
「もう」ミナはくすっと笑った。
「でもそうだね、そうなるといいね――」
受話器を置いて、どれくらいになるだろう。
なかなか眠れずにいる。
僕は家を飛び出し、河原まで夢中で走った。手にはいつの間にかサッカーボールが乗っている。河原に着くと、リフティングをはじめた。
ボールを蹴るごとに、自分の足が、心が、その球体だけにのめり込んでゆく。
ポーン、ポーンとボールが跳ね上がるごとに、星を散りばめた夜空が近くなってきているような気がした。
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