第四話 学び
でたとこ勝負かも
先のことは不安だらけ
でもやってみる
つかれても
しんどくても
一人ではないのだ
今日から学校が始まる。
エヴァさんから弁当のサンドイッチを受け取ると、朝早く家を出て、バスで学校へと向かった。
七月のパースはまだ冬で、僕は首のまわりをマフラーでぐるぐる巻きにしている。
パース駅の前でカンナと待ち合わせをしていたので、初めての登校も少し気持ちが楽だった。
「おはよう!」カンナは笑顔で待っていた。
「いよいよ今日からだね。どんな人がいるんだろ、不安だなあ」
「何とかなるさ。あとは、でたとこ勝負だろ」
「友達できるといいね」
「大丈夫っしょ」と言いつつも、僕も実は不安だった。
けれどカンナの手前、そんな人相の悪い顔をするわけにもいかず、懸命な笑顔との緩和で、箸でつかんだがんものような相になってしまっていた。
EUセンターに着くと、受付の女性の案内で、フロアの端にある部屋に通された。その部屋には僕たちの他に、二人の西洋人の女子生徒がいた。
そのまま五分ほど待つと、銀縁眼鏡をかけた小太りの中年女性が入ってきた。この学校の学長らしい。
「みなさん、この学校を選んでくれてありがとう。きっと後悔しないわよ。そう、あなた達はよい人生をこの学校で過ごすことになるでしょう」
彼女はたこ焼きのようなほっぺをふくらませて、にっこりと笑った。
「まず、テストを受けてもらうわ。それによってクラス分けをします。落ちついて頑張ってね。大事なのはテスト後なんだから、結果を焦っちゃだめよ」
カンナは、悲鳴じみた声を出した。「テストだって。頑張ろうね、護助君」
「頑張れる余裕があればね」
どうせ下のクラスだろうなあ、と思いつつ僕は目の前のテスト用紙に手をつけだした。そして……予想通り、テストの出来に手応えを感じることはできなかった。
再び学長が教室に入ってくると、今度は彼女との面談テストになった。
必死で心を落ちつかせようと努力はしていたけれど、いよいよ呼び出されると、ボーンと、頭の中の思考は飛んでいってしまった。
学長は、笑みを浮かべながら、柔らかそうなソファに座っていた。
「ハローゴスケ。さあ座って」
「ああ、どうも」
「今日のテストはどうでした?」
「えっと、まあ、よくないです」
学長は丸い頬を緩ませた。「オーケー、とりあえずリラックスしてね」
家族構成や趣味、好きな有名人にまで質問は及び、しどろもどろに答えていると、いよいよ最後の質問になった。
「ゴスケ、あなたの夢を聞かせてちょうだい」
ごく簡単な質問のように思われるが、僕にとっては最も答えにくい、難しい質問だ。
高校最後の夏の日以来、僕は〈夢〉を語ることに臆病になっている。
サッカーボールを蹴るほどに好きなことは未だに見つかっていない。
すっかり〈旅好き〉になってはいるけれど、それだけが〈夢〉といえるかは、まだ分からなかった。
だから、この場はもう何も考えずに答えてしまうことに決めた。
「常に、夢を持っている男になりたいです」
その答えは、自分自身にとって、意外にしっくりといくものだった。
学長は変わらない笑みのまま、応えてくれた。
「きっとなれるわ。頑張ってね」
その一時間後、ラウンジでクラス分けが発表された。
全部で、下から上まで七クラスある中、僕とカンナはそろって下から三番目のクラスとなった。同時に受けた西洋の女の子二人はもっと上のクラスに入っていた。
思ったよりも、上のクラスになったことに僕たちは驚いていた。
「一番下かと思ってたよ」
「授業ついていけるかな?」
ラウンジの隅で教室に入る準備をしていると、ぽっちゃりした体型の巻き毛のブロンド女性がやってきた。
「ハロー。私はアナ。あなた達の担任よ。これからもよろしくね。ゴスケ、カンナ」
アナは、若干そばかすが目立つものの、体型とは裏腹に顔はほっそりしていて、鳶色の目がきりっと長い睫毛の下で光っている、白人らしい容貌の持ち主だった。
アナに導かれ、ラウンジを横切り、フロアのはじっこにある教室の前まで来ると、彼女が「準備はいい?」と言った。
僕は、「はい」と言って、心拍数を普段よりもいくらか上げたまま、教室に入っていった。
EUと名のつく学校だけあって、スイス人やドイツ人等、英語圏ではないヨーロッパの留学生が多く通っているのがこの学校の特徴で、このクラスにもさまざまな人種の生徒が入り混じっていた。
「みんな、新しい仲間よ」
アナが挨拶をうながしてきた。
僕はちらっとカンナを横目で見てから、前にでた。
「ゴスケ・ナカヤマです。あんまり英語しゃべれないけどよろしく」
笑い声と拍手が起こった。『みんな、同じさ。よろしくゴスケ!』
「こんにちは。あたしはカンナ。みんなに会えて嬉しいわ」
なにはともあれ、二人とも無事、このクラスの一員になることはできたようだ。
「オーケー、それじゃあまた授業に入るわよ。ゴスケとカンナもしっかりついてきてね」
まずは、教科書を使って文章を順番に読みあっていく授業が始まった。
みんな、国籍が違うので、それぞれ発音や音読の癖が異なっていて、なんともユニークな音読会になっている。
それが終わると、グループに分かれて文章が理解できているかを話し合って確認しあうセッションが始まった。もちろん英語でだ。
「ゴスケ、しっかり!」なんてことを、メキシコの女生徒に言われたりする。
みんな、基本的にしゃべっていることや書く文法がめちゃくちゃだったりするけれど、堂々と話している。おまけに授業を楽しんで受けているので、僕もカンナも次第に笑顔になることができた。
別に、まちがってもいいのだ。じゃなきゃ、学校に来ている意味がない。
まずは、伝えようとする姿勢が大事にちがいないのだ。
次の日の授業は、アメリカで人気のアニメ〈トンプソン〉を使った授業だった。 二人一組になって向き合い、一人がテレビを観て、もう一人はテレビに背を向けて相方の表情を見る。そしてテレビを観ている方が〈トンプソン〉の内容を相方に説明する――という形式の授業で、みんなあまり英語がうまい方ではないから、実に難しい授業だった。
僕のペアは、チャンという名の二十三歳の女生徒だった。
彼女の肌は色が透き通るように白く、つややかな黒髪を背中まで垂らし、二重まぶたのつぶらな瞳に、ぽっちゃりとした鼻を持つ元気な香港女性だ。
「ねえ、ゴスケ。何言ってるのかわからないよ」
チャンはくすくす笑っている。
「難しいんだよ。えっと、ああー、これ、なんて言ったらいいんだ?」
結局、先生にほとんど協力してもらった。こんな情けないところをミナが見たら、なんて言うだろう。
いや、その前に……彼女は僕のことを忘れてしまっただろうか。忘れていなくても、その心に僕は少しでもいるのだろうか――。
学校が始まってから、早くも数日が経った。
僕は新しい住み家を探しはじめていた。
ホームステイの契約はあと一週間ほどで切れてしまうのだ。延長すると高くついてしまうし、シェアハウスならば一ヶ月平均二万円ほどの家賃で暮らしていける。
オーストラリアの家は大きいので、家主が学生などに個人部屋を貸して暮らすのは一般的なことらしい。これによって、家主は家賃によって副収入を得られるし、住む方は個室を手に入れられる。
日本料理店に貼ってある日本人向けのシェアハウス情報の広告を見て、家の見学の約束をとりつけると、そのままサウスパースへと向かった。
今日は学校の仲間とバーベキューをするのだ。
まったく、贅沢な生活だ。
サウスパースはスワン川を隔てた向こう岸にある町で、パースのなかでも高級住宅地として分類される。それだけに、閑静な住宅地となっており、岸辺の公園にはいくつものバーベキュー台が置いてあって、そこからの見晴らしが素晴らしいという。
僕たちはフェリーでサウスパースに渡ると、ウールワースで買ったソーセージやら野菜やらをさっそくとりだした。
僕とカンナはそれらをアルミホイルにくるんで、台に乗せようとしたのだけれど、他の国の生徒達は驚いたことに、なんにもくるまずに、そのまま乗せはじめていた。
「マジで? 汚くないの? だって、ずっと外に置いてあるバーベキュー台だよ?」
「ありえねえな。これって、カルチャーショックだな」
僕とカンナが驚いていると、隣のクラスの日本人生徒がやってきて、「これがこっちのスタイルなのよ。あたしも最初はびっくりしたけど、慣れれば平気よ。まあ日本じゃありえないやり方よね」と言ってきた。
「まあ、焼いちまえば一緒か」
どうやら、慣れるしかなさそうだ。しかたなく、僕らはオーストラリア名物を味わい始めた。太いソーセージに玉ねぎやキャベツをパンではさんで、豪快にソースで味付けすると、なんともうまかった。結局、熱を通せば何とかなるのかもしれない。
目の前には、州の都市にある川とは思われないほど、水がきれいで青空がよく映える、優雅で大きなスワン川が流れている。日本ではなかなか味わえない開放感に、僕はすっかり打ちのめされていた。
ただ、カンナが「うん、やっぱり日本じゃこんな風に楽しめないよね。空が汚いし」と言うと、僕はその言葉に首をかしげた。
東京近郊に住んでいると気づくのが難しいけど、日本にも自然のきれいな所はたくさん残っているし、日本には、日本にしかない良い所がいっぱいあるからだ。
バーベキューの合間にみんなでサッカーボールを蹴って騒いでいると、喉が渇いたので、僕は木製で出来た屋根の下のベンチに座り、ビールの蓋を開けた。銘柄は〈エミュー〉。西オーストラリア州の地ビールで、味はあっさりとしていて飲みやすい。
そのままぐびぐびとやっていると、チャンが隣に座ってきた。
「ゴスケ、あなたが一番サッカー上手ね」
「昔のつまらねえ貯金さ」
日本人と香港人なので、いびつな英語で会話をしなければならないが、肝心な点は単語を強調しながら言葉をつないでいった。この方法は異国に住む者にとって、最も基本的なテクニックだ。
チャンはよく話す女性だった。
「ねえ、ゴスケは彼女、いるの?」
「いや、いないよ」
「あなたって、遊び人?」
いきなり、なんてことを言う女だ。まあ、いちいちムキになっていてもしかたない、と思いなおす。
「遊んでいたら、今ここにはいないよ。まあ、ここにある大きなソーセージくらいのものは持ってるけどね」と言って、僕は自分の下半身のあたりを指差した。
我ながら、最低なギャグだ。
「宝の持ちぐされね」と言って、チャンは笑った。
こいつも変わったやつだ。
「なんで、彼女いないの?」
ミナの顔が浮かんだ。が、すぐに首をふった。
「いや、分かんないよ。いないもんはいないんだよ。君は?」
「私は前まではいたわ。でも別れたの。一ヶ月前よ。ここに来る前ね」
僕は、「そうか」と言って、みんなの方に顔を戻した。
自分の頬が緩むのがわかった。
ドイツ人、スイス人、メキシコ人、タイ人、中国人、ベトナム人からガーナ人まで、彼ら、彼女らの笑顔に国境の壁はなかった。
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