penna

篠岡遼佳

灰の雪色

 ――その日も雪が降っていて、そして私の最後の仕事の日だった。


 世界の闇や影に巣くう、目に見えない存在、人に仇なすものを「魔」と呼ぶ。

 「魔」は人を喰らい、家畜や穀物を喰らう。疫病を流行らせ、村ごと人間を惨殺する。


 私はある村で、地下室に隠れているところを助け出された。

 母が必死の形相で狭い地下室に私を追いやったのが最後の記憶だ。

 その「魔」を退治しに来たのが、蒼い瞳のあなたとその仲間だった。


 寄る辺のない私は、自然と彼らに保護され、やがて「魔」を屠る力を得た。

 目に見えない「魔」を貫くための剣。細身で、重心が素晴らしく、的確に相手の急所を撃てる、私にはもったいないほどの逸品だった。

 似合っていると言ってくれたのは、あなたが最初だった。


 私は剣を振るうだけの役目を請け負った。幼すぎて、それしかできなかった。

 そのころはただ「魔」を憎んでいた。私の過去の安らぎをすべて壊した、「魔」が憎かったから、なんでもできた。どんなひどい戦闘でも、どんなに苦しい毒でも、仲間が失われても。

 私は常に帰投した。次の「魔」を葬り去るために。


 けれど、ほんとうに必要なことは、「魔」を倒すことだけではない。

 人は「魔」に襲われ、しかし生き残り、訪れた出来事で心に傷を負う。

 ……私のように。

 それをあなたは言葉で救っていた。助かった人たちを安心させるように。

 蒼の瞳を柔らかく細め、しっかりと相手の手を握りしめて。

 ……私に初めて会ったときに、してくれたように。


 一行は西から北に向かって進路を取った。寒さは厳しくなっていった。

 仲間は時に離れ、また新たな仲間を迎え、しかし確実に「魔」の相手も強くなっていく。

 極北の地に、「魔」の王がいるのだということは、うわさ話でもなんでもなく、実感として私たちの間に広がっていた。


 雪の降らない日の方が多くなっていったあるとき、あなたは言った。

 ――ここからは「魔」の中枢に入り込んでいくことになる。

 ――戻ってこられるかは、わからない。

 ――着いてこられるものだけ、着いてきてくれ。


 私はそう聞いても、あなたに着いていくことが自然だと思っていた。

 だから、立ち上がってあなたの側に行ったとき、あなたが微笑んだことも、不思議に思わなかった。

 ――あなたはずっと、いつか私を元の世界に戻そうとしていた。

 あなたはあの日、私の手を取って、「さよなら」を言った。



 羽ペンを丁寧に削り、そっとインクに浸して、思うことを書く。

 空は曇り、晴れない空から雪がしんしんと降っている。

 あなたの目の色が、冬の澄み切った蒼色を、なぜか思い出す。


 ――基本的な家事以外、何の特技もない私を引き取ってくれたのは、とてもやさしい、小柄な老夫婦だった。ずっと、そんな人を探していたのだと、最後の日、あなたは言っていた。


 部屋が暖かい冬は、久しぶりだ。

 絨毯も上質で、椅子や机は人の手に馴染んだ色合いをしている。

 私はそんな優しい部屋で、便箋の前でなにも言えずにいる。


 私をたすけてくれた、あなたということを考える。

 何気ない仕草、握ってくれた手のひらのあたたかさ、緊張の走る戦闘の時を、豪快に仲間を抱きしめる時を、残された人たちに最大限の優しさを傾けてきたことも。


 何枚目かの書き損じを暖炉へくべる。煙になって、曇り空へとのぼっていく。

 剣だこのできた手に、このフレアスカートとブラウスは似合っているだろうか?

 思わずなぜか窓の外を見上げて、私は自分の襟足が伸びていることに気がつく。

 戦っていたときは、仲間が短く切ってくれていた。必要ないからなんでも切り捨てていたのだ。

 けれど、私は蒼い瞳に、はじめ自分に傷があることを知らされ、やがて傷が癒えていくことも感じていた。

 そう、目に見えない心の傷は、治っているのかどうかもわからない。

 そっと自分に尋ねなければいけないのだ。

 だから、私は今、便箋を前に、自分の心を思い出そうとしている。


 ――「さよなら」を言われたとき、かなしくて、さみしくて、でも、すとんとその言葉は心に落ちた。

 安らぎを失った私は、あなたと寝食を、戦闘を共にし、仲間と打ち解け合い、ゆっくりと自分だけのことを自分でできるようになっていたから。


 今ならわかる。

 もしも安らぎがなくなったのなら、いつか新しい日にそれを創り出せばいい。

 だからあなたは言っていた。傷つく人がいる度に、あの日の私にも。

 「あなたは生きている。それを信じよう」と。


 もう一度ペンを取る。

 手紙は未来を引き寄せてくれるはずだ。そのために、言葉はひとつずつ選ばれる。

 言いたいことは、伝わってほしいことは。


 元気で、いますか。

 ここはあたたかいです。

 手紙を書けるくらい静かで、良いところです。

 だから、あなたに、とても会いたい。


 未来のために「さよなら」を言う日もあることに、私は気付いた。

 だから、その未来が来たのなら、また手を伸ばして、出会いを求めてもかまわないはずだ。

 あなたを瞳を想えば、わかるよ。この雪雲の向こうの、冬の空色。


 最後に、ひと言つけ足す。

 未来で会うための言葉は、さよならじゃなくて、


 愛しい、

 

 という言葉になった。


 

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penna 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka

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