第九話 花薫る来訪者
川越くんが差し入れに買ってきてくれたパピコを咥えながら仕事をしていると、唐突に事務所のインターホンが鳴った。船江が立ち上がって、扉を開けに行く。
そこにいたのは、一人の少年だった。半袖のTシャツと活発そうな短パンがよく似合っている。
「……どちら様ですか」
「こちらは、人外の相談に乗ってくれる事務所なんですよね? ご相談があってまいりました」
怪訝そうな顔をした船江にも、はきはきと返事をした。小学生のような見た目とは違って精神年齢は高そうだ。僕は空になったパピコの容器をゴミ箱に入れて立ち上がった。
「お客さんかな、ようこそ。川越くん、お茶淹れて」
「はい!」
「こちらへどうぞ」
船江の案内で、少年が事務所に通される。迷うことなく少年はソファに腰かけ、正面に座った僕を真っすぐに見つめた。
「お茶です!」
「川越くん、不安ならお盆使わなくていいんだよ」
「れ、練習しようと思って……」
緊張した面持ちで川越くんがお茶を運んでくる。離れたところから見ても零れんばかりに震える麦茶のグラスを見て苦笑いしていると、少年が口を開いた。
「素敵な事務所ですね」
「え? あぁ、ありがとうございます」
「本日はどのようなご用件ですか?」
「こちらの事務所にお力添えを頂けないかと思いまして」
「めちゃくちゃしっかりしてる子だ……」
川越くんが呟く声は無視して、僕は少年に話の続きを促す。少年は頷いて話し始めた。
「私はここから少し離れた場所に生える梅の分霊です。実は、最近私の本体である梅の木から生命力が漏れ出てしまうという事態が起きています。本来ならもっと年相応の姿でお話をするべきなのですが、如何せん力が足りず、このような幼子の姿を取ることをお許しください」
「いえ、むしろ形を取っていただいて助かります」
船江が少し俯いて言う。まだ視えないのか、と思ったがこれは今の会話では必要ないので僕は何も言わなかった。
「このままでは恐らく私の本体は枯れてしまいます。公園の職員も気にかけてはくれているのですが、原因が分からないので途方に暮れている状況です」
「となると、原因は土壌じゃなくて呪術的なところにあるかもしれないと」
「護符で対処できるレベルなら解決できるな」
「あ、あの、すいません。その公園ってどこにあるんですか?」
川越くんの疑問に、少年は笑顔一つ作らず言い放った。
「県立の森林公園です」
僕はその言葉を聞いて、船江を見た。船江は心当たりがあるらしく、納得したように頷いていた。
「船江、どこなのか知ってるの?」
「東高根の森林公園だな。溝の口の駅からバスで一本だぞ」
「へえ、全然知らなかった。僕そっち方面行かないから」
そう言うと少年は苦笑いを浮かべた。その年に似合わぬ疲れた表情は、やはり人間のモノではない。
「とにかく、あそこの生態系を崩しかねない何かを探しに行けばいいんだな」
「となると、夕方でいいかな。下調べもちょっとしたいし」
「分かりました。それでは今日の夕方、公園の南口でお待ちしています」
少年は川越くんが出したお茶を少し飲んでから、丁寧にお辞儀をして事務所の扉を出て行った。
「……さて」
僕がソファから立ち上がり、この周辺の地図を棚から探す。川越くんは何か考え込んでいるようで、顎に手を当てながらしきりに唸っている。
「どうした川越」
「あ、いえ。オレの気のせいじゃなかったら昔、その森林公園に行ったことあったなあって思ったんですよ」
「そうなの? でも川越くん、家ここら辺じゃないよね」
驚いて手を止めた。僕の記憶が正しければ、面接時にもらった彼の履歴書に記載されていた住所は溝の口ではなく武蔵小杉だ。いくら南武線で一本とはいえ、わざわざ公園に来るほど近い訳でもない。
「オレ、小学校の頃は二年だけここら辺に住んでたんですよ。記憶が曖昧だからあんまりよく覚えてないんですけど」
なるほど。納得がいった僕はそのまま地図の捜索を再開する。棚からやっとこさ引っ張り出したファイルを机に広げ、そこから高津区のページを開く。が。
「あれ? 東高根の森林公園なんてないんだけど」
「んなわけあるか」
首を傾げる僕の横から船江と川越くんが覗き込んできた。いくら探しても、自然豊かな森林公園と思しき場所は見当たらない。頭を悩ませていると、船江が僕の頭をはたいた。
「いった!」
「何で高津区の地図開いてんだお前は。馬鹿だろ」
「叩かなくていいよね!」
「森林公園は高津区じゃなくて宮前区ですよ西萩所長」
「川越くんまで⁉ 知ってたなら教えてよ……」
叩かれた頭を押さえながら宮前区のページを開く。そこには、確かに大きく「県立 東高根森林公園」と書かれたエリアがあった。
「さすがに事務所からだとバスで行かなきゃいけないかな」
「お前だけ歩いて行ってもいいけどな西萩」
「物部さんのところ行ってからさらに当たり強くなったね船江」
お互いの顔も見ないでしゃべっていると、川越くんが小さく笑った。
「お二人とも息ぴったりですね」
「それはないんじゃない?」
「ないな」
「そういうところですよ」
楽しそうな川越くんを見て、僕はそんなに船江に対して仲が良さそうに接していたかと疑問に思う。
「そうだ。木霊相手なら老嶺さんに何かアイデアがあるか聞いてみたら?」
「そうだな。それは俺が行ってくる」
「川越くんはどうする? 僕は護符の用意があるから事務所に残るけど」
「あ、じゃあオレ船江さんと一緒に行きます!」
「分かった。いってらっしゃい」
僕が手をひらひらと振ると、船江は鼻を鳴らして自分の荷物を取りに行った。依頼人との約束までまだ時間があるので、僕は一人で準備に取り掛かった。
場所は変わって、溝口神社。俺は川越を連れてそこにやって来た。湿気と熱気が襲ってきて、シャツの中にも汗が流れるのが分かる。シャツの袖をまくってネクタイを緩めるが、それで完全に熱さが緩和されたわけではない。隣の川越もへばりそうになっていた。
境内に到着し手水を終えて親楠の前に向かえば、そこには既に老嶺さんがいた。いつも通りの穏やかな笑顔だ。
「いらっしゃい、船江さん。お久しぶりですね」
「ご無沙汰しています」
「川越さんもいらしてくれたんですね。こんにちは」
「こんにちは!」
川越も笑顔で老嶺さんと喋っている。いつの間にこんなに打ち解けたんだ、と少し驚いた。
「船江さん、何か御用なんですよね」
「あ、はい。実は今日、東高根の森林公園にある梅の木霊が依頼に来まして」
「
「お知合いですか?」
問うと、老嶺さんは笑顔で教えてくれた。
「昔はよく分霊がここに遊びに来てくれたんですよ。最近はすっかり見なくなったのですが……そうですか。それで、彼は一体どのような用件で?」
「生命力が漏出している、と。老嶺さん、何か心当たりや解決策はありますか」
隣で川越も顔をこわばらせて聞いている。老嶺さんは数瞬悩んで、おもむろに懐から小さなお守りを取り出した。
「これは、この神社のお守りです。ボクの神力を数週間分ですが貯めています。力になれるかどうかわかりませんが、これを紅梅にお渡しください」
川越の手に乗せたのは、緑色の小さなお守りだ。この溝口神社でいつでも買える、悪く言えば普通のお守り。でも、まだ視えていない俺でも分かるくらいには木の強い気配がした。
「確かに受け取りました。必ずお渡しします」
「助けになるといいんですけどね」
「オレも頑張ります!」
元気な返事をする川越に、思い出したように老嶺さんが向き直る。彼は笑顔のまま疑問符を浮かべている川越にこう言った。
「川越さん。今日は足元に十分注意してくださいね。あの公園の木霊は悪戯が好きですから」
バス停に降りて、僕たちは件の森林公園に向かっていた。僕たちを降ろして去っていくバスの後ろを見送りながら、僕は少し強い風に目を細めた。
「あ、あそこじゃないですか?」
川越くんが指差した先には、綺麗に整備された駐車場と公園のエントランスらしき広場が見える。
「行くぞ。依頼人が待ってる」
「そうだね」
夕方の強い日差しに目を刺されながら、森林公園に向かって歩き出す。車の往来が中々激しい。見通しのいい夕暮れの一本道だ。街灯は少なめで夜は危ないな、とぼんやり思った。
横断歩道を渡り、公園の正面に到着した僕たちを、少年が出迎えてくれた。こちらに気が付いた彼は、駆け寄って礼儀正しくお辞儀をしてくる。
「今日はお越しいただいて本当にありがとうございます」
「そちらの状況は?」
「芳しくないですね。未だに本体は弱り続けています」
「急いだほうが良さそうですね……」
不安そうな表情で川越くんが呟く。僕はそれに首肯して、少年に言った。
「力になれるよう頑張ってみます。案内をお願いできますか」
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