第七話 一難去ってまた一難

 西萩縁はオレを見下ろしながら、笑みを深めた。


「何してんのって聞いてるんだけど、聞こえてる? 大丈夫?」

「あ、いや、その」

「昇汰くんに僕の後を尾行しろとか言われたの?」


 口元は歪んでいるが、かち合った視線はひどく冷えている。返事をしないオレを見て、西萩縁は目を細めた。所長の笑顔と形は似ているのに、感じられる雰囲気がまるで違う。

 黙ったままのオレの前に、彼がしゃがみこんだ。目線が近くなって、やっぱりこの人は所長にそっくりだと頭の片隅で考える。


「ふぅん……良く分からないけど、本当にただ通りかかっただけなのかな。君、名前は?」

「か、川越亘……」

「カワゴエくんね。僕はあのド低能な従兄弟と違って分別のついた大人だから善意で教えてあげるけど、君みたいなただの凡人が昇汰くんとかあの人相悪い奴に近付かない方がいいと思うよ。人相の悪い方は正直興味ないから知らないけど、昇汰くんって多分君が思ってる以上にクズだからさ」


 軽快に口から言葉が弾む。呆気に取られてそれを見ていると、今度こそ西萩縁は楽しそうに笑った。


「そうだ、カワゴエくん。ちょっと昇汰くんの事務所まで一緒に行こうよ」




 最近、喫煙量が増えた気がする。明らかにいつもより早いペースで積もる吸殻を睨みながら、僕は吸いさしをねじ込んだ。夕方になれば気温も下がって、屋上も過ごしやすくなる。もう一本くらいいいか、と火をつけようとすれば、何やら騒がしく屋上のドアが開いた。


「西萩!」

「どうしたの船江。視えるようになった?」

「違う、いいから来い」

「えー……これ吸ってからじゃダメ?」


咥えた煙草を動かして見せれば、船江は顔をしかめて近付いてくる。僕の腕をつかんだ船江の表情はどこか疲れていた。


「西萩縁だ。お前に用があるらしいぞ」

「は?」


 口から煙草があっけなくぽろりと落ちる。まだ火をつけてなくてよかった、と考えるより先に僕は事務所に駆けだした。船江が何か言っているが、無視だ。何であいつがここに?


「ちょっと、縁くん何でここに来てるの!」

「あ、昇汰くんじゃん。この間ぶり」


 事務所の扉を蹴り開ける。最初に視界に入ってきたのは、僕の作業椅子に座ってオレンジジュースを飲んでいる縁くんの姿だった。行儀悪く、足は机の上だ。汚い。本当にやめてほしい。


「何の用」

「そんな怒る必要なくない? 僕はただそこのカワカミくんと」

「川越くんね」

「そうそう、それ。カワゴエくんと一緒にここに寄っただけなんだからさぁ。それに僕言ったよね、「また来るから」って」


 僕は縁くんを連れてきたという川越くんを見た。川越くんはすいません、と泣きそうな顔で必死にジェスチャーを送ってくる。縁くんは机の上に置いた足を組み替えた。まるで出来の悪いゲームに出てくる悪趣味なラスボスだ。人を虚仮にするような言動も相まって吐き気がするほど苛立ちが募る。


「せっかく溝の口で仕事があるから昇汰くんに嫌がらせしていこうと思ったんだけどさ、いざ考えるとインパクトに欠けるのしか出てこなくて。だから大っ嫌いな昇汰くんの顔でも見れば何か思いつくかなーって」

「それで? 何かいいアイデアは?」

「ぜーんぜん。そこのカワゴエくんともお話したけど、あの子本当に善良でむかつくね。昇汰くんの次に嫌いなタイプ」


 名指しで貶された川越くんは、今度こそ顔色が悪くなっている。

 僕は事務所を進み、本来の僕の居場所を取り返すべく縁くんの前に立った。見下ろせば、縁くんは腕を組んで居座る意思表示を見せる。


「そこ、僕の」

「知ってる。だから座ってるの」


 埒が明かない。これでは会話が堂々巡りだ。


「とりあえず足退けてよ。マナーも知らないなんて育ちが悪いんじゃない」

「どの口がマナーとかほざいてるの? 人間の常識もわきまえてない昇汰くんが誰に言ってるか分かってるのかな」


 僕の言葉には聞く耳も持たず、縁くんは机の引き出しを物色し始めた。中身を引きずり出しては床に投げ落とす。ペンが、磁石が、付箋が、パソコン用の眼鏡が、クリップが、メモが、ぼろぼろと零れていくのを見て、僕は我慢できずにその腕をつかんだ。


「何?」

「何、じゃないよ。やめて」

「昇汰くん、こうやってされるの嫌なんだ。じゃあやめない」


 心底嬉しそうに笑って僕を振り払い、引き出しをひっくり返した縁くんに今度こそ僕は右手を握りこんで振り上げた。

 その手は、いつの間にか背後にいた船江に阻まれる。振り返りざまに睨みつければ、船江は一瞬だけ目を丸くして、すぐに眉を寄せた。


「落ち着け」

「船江、離して」

「自分が何しようとしてるか考えてみろ。問題起こしたら面倒だっていつも言うのはお前だろ」

「……離せよ。あいつがにくいんだ」


 ぽつりと漏らした言葉に、船江が顔をしかめた。僕の腕を捕まえたまま、船江は声を張り上げる。


「おい川越!」

「はっはい!」

「今すぐそいつ連れて事務所出てけ!」

「わ、分かりました!」


 川越くんが慌ただしく縁くんの手を引いて事務所から追い出そうとする。椅子から渋々立ち上がった縁くんは、何かを思い出したように僕に近付いた。見ているのは僕ではなく船江だ。


「ちょっと調べたんだけど、お兄さんなんだか結構な過去をお持ちだよね。復讐とか興味ある? お金さえくれればいつだって依頼を受けるよ。昇汰くんの事務所の人だから割引は絶対してあげないけど」


 そう言いながら縁くんが差し出したのは、一枚の白いカードだ。表面には何も書かれていない。


「これ、うちの事務所の連絡先。水に浸けたら文字が出るから。もし殺してほしい人とか、恨みがある奴がいるなら連絡してよ。何ならうちで働く? お兄さんなら面白い仕事してくれそうだし歓迎するんだけどなぁ」

「いらん」

「そんなこと言わないでよ。ね、船江?」


 僕の真似をするように、縁くんが船江を呼んだ。頭に血が上り、僕は船江の手を振り払って縁くんが差し出す名刺をひったくる。それを縁くんの目の前で思いっきり真っ二つに引き裂いた。


「……僕たちはこんなものに関わらないし、うちの所員もあげない。出て行ってよ縁くん」

「こんなものって酷いなぁ。同じ「西萩相談事務所」でしょ?」

「一緒にしないで。汚らわしい」


 名刺と一緒に地面に吐き捨てると、縁くんは破れたそれを目で追って口角を引き上げた。


「なるほどねぇ……うんうん、やっぱり昇汰くんに会って正解だったよ。いい方法思いついちゃった」

「いい加減にして。それとも、「縁ちゃん」は嫌がられても付きまとう程僕が好きなの?」

「……あ?」


 一気に縁くんの声のトーンが下がった。ようやく縁くんのむかつく笑みを引き剥がせたことに満足を覚える。


「川越!」


 船江が呼ぶのと同時に、川越くんが縁くんの腕を引いて、今度こそ事務所を出て行く。何やら抵抗しているような物音が聞こえたが、縁くんより身長の高い川越くんが無理やり連れ出したらしい。

 縁くんがいなくなって、事務所には重苦しい沈黙が降りてきた。ここにいる僕も船江も、何もしゃべろうとしない。


「西萩、お前最近おかしいぞ」

「……なにもおかしくないよ。これ、片付けなきゃ」


 僕は縁くんがぶちまけた文房具を、しゃがんで一つずつ拾い上げる。まだ渦を巻いている憎しみと怒りを抑えるように、できるだけ丁寧に。だが、船江が僕の胸倉を掴んで無理やり立たせた。


「ちょ、船江、苦しい」

「ちょっと黙ってろ」

「離してよ!」


 身をよじって逃げ出そうとすると、船江の平手が飛んできた。

 静かな事務所に、一発だけ殴打の音が響く。横面を張り飛ばされ、顔が勢いで右を向いた。驚きのあまり声も出ない僕を見て、船江は首を傾げた。


「一瞬視えた気がしたんだが……おい、落ち着いたか」

「え、は?」

「なんか憑いてた」

「なんかって、いきなりビンタなんて……! ……あれ?」


 僕は赤く腫れているであろう頬を押さえながら船江に食って掛かろうとして、さっきまで自分の内部を苛んでいた負の感情がほとんどない事に気が付いた。船江は何か納得したように頷いている。


「多分この間お前が失敗した降霊術のせいだろ。依頼主とそこら辺の霊が憑いてたんだな」

「……えっと、話についていけない」

「お前の西萩縁に対する怒りやら憎しみに低級な霊が寄ってきてた。だからそれを祓った。理解したか」


 船江は僕の襟元から手を離すと、少し離れたところでどこかに電話をし始めた。会話の内容から想像すると、恐らく川越くんだろう。


 僕はそれを聞きながら俯いて、握りしめていた右手をそっと解いた。地面に落ちた名刺の残骸を拾い上げ、それをゴミ箱に投げ捨てた。



 船江に殴られた頬は痛いけれど、それでも少しだけ心が軽かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る