第四話 こんにちは、降霊術
翌日。僕は事務所のローテーブルに必要な機材を並べていた。船江はそれを横で見ながら顔をしかめている。コピー用紙にひらがなを並べていると、とうとう船江が口を出した。
「何してんだお前」
「今日のお客さんと話す準備。僕は船江と違って相手に形を取ってもらわないと視れないから、そのために用意しておこうと思って」
「それにひらがな一覧表が必要なのか」
「こっくりさんの原理でお客さんを降ろせば話ができるでしょ」
「降霊術か?」
ぴくりと眉を動かして船江が呟く。僕は頷きだけ返して作業を続行した。一応準備は終わったので、あとは予定時刻に降霊術を始めるだけだ。
「そもそも降霊術ってのは狐なんかの低級を降ろして質問するような代物だぞ。それで依頼なんかできるのか」
「さあ? でも僕って憑きやすいんでしょ? ならいけるよきっと」
「……手順は間違えんなよ」
「さすがにそんなへましないってば。僕だってこれでもこの事務所の所長なんだよ?」
「そうかよ」
船江は鼻を鳴らすと、そのまま自分の机に向かった。僕はそれを目で追いかけて、またローテーブルに視線を戻した。成人男性が昼間からオカルトに興じているのはなかなかシュールな光景だ。僕は自分でやろうとしていることの奇妙さに思わず苦笑いをこぼした。
今回、僕が行おうとしているのは船江が言った通り降霊術と呼ばれるものである。こっくりさん、と呼ぶ方が一般的には分かりやすいだろう。紙に「はい」、「いいえ」、「男」、「女」、「〇から九までの数字」、「五十音」、「鳥居」を書いて机に置き、その紙上に硬貨を置いて霊を降ろすことで行える占いの一種だ。置いた硬貨の動きは霊の言葉を記すため、僕のように視えない人間でも幽霊との対話が可能になる。
昨今では筋肉疲労による微細な振動で硬貨が動く、もしくは潜在意識の回答が硬貨を動かすと言った解釈が主流になっているが、船江曰く「あぁいうのはほとんどが本当に降りてきてる。信じてない奴らが否定説を唱えるだけだ」だそうだ。これが教育番組なら「良い子は真似しないでね」とでもテロップがつきそうなものである。
本来ならば複数人で集まって行うのだが、今回は僕一人でやる。視えなくても気配や音は分かるらしいので、もし降霊術が失敗したら船江に助けてもらうつもりだ。そうならないのが一番なのは分かっている。
「……もういいかな」
僕は左手につけた腕時計を確認してからテーブルの前に立った。船江は、頬杖をついて作業机からこちらを伺っている。
「ワカミヤさん、ワカミヤさん、どうぞおいでください。もしおいでになりましたら、「はい」へお進みください」
今回の依頼人であるワカミヤさんは、先日溝の口の交差点で起きたひき逃げ事件の被害者だ。彼は既に亡くなっていて、「自分を殺した犯人が知りたい。このままのうのうと殺人者が生きている事実が許せない」とうちに依頼を持ちかけた。こういった事故の被害者からの依頼は
「ワカミヤさん、ワカミヤさん、どうぞおいでください。もしおいでになりましたら……」
二、三度同じ言葉を唱えると、僕の指の下にあった硬貨がわずかだが動いた。船江はそれを見て小さく「来たな」と呟く。
鳥居の位置に置いていたコインが、ゆっくりと「はい」の部分まで移動した。僕は少し息を吸い込んでから、明日香にもらった情報を記した手帳を見て言葉を発する。
「今回は当事務所をご利用くださいましてありがとうございます。ご報告させていただく所長の西萩です。よろしくお願いします」
はい。
「早速ですが、調査の結果が出ました。ワカミヤさんをひき逃げした車のナンバーと所有者です。今回の依頼内容が「自分を轢いた犯人を知りたい」とのことでしたので調べさせていただきました」
はい。
「まずナンバーです。こちらは現場に落ちていたカケラと、破損部分が一致する車体を特定しました。ただし、一般には公開されていない情報です」
はい。
「神奈川ナンバーで番号は××-××。車の所有者は長坂孝仁、四十二歳。ごく普通のサラリーマンですね。お心当たりはありますか?」
はい。
「……詳しく説明していただいてもいいですか?」
どうりょうです。おなじぶしょではたらいていました。
「ご友人ですか」
ただのしりあいです。そこまでなかよくはありません。
「そうですか……現場検証によると、彼はワカミヤさんを轢く前に一度加速していたようです。それまでは法定速度を守っていたにも関わらず」
しっています。ひかれましたから。
「何か、トラブルはありましたか?」
とらぶるというほどではありませんが、ひとつだけ。
「というと?」
せんじつ、しゃのぷろじぇくとでわたしのきかくがさいようされました。ながさかもおなじようにていしゅつしていましたが、とおったのはわたしのものだけでした。
「つまり、動機は怨恨と?」
それいがいにおもいあたりません。
「その長坂さん、警察の事情聴取では「わざとやったわけではない。暗がりから飛び出してきて、事故だった」と供述しています」
いいえ。
「いいえ? というと?」
わたしはあのとき、つきとばされたんです。だれかがうしろから、せなかを。
「計画的犯行……確かにあの周辺は監視カメラもないから不可能ではないけど……」
あなたです。
「は?」
つきとばしたおとこ。あなたにそっくり。
「……まさか」
おまえか。
「おい西萩、そろそろいいだろ。帰ってもらえ」
おまえか。おまえか。おまえか。おまえか。おまえ、おまえ、おまえ、おまえおまえおまえおまえおまえおまえおまえおまえおまえおまえおまえおまえおまえおまえおまえおまえ。
「ワカミヤさん、落ち着いてください。僕はそんな」
その瞬間、僕の脳裏にワカミヤさんの最期の記憶が流れてきた。
帰りの夜道。少ない電灯。赤信号。背中を襲う衝撃。一瞬だけ見えた顔。黒い髪。揺れるパーカーの紐。光の加減で黒く見える大き目の瞳。歪に曲げられた口元。それは、僕にそっくりな男で、次の瞬間には車体が、自分を吹き飛ばして。
「うっ……!」
こみ上げる吐き気を押さえるために口を覆おうとして、思わず硬貨から手を放す。尻もちをついた僕などお構いなしに、硬貨はポルターガイスト現象の如く勝手に紙上を動き回った。
にくい。ながさかも、おまえもにくい。わたしがしななくちゃいけないりゆうなんてなかったのに。どうして。にくい、にくい、にくい。
船江が立ち上がり、紙の乗った机を大きく叩いた。硬貨は動きを止め、船江はその隙に話す。
「お客さん。その男、多分うちの西萩じゃありませんよ。そちらの件も調査しますから、今日はお引き取り願えませんか」
しばらく、硬貨は「はい」と「いいえ」の間を彷徨うように動いていたが、やがて静かに「にくい」とだけ残して鳥居の印に戻った。
茫然としながら座り込む僕の前にしゃがんで、船江が軽く僕の頭を叩いた。
「いてっ」
「しっかりしろ。お前中てられたな? 何が視えた」
「……多分、ワカミヤさんを突き飛ばしたのは縁くんだ。最期にワカミヤさんが見た記憶がそれだった」
「復讐代行か……大方、その長坂ってのに頼まれてやったんだろうな。ひき逃げの発生時刻は先週の金曜の夜だったか?」
「そう……あっ」
「どうした」
「明日香が縁くんを見たタイミングと一致してる!」
僕が声を上げれば、船江は眉間に皺を寄せた。少し考え込む素振りを見せてから、ため息を吐く。
「ダブル西萩の所為でこっちはいい迷惑だ」
「誰がダブル西萩だ! あんなのと一緒にしないでよ!」
「うるせえ」
船江が耳をふさぎながら離れていく。僕は疲れからか少し重たくなった身体を起こして、大きく伸びをした。
あれだけ動き回っていた硬貨はすっかり静かになっている。どこか他人事のように胸中に渦巻く感情を吐き出したくて、深く息を吐いた。
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