第三話 招かれざる客

 僕の前で人当たりのよさそうな笑顔を浮かべた縁くんは、その顔を崩さないまま言った。


「どいてくれない? 僕中入りたいんだけど」

「嫌だ。帰って」

「所長、お客さんですか?」


 声を聞きつけて川越くんがこちらに近付いてきた。彼は僕と縁くんの顔の間に何度か視線を往復させて、一息置いてから言った。


「え、所長双子だったんですか!」

「違う。全然違う。こんな奴となんか似てないし兄弟でもない」

「こんな奴なんてご挨拶だなぁ。ほんと、そういうところ相変わらずだよね昇汰くん」

「帰ってよ。何で来たの」


 語気を強めて言うも、縁くんはそれに答えず僕の肩を押しのけて無理やり事務所に入ってきた。川越くんも、来客用のソファに座っていた船江も驚いている。僕は縁くんを止めようとその後を追いかけた。


「ちょっと!」

「へえ、ここが昇汰くんの事務所? 汚い雑居ビルだなあとは思ってたけど、こんな狭苦しいところで毎日仕事してるの?」

「おい、西萩……は? 西萩?」


 船江も、僕と縁くんを見比べて目を丸くしている。確かに、顔はよく似てるかもしれないけれど、それでも別人なのに!


「船江、こいつどうにかしてよ!」

「所員ってこの二人だけなの? はーあ、しょぼいなほんと。まあ昇汰くんにはお似合いなのかな」


 招かれざる客のくせに来客用のソファに座り込み、迷惑なことに足をローテーブルに乗せた。誰が掃除すると思ってるんだ。


「しょ、所長? お客さんに何かお飲み物出した方がいいですか?」

「いい。それ僕がやるから」


 わざと足を踏み鳴らして給湯室に向かえば、背後から船江と川越くんの小声が届いた。


「オレ、あんな西萩所長見るの初めてです」

「奇遇だな、俺もだ。というか、あいつ怒れるんだな」

「オレが何回コップ割っても怒らなかった所長があんなに不機嫌に……」

「聞こえてるからね二人とも!」


 八つ当たりのようにインスタントコーヒーの粉末を適当なカップに入れ、保温中のポットから乱暴にお湯を注ぐ。適当に混ぜて、僕はそれを縁くんの前にわざと音を立てて置いた。がちゃん、と騒々しく置いたせいでわずかだが中身が零れ、縁くんの足元にコーヒーの水滴が飛んだ。


「これでも飲めば?」

「はぁ? 僕がコーヒー嫌いって知ってるくせにこういう事するわけ? あ、それともおつむが弱い昇汰くんはそんな簡単なことも覚えてられないのかな」

「分かっててやってるに決まってるじゃん」


 睨みつければ、縁くんも同じように僕を睨み返してきた。先に顔をそむけたのは縁くんだ。彼は机に乗せたままの足で、僕が運んできたコーヒーを退けた。


「さっさと死んでくれないかなあ昇汰くん。なんでまだ生きてんの」


 カチンと来たが、僕は縁くんより精神が大人なのでそこは無視した。テーブルを挟んで縁くんと向き合うように座ると、船江が僕の横に立った。いつも依頼人の話を聞く時のポジションだ。船江は縁くんを見て眉間に皺を寄せながら僕に尋ねた。不機嫌というより、困惑しているように見える。


「西萩。こいつは誰だ」

「親戚みたいなもの。とっくに死んだと思ってたけど」

「それは昇汰くんが死んでほしいって思ってるだけでしょ?」

「縁くんの仕事なら死んでてもおかしくないよね。死んでよ」


 僕の一言に船江が何かを言おうとしたが、僕は視線だけで静かにしてて、と意思表示した。伝わったのか、船江は口をつぐむ。川越くんは給湯室に避難したらしく、扉から顔だけ覗かせてこちらの様子をうかがっていた。


「せっかく顔を見に来てあげたのにその言い草ってないよね。いいよ、僕自分で自己紹介するから」


 そう言うと、縁くんはテーブルから足を下ろして組み笑った。


「僕は西萩縁。そこの無駄に顔が似てる人でなしとは従兄弟なんだ。よろしくね」

「よろしくしなくていい。帰ってよ」

「ちぇ、つれないなぁ」


 不満げな口ぶりとは裏腹にその顔は胸糞悪い笑みを浮かべている。本当にむかつく。


「仕事がどうのって言ってたな。あれはどういう意味だ?」

「あぁそれ? 人助けのための事務所を経営してるんだよ、僕。





西萩相談事務所っていうんだけど」

「……は?」

「僕って慈善団体も顔負けの善人だからさ、そこの人間社会におよそ適応できない現代のクズの極みと違ってちゃんとお仕事してるんだよね。それなのにそいつが僕と同じ名前の事務所を運営してるとか聞いて……あぁ、ほーんとむかつく。ある日突然不慮のひき逃げに会って死んでくれないかな!」

「それ僕の事言ってるの?」

「自覚ないの? 末期だなぁ」


 僕は苛立ちで握りこんだ拳を逆の手で押さえながら深呼吸した。殴ったらこっちの負けだというのは幼い頃から嫌という程身に染みている。そんな僕に構うことなく、縁くんは言葉を続けた。


「大体さあ、妖怪だとか幽霊だとかそういうオカルトじみた事務所とかやってる時点で大概だよね! 前々から気持ち悪い変人だと思ってたけどここまでとは恐れ入ったよ!」

「……それを言いたかっただけならもう十分でしょ。仕事の邪魔だから帰って」


 怒りで震える指をまっすぐにドアに向ければ、縁くんは右手に付けた腕時計を眺めて唸った。


「うーん……そうだね。そろそろ僕も仕事があるからお暇させてもらうよ。僕はまっとうに人間相手の仕事をしてるから忙しいんだ。お前たちと違って」


 よいしょ、と呟いて席を立ち、縁くんは軽やかに扉に向かった。事務所を出る直前にこちらを振り向き、背筋が凍る程深い笑みを浮かべて言った。


「また来るから」


 そんな不穏な言葉を残して、事務所にはまた平和な空気が戻ってきた。ただし、僕の胸中は大荒れのままだ。


「に、西萩所長? 大丈夫ですか? 顔色悪いですけど……」

「とんでもない奴だったな。随分嫌いあってるみたいだが、なんだあれは」


 船江がため息を吐いて呟いた。僕もため息を吐きたい気分だ。ぐったりとソファの背もたれに体重をかけた時、ふとスラックスの尻ポケットで煙草の箱が潰れた感触がした。


「……僕ちょっと煙草吸ってくる」

「おい西萩」


 船江の静止の声を振り切って、僕は屋上に通じる階段を登っていく。夏前の生温い夜気が、重たい鉄製の扉を開けた瞬間に吹き込んできた。僕は冷たいタイルにそのまま座り込んで胡坐をかき、煙草を咥えてライターで火をつける。疲れ切った心を慰めるように長く細く煙を吐き出せば、船江が僕を追いかけて屋上に来た。


「説明しろ。あれはなんだ? 視えなくても分かるくらい憑かれてるぞあいつ」

「まあ、だろうね」


 僕はもう一度煙草をふかした。すっかり日が沈んだ空に溶ける煙を見ながら、ぼんやりと話し始める。


「船江には話しておこうかな……あのね、あいつは西萩縁って名前で、さっきも言ってたみたいに僕の従兄弟で、僕が世界で一番嫌いな奴。顔は似てるかもしれないけど、僕一人っ子だから絶対に双子とかじゃないよ」

「……それで?」

「僕と同い年で、何処かは知らないけど人間を相手にした相談事務所してるんだよね。しかも、すこぶる趣味が悪いの」


 苛立ちのままに煙草をもみ消して、次の一本に火をつける。嫌煙家の船江は嫌そうな顔をしたが、そんなのどうでもいい。


「あいつがやってるのは復讐代行。他人の恨みを食い物にしてるんだよ。嫌なことがあって、どうしても我慢できないって人からお金巻きあげて、代わりに復讐するのが縁くんの仕事でさ。いじめっ子を自殺に追い込んだり、浮気相手と元恋人を社会的に破滅させたりとかそういう事してるんだ」

「詳しいな。嫌いなんじゃないのか」

「前に誘われたからね。「うちの事務所で仕事しない?」って。「昇汰くんくらい人でなしなら、うちの事務所でも働きやすいんじゃない? 責任問題になったら影武者で死んでもらえるし」だってさ。断ったけど」


 真似をするようにわざと陽気な声色で言えば、船江がこめかみを押さえた。


「今視えたら、お前に相当靄が掛かってるんだろうな」

「否定はしないけどさ」


 僕は背中から倒れこんで、タイルに転がった。夜空は、何時ぞやのように曇っている。星の見えない空を睨みつけていると、僕はあることに思い当たった。



「そろそろ僕も仕事があるから」



「まさか、溝の口であいつが復讐代行を……?」


 いや、そんなはずはない。僕は嫌な考えを捨てるように立ち上がって、吸いさしを踏み消す。怪訝な顔をした船江に、努めて普通にしながら僕は言った。


「もう大丈夫。仕事に戻るよ」

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