第52話 オッタ―通りは “金輪際”

 須又温泉は警察の監視体制で立ち入り禁止となっていた。遺体は既に収容されて、3名の警官が立っていた。

 辰巳が犬の散歩を装って須又温泉の入口に近付くと、猟犬・ギンが唸った。須又温泉の中は怨念を残した特撮オタの霊でごった返しているようだ。辰巳は唸るギンを制した。最初の “沢セコ” として、やつら全員をゴミクズオッター通りに誘い込まなければならない。辰巳は懐から特撮グッズ “青の剣” を出し、空に翳して牙家の指示を待った。警察官が辰巳の不審な動きに声を掛けて来た。


「あんた、そこで何してるんだ?」

「何って、犬の散歩だよ。うちの犬はこれが好きでね」


 商店街の入口で牙家と一緒に待機していた妹背が、須又温泉の入口から “青の剣” を狙って一斉に出て来た特撮オタの霊を確認した。


「出てきました」

「よし!」


 牙家は辰巳に合図を送った。辰巳は “青の剣” をギンに銜えさせると、ギンは俊足で商店街に向かった。特撮オタ霊たちは先を争ってギンを追った。


「ほら、お巡りさん、うちの犬、楽しそうでしょ」


 走るギンの前に五味の怨霊が立ち塞がったが、急カーブを切ってかわし、ギンは商店街に入った。一直線に走るギンの前に女部田の怨霊が現れ、ギンに強力な念力波を送った。“ギャンッ” という唸り声を上げたギンは一気に弾き飛ばされ、奥に設えた木組みに叩き付けられてしまった。床に落ちたギンは激しい呼吸のまま動けなくなってしまった。女部田と五味の怨霊が特撮オタ霊たちを従えて、ギンの銜えている “青の剣” 目指して近付いて行った。ギンは威嚇して唸りながら、瀕死の状態で木組みの陰に身を隠した。


「引き摺り出せ、五味!」


 五味の怨霊が引き摺り出そうと近付くと、突然、ギンが飛び出し、猛スピードで商店街の入口に戻って行った。


「仮病犬めッ! 誰でもいい、“青の剣” を奪い返せ! 」


 五味の怨霊を先頭に特撮オタ霊たちが猛スピードで追い駆けたが、ギンが商店街を脱出すると、妹背によって入口が封印されてしまった。


「閉じ込められた! おのれ神主め!」


 攻め寄る怨霊たちの前に、妹背の両脇から、シカリの牙家と “中セコ” の西根万蔵、松橋徳三郎が現れた。


 マタギたちは天候の急変する過酷な雪山で2時間でも3時間でも獲物が現れるまでジッと待つ「木化け」の術を使う。女部田らはまんまとギンに煽られ、“木化け” の牙家らには気付かなかったのだ。


 牙家の合図で、峰岸翔と成沢武尊も姿を現した。


「成沢 !? …なぜおまえが !?」

「私は峰岸譲司氏の長男・翔くんの助太刀で来た!」


 女部田は、翔の激しい憎悪の目に大きな反応を示した。


「おまえの父親が選んだことだ。ボクを恨むのは筋違いも甚だしい!」

「私は、あなたが死んだことを後悔する苦しみを与えるために来ました」

「来なければいいものを…おまえこそ後悔するだけだ!」

「翔くんが後悔することは100%ない!」

「ほほう…特撮俳優というのは正義面してがなりたてるだけで、何の力もないと思い知ることになるぞ!」


 女部田の怒りの念力波が襲ったが微動だにしなかった。


「・・・ !?」


 成沢と翔が風鈴を翳している。よく見ると、万蔵も徳三郎も風鈴を翳していた。その風鈴の金属音が女部田の強力な波動を消してしまった。風鈴の音は霊にとっては至極耳障りな音でもある。


「風鈴!」


 怨霊たちにとって鉄器の触れ合う金属音は戦闘意欲を削がれるばかりか、冷静さを失わせる危険な音でもある。女部田は、死後初めて生きている人間の知恵に恐怖を覚えた。

 牙家と辰巳も風鈴を翳し、特オタの霊たちをじりっじりっと後退させ、商店街の中央まで辿り着いた。


「馬鹿者! こいつらの策に乗るんじゃない! 散れ! 一ヶ所に溜まるんじゃない!」


 牙家が叫んだ。


「おまえら! 特撮グッズがほしいだろ! たくさんの特撮グッズがどこにあると思う! あの木組みの中だ! 早い者勝ちだぞ! 急がないと無くなってしまうぞ!」


 その言葉に特撮オタ霊は一斉に木組みに向かって飛んだ。


「策に乗るんじゃない! そこに入ったら二度と出られなくなるぞ!」


 特撮オタ霊たちは女部田を無視して我先に木組みに飛び込んで行った。


「バカもの! やめろ! その中に入るんじゃない!」


 女部田の叫びも届かず、特撮オタ霊たちは全員先を争って木組みの中に消えてしまった。


 マタギ猟は獲物の習性を利用した罠を駆使する。人間は無意識のうちに、最後の最後に見たものに無念の思いを残してしまう習性がある。特撮オタ霊たちはその習性どおりに動き、まんまと牙家たちの罠に掛かってしまった。

ところが、五味と女部田の怨霊は『神界壇』には絶対に近付こうとはしなかった。彼らが愛するのは、特撮番組でもグッズでもなく、己自身である証拠だ。女部田や五味にとっての特撮番組は自己愛の実現の手段に過ぎないのだ。


 牙家の合図で、地元の生き字引・湊伝三郎が “木化け” を解いて姿を現した。伝三郎は素早い動きで、廃業で閉まっていた一軒の店のシャッターに手を掛けた。ゆっくりと開けられるその錆び付いたシャッターの金属音に五味と女部田は思わず戦いて、更に商店街の奥へと後退した。間髪入れず、向かいの店の万蔵が錆び付いたシャッターをゆっくりと開けていった。


 伝三郎と万蔵の阿吽の呼吸で、商店街の両側のシャッターが交互に一軒づつ開けられて行くので、その度に五味と女部田は奥に向かって後退するしかなかった。前方からは横一列で牙家、辰巳、成沢、翔が風鈴を翳してじりっじりっと迫って来る。入口に逃げようにも、妹背神主がその中央に立ち、式神を飛ばして逃げ道を完全に封鎖ていた。五味と女部田はどんどん後退するしかなくなっていった。ついには『神界壇』の木組みを背にして一歩も後退できなくなってしまった。女部田がヒステリックに叫んだ。


「五味、特オタどもを呼び戻せーーーッ!」

「でも、この中に一旦入ったら抜け出せないと…」

「いいから力づくでも引き摺り出せ!」

「でも!」

「ボクに逆らって、みんなどうなったか知ってるだろ!」


 五味は恐る恐る木組みに半身潜らせると、途端に中から “ググッ” と引っ張られた。“ギャーッ!” と焦って抜け出そうとするが、誰かに首を掴まれて引っ張られているらしく、無我夢中で女部田に助けを求めた。


「女部田さん、助けて! 誰かに首を掴まれた! ボクを引っ張り上げてください! 早く助けて!」

「ボクに支持するのか !? ボクが危険を冒してまでキミを助ける !? …有り得ないことだね。使えないやつだな!」

「女部田さん!」

「使えない…ホンと使えないやつ!」


 女部田は五味を木組みの中に叩き落とした。


 五味が落ちてゆく先には賽の河原が広がっていった。落ちながら五味の耳には女の声が聞こえてきた。


「そこがあなたの金輪の際よ。女が三途の川を渡る際には、初めて関係を持った男に背負われて、共に渡るという言い伝えがあるそうよね。そんな女が複数いたら、身が一つじゃ足りないわよね」


 冷笑する妻の声がした…ような気がした。


 須又温泉で煮え死にした者、凍死した者たちが、死んだ時のままの醜い姿で川岸に集まっていた。千葉藤雄、氷室豊子、宮崎智乃ら最初の頃に凍死した者、山岸ゆかり・さなえ姉妹、大藪誠らイベント参加組数十人の特撮オタ連、そして、ボイラー室で女部田の不意打ちを食らって命を落としたエルトン・仁、矢代蘭、四条小夜子もいる。少し離れた位置には、特撮俳優の鍋島峻作、鍋野満、岩田今朝雄、團國彦、そして村木志郎ら総勢53名が川向こうの彼岸を眺めながら何かを待つように立っていた。


 川の浅瀬を、五味の知っている人間が渡って行くのが見えた。加藤亮にオンブして渡る金冬美だ。五味は、こっちを振り返った冬美と目が会った。その口元が “ウ・ン・コ・ちゃ・ん” と動いて冷笑していた。


「クソーッ! ボクは女部田のウンコじゃない!」


 冬美に叫ぶ五味の前に老人が現れた。


「この期に及んで何を興奮してるのかね?」


 老人は、三途の川岸で亡者の生前の罪の重さを計る懸衣翁けんえおうだった。


〈第53話「いくつに分ければいい?」につづく〉

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