第47話 湯面に浮かぶ “もののけ”

 公衆浴場に浸かるのは何年振りだろうと脱衣室に入った村木は、体重計に目が行った。イベントの挨拶の時は気付かなかったが、最近すっかり見掛けなくなったレトロな体重計がある。村木は真っ先に乗って見た。アナログの針が想定外の位置を差したので、急いで衣類を脱いでもう一度乗ってみた。


「90キロ !? この体重計、狂ってる!」

「狂ってるのはおまえだ。何だそのブヨブヨの体は」


 声に驚いて周囲を見回したが誰も居なかった。最近疲れてると思いながら、浴場のガラス戸を開けるとスッキリした空気が広がっていた。きちんと積み上げられた風呂椅子と懐かしいケロリンの桶を取り、洗い場で湯と水の温度を調整してシャワーコックを捻ると、やっと生きた心地がした。現地に着いた時にすぐにこうしたかったのにと思いながらシャワーのノズルを肩から頭に移動した。


「冷たッ!」


 急に凍るように冷たいシャワーになり、思わず手を放すと、ノズルが蛇のように鎌首を擡げ、くねりながら執拗に村木の体を襲ってきた。村木は慌てふためいたが、自分は特撮ヒーローなのだと思い直して見栄を切って叫んだ。


「アミダーーーーーマン!」


 悪役ノズルはアミダマンのおでこ中心にお構いなしの打撃を加えて来た。アミダマンは敵の攻撃に耐えながら、必死になって栓に辿り着き、やっと閉めることに成功した。

 カランとした人気のない浴場には平和が戻ったが、村木のおでこには多大の痛みが残った。自分の一挙手一投足が滑稽に思えそうになる心を打ち消し、自分は教育番組の特撮ヒーローなんだと気持ちを奮い立たせた。

 村木は背筋を伸ばし、王者を待つ浴槽に堂々と歩を進めた。一番風呂の湯面ゆおもてにはアミダマンに忠誠を誓う湯けむりどもが平伏しながら這いずっている…とは言え、さっきのシャワーの一件がある。王者は右足で慎重に湯加減を確認した。中々いい湯加減だ。村木は安堵して貸切の浴槽にまったりと体を沈めた。自ずと全身から至福の息が漏れる。静けさに体の力が抜けていく。気持ちよく薄眼を開けると、広い浴場は自分だけの世界観だ。うとうとしながらどれほどの時が経ったのだろう…


「熱ッ! 熱ーーーーーッ!」


 村木はガバと立ち上がった。動いたせいで熱さが数倍になり、浴槽から溺れるように這い上がってタイルに転がり落ちた。急いでシャワーコックを捻ると、あの悪役ノズルが再び台頭し、凍るように冷たい水で村木を攻撃して来た。


「冷たッ! 冷たーーーーーッ!」


 駄菓子屋 “となり” のキヨに、クウィンス森吉の万蔵から連絡が入っていた。


「そっちはどんな様子だ?」

「どんなって、どんなでもないよ」

「異常なことは無いんだな」

「ないよ、なんも…宿で何かあったのかい、万蔵さん!」

「俳優が二人凍死したんだ」


 キヨは辺りに人が居ないことを確認した。


「封印はどうなってるんだよ !?」

「昨夜、誰かが解きやがったみてえだ」

「豪いことになったな」

「何も起こらんといいがな」

「そうかい?」

「そうかいって、この集落がこれ以上悪い評判が立つのはまずいだろ」


 そこに根倉が俳優陣を迎えに来た。


「あ、静ちゃん! あのね…」


 キヨは言葉を止めた。


「なあに、キヨさん?」

「…いや…あれだね」

「なあに?」

「忙しそうだから、あとでいい」

「そう? じゃ、あとで聞くわね」


 根倉静香は奥の控室に入った。


「皆様、お待たせしました! お湯が沸きました!」


 女優陣はその言葉に躊躇した。


「私たちも特撮ファンの方々と一緒にお風呂に入らなければいけないのかしら?」

「いえ、お入りになりたければのことですから強制ではありません」

「だったら、悪いけど私たちは遠慮させてもらっていいかしら?」

「勿論です! お迎えに上がるまで少しお待ちいただくことになりますが…」

「構わないわ。この駄菓子屋さんが気に入ってるから。それにキヨさんとも気が合うし、徳三郎さんが美味しいお酒をご馳走してくださるのよ!」

「そうですか、それは良かったですね! では入湯の会が済みましたら宿にお送りしますのでお待ちいただけますか?」

「いいわよ」


 岩田と團は根倉と須又温泉に向かった。浴場の中では村木志郎が悪役ノズルと格闘中だったが参加者たちの声に気付いて慌てた。

 源治に案内されて来た参加者たちが脱衣室になだれ込んで来た。参加者たちは村木が素っ裸でシャワーのノズルと格闘している姿に気付いて目が点になった。


「あっ、村木志郎さんだ!」


 一同は暫し無言になったが、すぐに誰かが叫んだ。


「これは凄いサプライズだ! アミダマンが闘っている! 俺たちも加勢しよう!」


 大変な事態になってしまった。村木は参加者たちが衣類を脱いでる間に隠れる場所を探したがあるはずもなく、湯船に飛び込むしかなかった。


「熱ッ! 熱ーーーーーッ!」


 間髪入れずにガラス戸が開き、大勢の参加者がなだれれ込んで取り囲んだ。村木が敵の湯船に閉じ込められて悪役ノズルの攻撃を受ける様を、特撮オタらはまるで特撮番組でも鑑賞するように好奇の目を輝かせて鑑賞した。

 逃げ場を失った村木は、熱湯風呂の中で悪役ノズルから放たれる冷水攻撃を有難く受けて耐えた。ところがその冷水が止まり、悪役ノズルはパタリと倒れた。一同から“オーッ!”という歓声が挙がった。村木にとっては頼みの冷水が断たれた。


「僕が栓を止めたぞ!」


 藪博士が自慢げに叫ぶと、参加者から大きな拍手が起こった。村木の顔が再び真っ赤に歪んでいった。


「村木さん、熱いんですか !?」


 村木は湯面を動かさないように静かに頷いた。


「僕たちも入っていいですか?」


 選択の余地のない村木は、湯面を動かさないよう再び静かに頷いた。


「失礼します!」


 参加者たちは、勢いお湯をバシャバシャさせながら浴槽に入って来た。村木は掻き混ぜられる熱湯に血の海を妄想して溺れた。


 参加者らが全員湯に入って落ち着くと、丁度いい湯加減になっていた。その時、誰かが叫んだ。


「ギャーッ!」


 参加者たちはソーッと村木から離れて遠巻きになった。虚脱状態の村木の横に、ぷかりぷかりと気持ちよさそうに “ウンコちゃん” が浮いていた。


〈第48話「逆さ競り」につづく〉

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