第45話 死んだことを後悔するほどの苦しみ

 大名持神社の “封じの樹” の前で妹背が苦虫を噛んでいた。三本の釘が力づくで引き抜かれた跡があり、樹木の表皮が痛々しく傷付いていた。そこに然辰巳がやって来た。


「豪いことになったね」

「申し訳ありません、お忙しいところ」

「万蔵さんは何て?」

「クウィンス森吉でも凍死者が出たそうなんです。それで、もしやと思って連絡を入れてくれたようで…」

「その読みが当たったわけか」

「烏も犬も騒ぎませんでしたし…万蔵さんから連絡を頂かなければまだ気付いていませんでした」

「凍死したのは今回も特撮の人かい?」

「今回は特撮の俳優さんだそうです」

「俳優が !? 何だってまた俳優が…」

「分かりませんが、犠牲者は全部、特撮関係者ばかりですよね」

「そういうことか…俳優が死んだとなったら、大騒ぎになるな。売れてる人かい?」

「万蔵さんが名前を言ってましたが、聞いたことがない名前でした」

「万蔵さんは知ってんのかな」

「時代劇しか観ないので知らないと言ってました」

「売れてる俳優がこんな辺鄙なところに来るわけがないか」

「女優の葛城陽子さんが来てるみたいです。それから、あの成沢武尊さんがちょっとだけ顔を出してくれたらしいです。仁くんから連絡がありました」

「風呂屋でのイベントは大丈夫なのかね」

「順調に進んでるとは言ってましたが…」


 辰巳が表情を変えた。


「壺は無事なんだろうな!」

「え !?」


 妹背は社務所の倉庫に走った。辰巳は銀杏の根元に釘が落ちてはいまいかと探したが、その表情が深刻に曇った。倉庫に行ってみると、案の定、妹背が呆然としていた。


「…やられたか」

「はい」

「恐らく昨夜のうちだな」

「これから、どうしたものか…」


 辰巳は考えたが、答えは一つしかなかった。


「また、牙家さんの力を借りるしかない」


 須又温泉では競りを終えた参加者が温泉の仕度が出来るまで居酒屋 “おこぜ” で昼食を取る段取りになっていた。根倉静香は会長ら商店会役員が同席のもと、売り上げの入った金庫を開けて “?” となった。売上金に混じり、入れた覚えのない五寸釘が三本入っていた。急いで金額を確認すると、現金と売上金の数字がかなりかけ離れていた。


「どういうことなんだ !?」

「竹山、おまえ抜いたろ」

「悪い冗談やめろよ。三人でちゃんと見てたろ」

「そうなんだよな」

「それに、何だよ、この五寸釘は! オレは入れた覚えがないぞ」

「 “封じの樹” の釘じゃないのか、これ !?」

「薄気味悪いな」


 三人は競りの精算場所となった脱衣室をトイレの隅まで調べたが、現金はなかった。


 早々とイベント会場を後にした成沢武尊は、峰岸邸を訪れていた。微笑みかける故人の遺影に手を合わせながら、イベントのあの日の峰岸のスピーチを思い出していた。


 あの日、峰岸譲司は病を押して車椅子で参加した。峰岸は、目前のテーブルに置かれたマイクにすら体が思うようにならず、成沢がそれを誤魔化すように素早くマイクを取って峰岸に渡した。峰岸は大きく息を吸って話し始めた。


「みなさん、こんにちは」


 参加者から大きな返事が返ってきた。


「そんなに高い声でなくても聞こえます」


 会場が笑いに包まれた。


「かつて私は、地球の平和を守り過ぎて、このとおり、健康を害してしまいました」


 また笑いが反響した。


「あまり長くは皆さんとご一緒できないかもしれませんが、皆さんはゆっくりと楽しんでいってください。最近はウルトラマンより早く息が切れますのでこれで終わります」


 会場から大きな拍手が沸き起こった。成沢が続いてスピーチを終え、峰岸への感謝の一礼をすると、峰岸は微笑みながら一礼を返した…が、その態勢を起こせなかった。そしてそのまま、車椅子から崩れ落ちそうになって成沢は慌てて支えた。車椅子の背もたれまで起こしたが、峰岸の目は閉じたままだった。


「峰岸さん! 峰岸さん!」


 成沢が叫ぶと、峰岸は意識を取り戻し、ぼんやりと目を開けた。


「成沢くん…済まないが妻を…」


 そして峰岸は救急車に搬送されて行った。蝋燭の炎に焦点が合わなくなった成沢は、改めて女部田への怒りが込み上げてきた。その時、突然、蝋燭の炎が消えた。成沢は峰岸の遺影を見た。微笑む峰岸の後ろに女部田の偽善に満ちた微笑を…見た気がした。


「数日前に松橋龍三さんがお水を上げに来てくださいました」

「龍三さんが !? 帰郷なさってるんですか!」

「僕はこれから会いに行きます」

「え !? 龍三さんにですか!」

「そうです。僕は松橋さんが言ってくれたことを忘れていません。そのとおりになりましたから」


 翔は昨年、龍三が初めて弔問に訪れた日の事を話した。翔は龍三に喰って掛かったあの日…


「そういうやつらがキチガイファンをさらに増長するんだ! そいつら全員、この世から居なくなっていれば、父は死ななくて済んだんだ!」

「翔、いい加減にしなさい!」

「お母さん! 目の前の棺に誰が入ってると思ってるんだ! やつらのせいで殺されたお父さんの遺体じゃないか!」

「翔さん…この北秋田市はね。マタギの地なんだよ。十二山神が見守ってくれている土地なんだよ。この地で人道を犯した者には、山神さんじん様からの天誅が下るんだよ。納得がいかない気持ちはよく分かります。それだけあなたがお父さんを愛しているということでもあります。きっとお父さんは、翔さんの気持ちが嬉しくて嬉しくて…」


 言葉に詰まった龍三を見て、翔は驚いた。龍三の眼には涙が滲んでいた。龍三は大きく息を吸ってから、言葉を続けた。


「でもね…悔しい時は待とうよ。心静まるまで待とう…きっと…きっとね」


 成沢は翔の話を聞いて、寧ろ龍三の強い執念を感じた。


「悔しい時は待つ…心静まるまで待つ…龍三さんはそんなことを仰ったんですか…」

「僕は必ず父の仇を討ちます。あいつは死にました。でも関係ありません。仇を討ちます。死んだことを後悔するほどの苦しみを与えることは出来るはずですから…松橋龍三さんなら、きっとその方法を教えてくれるはずです」


 “死んだことを後悔するほどの苦しみを与えたい” …他人の逆鱗に触れた人間は、死ねば全てが解決するわけではなく、寧ろ被害者にとって復讐の機会を失うことにもなるのだなと成沢は思った。翔は悔しい時を心静まるまで待った。成沢はその翔と龍三がダブった。同じ標的に照準を当てている翔に対して、龍三はどんな助言を与えるのか興味を持った。


「私も翔くんと一緒に龍三さんに会いに行っては駄目かな?」

「僕は構いませんが…松橋さんが何と仰るか…」

「そうですね、確かに。連絡してみます」


 成沢は龍三の了承を得て翔と同行することになった。


 その頃、然辰巳は軽トラで牙家のもとに向かっていた。


〈第46話「弁当の人」につづく〉

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