第38話 民宿『シカリの宿』
翌日、エルトン・仁ら三人は民宿『シカリの宿』の玄関に立っていた。
民宿 “シカリの宿” …この宿の先代は『飛び撃ち良三』として歴代の伝説マタギ衆のひとりに名を連ねている。この地は “鬼ノ子村” と呼ばれていた鎌倉時代以降、金山景気に沸いた。物資の輸送で峠越えをした荷役や馬の休む中継地点として多くの宿が林立したが、廃鉱や輸送技術の進歩で宿の需要もなくなり、“シカリの宿” が最後の一軒となった。古の名残りとして民宿の裏庭には真ん中に穴の開いた “馬つなぎ石” が無造作に転がっている。先代が一昨年他界してから、娘の千恵子が女将を務めていた。
板敷のフロアにはマタギの武器や装具が雑多に展示され、この地に棲息するツキノワグマの剥製が数体並んでいた。
後ろから高齢ながら隙のない所作の女性が出刃包丁を握って現れた。
「いらっしゃい」
三人は慌てた。“凶器”に言葉を失っていると、奥から田舎の民宿には不釣り合いな美しい女性が笑顔で出て来た。
「お母さん、包丁危ない」
「鶏絞めてたんでね」
三人は鶏にはなりたくないと思った。
「ごめんなさい、皆さんびっくりなさったでしょ?」
「あ、いえ…あの、昨日連絡した…」
「後藤田さんですね」
「はい」
「龍三さんの後援会の恒夫さんから伺ってます。女将の千恵子です。包丁を持ってるのは母の圭子です」
そう言って千恵子は屈託なく笑った。華奢に見えるが男勝りの身体能力があり、このところ毎年民家に現れて暴れる熊を何頭も仕留めていた。
「どうぞ上がってください」
三人は女将に案内されるままフロアに上がった。展示物の中央に掛けられたマタギ装束の老人の写真が目に付いた。それに気付いた千恵子が説明してくれた。
「その写真は私の父・良三です。一昨年他界しましたが最後までマタギとして生き続けられて幸せだったと思います。私もマタギになりたかったんですが、女人禁制の世界なので父の人生が羨ましいです」
展示物の対面に仏間があり、オープンになっていた。囲炉裏があり、巨大なツキノワグマの敷物が大の字になっていた。
「あれは父が若い頃仕留めた巨大熊です。私もあんなのを仕留めてみたいんですが、民家に出る熊は安易に餌に有り付こうとする怠け者の小物ばかり。大物は武士のように、山で食わねど高楊枝なんでしょうかね」
千恵子は笑った。三人はその淡々として明快な説明に、厳しい現実に慣れ親しんで来た強さを感じた。絵空ごとの特撮番組などに現を抜かして来た自分たちを嫌悪した。
その頃、追悼イベントの招待を受けた特撮俳優の一人、シャドーヒーローに出演した加藤亮が角館のホテルに居た。特撮ファン・金冬美とのイベント前の密会で昨日から双方偽名での滞在だった。
ベッドの加藤は冬美に覆い被さったまま目を見開いて動かなくなっていた。所謂“腹上死”というやつである。
「加藤さん…退いてよ、クソおやじ!」
冬美は加藤を乱暴に撥ね退けてシャワー室に入った。鏡の自分を覗き込んで微笑んだ。その顔が女部田真の微笑に変わった。
「冬美、ご苦労さま。あの下衆ヒーローがこんなに早く逝ってくれるとは思わなかったね」
女部田の顔が冬美に戻った。
「大丈夫よ、お兄ちゃん…すぐに助けてあげるからね」
冬美はシャワーを終えると、急いで身支度を整え、俯せの加藤には見向きもせずに部屋を出てホテルを後にした。
“シカリの宿” に拠点を構えた三人は、明後日の追悼イベントの会場となる須又温泉に向かった。女将の千恵子が比立内駅まで車で急いでくれた。11:54分発の一日一便だけの下り鷹巣行き急行もりよし2号にどうにか間に合った。この電車に関係者が乗っているかも知れないと思い、三人は駅舎を通過するとお互い無関係を装って乗車した。
案の定、関係者が居た。金冬美である。そしてその隣には連れと思われる男が座っているが顔がよく見えなかった。次の停車駅・阿仁合で乗って来た客の中の一人が冬美に話し掛けた。
「お隣の席、空いてますか?」
「ええ、空いてますよ、どうぞ」
三人はその声に振り向いた。その乗客は冬美の隣に座った。三人は不審の態でお互いを見合った。冬美の隣の男がいつの間にか消えている…何かが起ころうとしている…三人は同時に胸騒ぎを覚えていた。
須又温泉最寄・阿仁前田駅には12:27分定刻に到着した。三人は冬美が下りるのを待ってから少し離れて後に続いた。クウィンス森吉にチェックインするだろうと思ったが、冬美はそのまま駅舎を出た。三人が後を付けた先は大名持神社だった。冬美は真っ直ぐ“封じの樹”に向かい、その前で止まった。
「お兄ちゃん…抜いてあげるね」
樹冠がゆっくりと畝った。冬美が封印の釘に手を掛けたので、三人は思わず駆け寄ろうとすると、“待ちなさい!” と止められた。いつの間にか牙家と妹背が背後に来ていた。
「悪霊が血筋を呼んだんだ」
「血筋 !?」
「金冬美は女部田の血筋ではないと思うんですが…」
「でも、さっき “お兄ちゃん” とか聞こえたわよ」
「そうよ。冬美は血筋よ。女部田とは腹違いの兄妹」
「そうだったの !? てっきり女部田の女だと思ってた」
「そうよ」
「そうよって…兄弟でしょ !?」
「女部田の性癖には境がないのよ」
「確かに…バイでぺドでもあるからな」
三人が話に熱中してる間に、妹背は “封じの樹” の周囲を祓い塩で二重の結界を張り、牙家は呪文を唱えていた。
「
冬美が必死に引っ張っている釘に放電が迸り、何本もの光の筋が幹を伝い、“封じの樹”は “ドーン!” という強烈なショックを受けた。弾かれた冬美はそれでも釘を抜こうと起き上がって手を掛けるが、再び放電が迸り、何本もの光の筋が幹を伝い、同じ事態になって弾かれてしまった。
「やめろーっ!」
冬美の口から発せられたその声は冬美のそれではなかった。敵意を露わにした “封じの樹” の唸りだった。
「
“封じの樹” は徐々に鎮まった。冬美は心肺停止状態になっていた。
「救急車!」
エルトン・仁が消防に連絡し、牙家は冬美に心マを施したが蘇生しないまま救急車に収容され、隊員に引き継がれた。冬美を乗せた救急車を見送る三人の表情が激変した。収容室の窓越しに見える人物だ。それは内陸線で冬美の隣に座っていた男だ。その顔が一瞬だけ三人を振り向いた。
「あれは加藤亮さんじゃないか !?」
〈第39話「オタとオタ餌」につづく〉
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