第37話 大山神の御守

 小夜子が紙袋から取り出したのは御守だった。


「来る時、比立内で途中下車して鬼ノ子村の大山神社だいさんじんじゃまで足を延ばしたの。牙家さんに教えていただいたお守りよ。みんなの分もあるのよ!」


 お守りは一風変わっていた。マタギの地らしく、コナギ、またはコダラキと呼ばれる雪べラのミニチュアに “大山神” と記された台座、その上に “かんじき” を重ねたデザインのお守りだった。雪べらもかんじきも、冬のマタギの命を守る重要なアイテムだ。


「今夜からこのお守りを身に付けて休みましょ。受け取ってくれる?」


 午前中に恐ろしい目に遭ったばかりの二人には、小夜子の贈物が至極嬉しかった。


「矢代さんも泊まるんでしょ?」

「いえ、私は地元なので商店会の打ち合わせが終わったら一旦帰ります」

「帰るの? 残念ね、エルトン・仁さん」

「え?」

「え?じゃないでしょ」

「イベントの当日だけは遅くなるので予約しようかと思ってます」

「イベントまで後三日ね。じゃ、明日からにしたら? ただ、この宿はまずいわよね。明日から俳優を含めた参加者が続々やって来るわ。須又温泉の最寄はこの宿しかないから、私たちがこの宿に泊まると、顔を見られたくない連中に諸遭遇してしまうわ。絶対まずいわよね」

「僕もそう思って、実は松橋龍三さんの後援会の方に頼んだら、比立内の旅館を紹介してくれました」

「手を回すのが早いわね。私も泊まれるかしら」

「勿論です。“シカリの宿” という民宿で、この沿線では一番の老舗の宿だそうです。松橋龍三さんの定宿だって仰ってました」

「そこに決めましょ!」

「じゃ、私も明日からそこに泊まります」


 明日からの活動拠点を “シカリの宿” にすることに決めた三人は、約束していた商店会の打ち合わせに向かった。


 居酒屋 “おこぜ” には商店会役員一同に加えて、役場の地域振興課の根倉静香、五味久杜の従兄の豊、そして須又温泉五代目の太らで既に打ち合わせが始まっていたので、エルトン・仁は焦った。仕切り直しの打ち合わせ初日に遅刻なんてあってはならなかった。


「あれ !? 僕、時間間違えましたか !?」

「いや、こっちが早く集まっちゃったもんでね」


 エルトン・仁は胸を撫で下ろした。聞いていた打ち合わせ人数よりが多い気がした。集まった面子をよく見ると、奥に地元長老の伝次郎、徳治、町会議員の泰蔵、そのほかにも見知らぬ顔が揃っていた。普通に酒食に耽っている人も居て、打ち合わせのメンバーなのか客なのか見分けがつかなかった。奥の暗がりからキヨが顔を出した。


「遠路ご苦労だったね。昨夜は豪い目に遭ったそうだな。今朝、回覧板が回って来たよ」


 田舎は回覧板で十分SNSの役割を担っていた。矢代蘭が “封じの樹” に襲われた事件は、もう集落中に広まっていたらしく、どうりで皆、彼女を見る目が濃かった。矢代蘭は身の置き所に困って深々とお辞儀をするしかなかった。


「ご心配をお掛けしました」

「助かって何よりだったな」

「早く元気になってくれ」

「なに、嫌なことなんて時が経てば忘れるよ」


 矢代蘭は、レイプにでも遭ったのを無神経に励まされているような面持ちだった。確かに、女部田には心身ともにレイプに遭ったようなものだ。自分に落ち度がないのに、2ちゃんねるでの女部田と五味の自作自演レスで、自分ではない醜悪な自分が描かれ、特撮ファン仲間を全て失った。そうした自分と同じ傷を持つ四条小夜子やエルトン・仁とはこうして復讐のために此処に来て居る。商店会の人々は、そのことを知らない。知っているのは、峰岸家の人々だけである。この地の人々を利用して個人的な復讐を果たすことに負い目がないわけではない。しかし、今はその事には目を瞑っていたいと思った。


「来て早々で何だけどね。イベントの進行役は、やっぱり特撮番組に精通している後藤田さんにやってもらうのが一番いいんじゃないかなって」

「決まりでいいよね!」


 そのまま全会一致で決まりそうな空気をエルトン・仁は破った。


「申し訳ありません! 僕は表には出れません!」

「えーっ !? どうして !?」

「イベントをスムーズに進めるために、恐らく僕は足を引っ張るだけの存在になります。これからやって来る特撮ファンや俳優を含め、参加者の殆どは僕のことを良く思っていません。僕は長年に渡ってネット上で誹謗中傷に遭っています。悪意あるレスの連続で、僕の全てが印象操作されて、悪質な人物像になってしまいました。ですから、僕は黒子に徹して陰から一所懸命フォローしますので、どうかご理解願います」

「実は…私も矢代さんも後藤田さんと似たような状況なんです。表に出ないほうがスムーズに運ぶと思います。裏で頑張りますから、この企画に関わっていることは、参加者の誰にも話してほしくないんです」

「そうなのかい? でも、そんなひどいことをされて、好きな特撮のイベントにも出れないなんて癪だわね」

「完璧な計画を立てることができたのも、あんた達のアドバイスとか情報があればこそだからね」

「複雑な事情を抱えてるのに、この商店会のために協力してくれてたんだね」

「でも、後藤田さんたちがそのほうがいいというのであれば、そうするしかないか」


その言葉に三人は複雑に心が痛んだ。


「雪オカマがダメだとなると、誰が進行役をやるんだよ」

「仕方ねえから会長がやるしかないか?」

「仕方ねえからってなんだよ」

「でも無駄に話が長えからな…」

「それより特撮番組のこと、なんも知らねえだろ、会長」

「ゴレンジャーは知ってるよ」

「それは特撮番組を知らないやつが決まっていうセリフなんだよ」

「龍三さんのアニアイザーだって知ってるよ」

「龍ちゃんは特撮イベント大嫌いなんだから、こういう場で龍ちゃんの名前を出すのは禁句。如何なる事があろうと巻き込まないでくれって後援会にも念を押されてんだから」

「後藤田さん、誰か居ませんかね?」

「・・・・・」

「私がやりましょう!」


 地域振興課の根倉静香が手を挙げた。


「大丈夫なのかい、根倉さん! 久杜とは相性が悪かったようだけど…」

「今回のイベントは、彼には関係ありません」

「まあ、確かに厄介者はいなくなったよな」

「それに、私の弟は特撮ファンだったんで協力してもらいます」

「弟の仁くんは特撮ファンだったのかい!」

「ええ、就職するまでは。就職が決まったら、断舎利だといって収拾した特撮グッズを全て庭の焼却炉で燃やしてました」

「偉いね、仁くんは。けじめを付けて大人の階段を上り始めたわけだ」


 エルトン・仁たちは、やや居場所に困った。キヨが口を挟んだ。


「雪オカマたちはズルズルと大人げなく玩具に夢中になってるというのかい」

「いや、そういう意味じゃないよ。若いのに “断舎利” を実践する仁くんに感心してるんだよ」

「いや、僕たちも “断舎利” のつもりで協力させてもらっています。今回を機会に特撮とは縁を切るつもりです。随分時間が掛かりましたが、いろいろ学ぶこともできました。最後にけじめを付けたいんです。協力させてもらって感謝してます」


 追悼イベントの進行役は役場の根暗静香に決まった。エルトン・仁たちは肩の荷が下りた思いだった。根暗は招待俳優たちの宿の手配とかもしていたので、進行役には打って付けだった。小夜子が、頼まれていた当日のタイムテーブルのたたき台を提出した。小夜子の案がそのまま通り、やっと打ち合わせが終わった。


〈第38話「民宿『シカリの宿』」につづく〉

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