第33話 万蔵の罠

 商店会監事の梅畑と須又温泉五代目の太は、死人を見たことをこの場で話そうかどうか、まだ迷っていた。


「このことは、今は黙ってた方がいいかな」

「だな」

「とにかく今は、明日の営業初日が閉店まで無事であることを祈るしかないだろ」

「なんで見たんだよ、オレ…霊能力とか、そんなのなんもないのによ」


 太の気分は打ち上げどころではなかった。先に帰る手もあるなと出口に目をやると、一人客が居酒屋 “おこぜ” の暖簾をスーッとくぐって入って来た。太は二度見してから慌てて目を逸らした。


「梅さん…み、見えたか?」

「何を?」

「今入って来た客だよ」

「ああ、今日は貸切なのにな」

「あんたにも見えたか!」

「そこまで目は悪くないよ」

「…あの男だよ」

「あの男って…あの男か !? ポ、ポニーの…テールの!」

「そ、そのテールだよ、テール!」


 梅畑が急に下を向いて固まった。お猪口を持つ手がカタカタ震え出した。


「どうした、梅さん?」

「と、隣…おまえの隣…」


 太が振り向くと、今入って来たポニーテールの男がすぐ隣に座っていた。男も太に振り向いて微笑んだ。太は固まる首に逆らって、ゆっくりと顔を逸らした。


 太は思い切って立ち上がり、大声を張り上げた。


「みなさん! この人を知ってますか!」

「どうした、太、急に大声出して?」


 すっかり酔いが回った商店会副会長の竹山がご機嫌に応えた。


「オレの隣に座っている人を知ってますか!」

「どの人?」

「オレの隣に座っている人です!」

「誰も居ねえじゃねえか、太」


 太が見ると、男は消えていた。


「あれ !?」

「あれ !? じゃねえよ。悪い冗談はやめろよ。いくらお化け銭湯の打ち上げだからって、その手の洒落はまだ笑えねえよ」


 一同が再びそれぞれの話題に治まった頃、五味豊がグラス三個と瓶ビールを持って太たちの席に来た。グラスに注いで徐に話し出した。


「太…おまえの隣に座ったのはな。女部田真というやつだ」

「・・・!」

「従弟の久杜を狂わせたやつだ」

「おまえにも見えてたのか!」

「女部田ってやつはな、前面に出ない卑怯なやつだった」

「掃除しようと思ったら居たんだよ、あのポニーテールの微笑ヤロウが」

「…そうか、出たか、やつが…やつは去年の冬に比立内で凍死体で発見されたんだ」

「凍死!」

「須又温泉の凍死と関係あるのかな」

「かもな…オレは従弟の久杜が成仏してないことで悪さしてると思ってたが、やつが出て来たとなると、それだけでもなさそうだな」

「やはり、商店会の役員にはちゃんと話したほうがいいかな?」

「商店会の連中に話したところで、これだけ盛り上がってるしな。水を差すことなんてできないよ」

「イベントに協力してくれる特撮ファンの後藤田さんとか、矢代さんとか…あと、四条さんだっけ? 彼らに相談したらどうかな?」

「こっちに来てからでないと、彼らもどうにもならないだろ」

「…だな」


 結局、太たちは暫く様子を見ることにした。


 深夜の須又温泉に近付く影があった。シューッという音がして、ラッカーシンナーの臭いが広がった。ガサッという音がしたかと思うと、男の短い悲鳴が上がり、また静かになった。


 もうひとつの影が近付いて来て、暗闇で起こった “出来事” を注意深く確認すると、再びその場を離れて行った。


 翌早朝、キヨが乗った四輪乳母車を引く秋田県の “どんぐり” が、須又温泉の前に差し掛かって吠えた。見ると、須又温泉の煙突に男が逆さ吊りになって虫の息だった。昨夜のタギング犯である。万蔵の猪罠に掛かったのだ。


 昼過ぎになって、タギング犯は瀕死の状態で救急搬送されていった。罠を仕掛けた万蔵は、須又温泉の前で駐在の事情聴取を受けていた。


「罠を仕掛けるのは集落で話し合って決めたことだ。この辺は熊や猪が出て困ってる。毎年今頃になると、この栗の木にも寄って来る。罠の位置は、ほら、しっかりその場に書いてあるし、回覧板も回して暗くなったら須又温泉には近付かないようにと連絡済みだから、住民ならみんな承知の助だよ」


 キヨが警察を睨んだ。


「おい、なにかい? 犯罪者にも落書きする前に教えろってが? 悪さしにこっそり忍び込んで来た余所者に、どうやって教えろっつんだ?」

「まあ、住民の熊や猪に対する緊急避難対策というのが認められれば、何とかなるべども、発見から通報、救助までが遅かったのがね…知らんぷりは、場合によって罪を問われる場合もあるんだよ」

「年寄りに無理言うもんじゃないよ。あんな煙突の高いとこにぶら下がってるのをどうやって助けろっつんだよ」

「通報だけでももう少し早くしてもらえれば…」

「あんな上を見て歩いてたら転ぶべ! 歩く時は足下を見ねえと歩かれねえべ」

「まあ確かに危ないですね」

「それに、発見したって通報までが大変なんだよ。電話掛けようにも家は遠いし、足は遅いし、すぐに助けを求めようにもめったに人は歩いてないし、携帯持ってないし、公衆電話もない。その間に忘れるんだよ! ボケだって来てるから!」

「それだけ言えれば、キヨさんはまだまだ長生きだな」


 そう言って地元の駐在は笑いながら引き上げて行った。


「万蔵さん、あの落書き男は助かるかね?」

「助かって欲しいのかい、キヨさんは?」

「当たり前だろ、あたしは万蔵さんと同じだよ」

「それなら、もう落書きをしたくても出来ないだろうな」


 キヨは “ニタリ” と笑った。


「どんぐり!」


 キヨの愛犬 “どんぐり” は四輪乳母車を引っ張って歩き出した。


〈第34話「魔物を呼ぶ特撮グッズ」につづく〉

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