第28話 復讐の兆し

「何かこのままでは帰れない気がして…とにかくもう一度会ってお話ししなければならないことがあるのではと…」


 小夜子は角館に一泊して戻って来た。一昨日宿泊した阿仁前田駅舎に併設されたクウィンス森吉の食堂でエルトン・仁に会っていた。


「連絡ありがとうございます。私は明日帰る予定でしたが、心に引っ掛かっているものがどうしても見えなくて、帰るに帰れないでいたんです」

「エルトン・仁さんはどうして秋田まで? 五味さんのイベントに参加するためとは考え難いんですが…」

「2ちゃんねるでの女部田譲りの五味氏の独壇場をみれば、べラ嬢さんがそう思うのは無理もありませんね」

「私は女部田の性格をよく知っているので、2ちゃんねるでの五味のマヤカシには誤魔化されません。あの展開は、女部田のよく使う自作自演です。彼は匿名のつもりかもしれませんが、私から見れば丸裸同然です」

「べラ嬢さんがここに来られたのは、今回もその主催者である五味への協力ですか?」

「違います。確かにこれまでは私も愚かでした。五味の上っ面の微笑に惑わされて、その本音の腐り加減を見抜けませんでしたから…」

「お互いに女部田や五味との黒歴史を抱えてますから、どこから話せばいいのか…話すこと自体無意味なのか…僕には分かりません」

「私もそうです」


 二人は黙り、脳裏で女部田や五味との黒歴史を巡らせていた。重い空気を押し退けるように、小夜子が口を開いた。


「でも…お互い気まずくても、こうして会ったわけですから…」

「そうですね」

「今、ここで何か行動を起こさなければ一生後悔するような気がするんです」


 二人を見ている老人がいた。


「・・・!?」

「どうしました?」


 老人は大名持神社で小夜子らを救ってくれた西根万蔵だった。今の万蔵はクウィンス森吉のボイラーマンと清掃係を兼ねていた。


「帰ってなかったのかい」

「…はい」

「あんたが無事だったのは何よりだ」

「助けていただいて何とお礼を言っていいか…」

「この集落の恥だ」

「え… !?」

「久杜は昔から厄介を起こすわらしだった。あんたには豪い怖い思いをさせてしまったな」

「いえ、そんな…」


 小夜子には万蔵の詫びの言葉が意外だった。張り詰めていた心が一気に解けて温かい心持ちになった。


「戻って来たのには訳があるんだろ…困ったことがあったら何でも言ってくれ。オレは殆どここにいるから」


 そう言って万蔵は去って行った。お辞儀した小夜子の目から涙が零れた。


「大丈夫ですか、べラ嬢さん?」

「父のことを思い出しちゃって…」

「そうでしたか…」


 矢代蘭が現れた。


「遅くなってごめんなさい」

「お呼び立てしてすみません、矢代さん」

「いえ、私ももう一度会いたかったので…エルトン・仁さんも明日には帰る予定だったし、なんか、喉に棘が刺さったままお別れするようで」

「みんな同じ気持ちだったわけね」


 三人は自傷気味に笑った。そして、エルトン・仁はすぐに真顔になった。


「僕が秋田に来たのは…五味を殺すためでした」


 矢代蘭にはそのことを打ち明けていたが、小夜子に話すかどうかは迷っていたことだ。

 併設する内陸線駅に電車が入って来たようだ。乗客の声などは聞こえてこないが、そろりと発車する車両が徐々に加速して遠ざかって行く音が聞こえた。


「特撮に燃えた時間全てを女部田と五味に汚染されました。しかし、女部田は死んでしまった。僕はまだ生きている五味を駆除するために秋田に来ました」


 その言葉に、小夜子は鋭い視線を投げた。


「…すみません。駆除だなんて…言い過ぎましたね」

「私もそう思います! 私も駆除すべきだと思います!」

「・・・!」

「それだわ…それなのよ! 今分かった…なぜこのまま帰れない気持ちになっていたのか」


 小夜子の思わぬ追い風を得てエルトン・仁の思いが溢れ出した。


「僕は、あの二人に2ちゃんねるで誹謗中傷の総攻撃を受けて、人格まで否定されました。心身ともに追い詰められて初めて気が付いたんです。自分たち特撮ファンは普通じゃないと。結局、ネットカフェを変えて多数派を装い、僕を集中攻撃していたんですが、やつに便乗する無責任な外野も実はかなりいました。やつらは松橋龍三さんら自分の思いどおりにならない特撮俳優らにも長期に渡り、近県や旅先のネットカフェを渡り歩いて攻撃しています。注目すべきはやつらに加勢する外野は全て昭和特撮ファン層です。それは他の特撮オタ関連のスレを見れば分かります。批判の対象になる主たる特撮ファンの層は殆ど昭和特撮ファンなんです」

「誹謗中傷するのも、されるのも昭和特撮ファン…なぜ彼らの多くがいい年になるまでの長期に渡って下劣なファンに変貌していったんでしょう」

「当時は出演俳優のガードが甘かったせいもあるんじゃないでしょうか…熱狂的な特撮ファンが軽い気持ちで特撮俳優をゲストに招いてオフを催していました。そのうち、イベントが同時多発的に起こり、ゲストと参加者の奪い合いになりました。イベントを主催する特撮ファン同士で縄張り争いが勃発し、本当に特撮番組を愛するファンたちは、個人主催のイベントには一線を引くようになってしまいました」

「私も含めて、昭和特撮ファンはその愚行に気付かなかったのよね。自分たちこそ正しいと思っていたもの。イベントは特撮ファンのためでもあり、特撮俳優のためでもあると真剣に思っていたわ」

「特撮に興味がない人は仕方ないけど、興味を持った私たちを、彼らが偏見の目で見ることには不満しかなかった」

「中学生になれば玩具から卒業という暗黙の常識みたいなものが家族の雰囲気からも重く圧し掛かって来たのを覚えてる」

「女子は余計そうだったわよね」

「僕はこの秋田に来て、思い切って松橋龍三さんの後援会事務所を訪れて、理事さんから龍三氏の考えを聞くことが出来た。龍三氏は“暴走ファンと闘う特撮ファンが存在するということは崇高なこと”だと、そして“特撮ファンの自浄意識が高いことが、特撮ファンの立場向上に最も効果的に繋がる”と仰っていたそうです」

「重い言葉よね」

「痛いとこ突かれてる」

「どこを探したって暴走ファンと闘う特撮ファンなんて居ないし、自浄意識の高い特撮ファンだって居ない」

「みんなそういうことはスルー…自分がそうじゃなければいいと思ってるからね」

「正義のストーリィ展開に酔うだけで、自分の実生活に正義は反映しないのよ」

「ただの正義中毒患者…自分の血を流したくない平和ボケ市民と同じ」

「私らもそのひとりなんだけどね…女部田や五味のようなやつに誹謗中傷のターゲットにされた時に初めて気が付くんだ。仲間だと思っていた特撮ファンが胤を返して敵になってることを」

「もしかしたら、特撮ファンって、強い方が正義だと洗脳されてるんじゃないかと思うわよね」

「特撮番組は教育番組だと某特撮俳優が仰ってたけど、今思えば、何て軽薄な発言だったのかと思うよ。ただの娯楽よ。でも当時は、私たちもその発言に感動してたのも事実」

「でも…これからは暴走ファンと闘う特撮ファンになりたいし、自浄意識の高い特撮ファンになりたいわ」

「2ちゃんねるで最初に僕への誹謗中傷を始めたのは、女部田真だったが天罰を喰らった」

「その事件は私も知ってます。偶然にもこの秋田での主催イベント後に他界したのよね。ちょっと、鳥肌が立った…」

「てっきり僕は彼が何年にも渡って女部田氏が誹謗中傷してるのかと思ってた。でも彼の他界後も誹謗中傷が続いたんだ。そして、彼の腹心だった五味久杜が引き継いで憂さ晴らしをしてることが分かった。しかし、五味の憂さの本当の原因は彼自身の妻なのに、その憂さを特撮俳優にまで広げていた」

「特撮俳優といったって、弱い人たちなんだよね。自分の評判が落ちるのを恐れて、悪質な誹謗中傷を繰り返す女部田や五味のような特撮ファンには無抵抗の黙認。特撮ファンにちやほやされて、優しく対応するだけ。厳しい人には思われたくないのよね」

「僕は、交流すらなかった五味久杜という人間に、根拠もなく手痛い仕打ちを受け続けてきました。それによって齎された誤解は、もう取り返しがつきません。五味の罪は重い…殺されたって仕方のない奴が、僕に殺される前に勝手に死んでしまった」


 三人は無言になった。周囲が騒がしくなっている。日帰り温泉客の団体が、早めの宴会で盛り上がっていた。


「五味が凍死しやがって、全て手遅れになってしまったと思った。でも、そうじゃないことに気付いた。五味はちば藤、しつ子、Vicky、そして僕らの命を狙って来た。やつは自分に靡かなくなった全ての特撮オタを憎んでいる。特撮オタだけじゃない。特撮俳優にだって嫉妬している。気が付きませんか?」


 小夜子も矢代蘭も、エルトン・仁が次に何を言うか分かっていた。


「皮肉な話だけど、五味と僕らの目的は一致してるんだ。いやそれは女部田の目的でもあるかもしれない」

「特撮オタの駆除よ」

「少なくとも、五味の周囲の特撮オタが全滅するのを、僕は見届けたい。そうならないと、これまで特撮ファンだったことを後悔しなければならなくなる」

「でも、具体的にどうやって?」

「実は僕に考えがある。これから商店街に行ってみませんか?」

「須又温泉に忍び込むのは危険じゃない?」

「私たち、殺されかけたじゃない」

「須又温泉じゃなく、居酒屋“おこぜ”に行こうと思って」

「昼間から開いてるの?」

「とにかく行って、それから考えようかと…ここにこうしてても何も始まらないし…」

「そうね…それじゃ、その前に私、チェック・インして来る」


 矢代蘭も宿泊することにした。三人はフロントでそれぞれ部屋の鍵を受け取り、階段を上って行った。その横でモップ掛けをしている万蔵には気付かなかった。


〈第29話「峰岸譲司の追悼イベント計画」につづく〉

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