第25話 十二段トンネル

 内陸線が復旧した。小夜子が乗車し、比立内駅から発車する頃には、秋らしい空が広がっていた。内陸線は、所々雪景色の田園風景を割って走った。温泉ホテルがある二駅目の阿仁マタギ駅で他の乗客は下車し、小夜子一人の貸切状態となった。


 内陸線の魅力の一つである “十二段トンネル” に差し掛かった。阿仁マタギ駅~戸沢駅間の県内最長5,697mの直線トンネルである。五分間の峠越えの醍醐味がある。列車がトンネルに入ると一気に真っ暗になった。天井の車内灯がローカル気分を満喫させる。来る時にも通ったはずであるが、小夜子は眠っていた。勿体ないことをしたと思ったが、今こうして体験できるのだからと残り少ない旅ムードを楽しんだ。登坂のせいで結構な列車の頑張り音だ。


 突然、運転士・澤口洸介が前のめりに倒れ込んだ。しかし、すぐに姿勢を取り戻した。一瞬の居眠りだったんだろうか…そう思って見ていると、運転士が小夜子に振り向いて照れ笑いを浮かべた。ローカルならではのことなのかもしれないが、一応小夜子も運転士に軽く笑顔を返した。すると運転士はサッと無表情になって正面に向き直った。小夜子は悪寒が走った。運転士の背中を凝視したまま恐怖が募っていった。


 運転士がアナウンスを入れた。


「ご案内いたします。只今、この車両は…」


 マイクを持った運転士が立ち上がった。


「この車両は、ボクとあなたの二人きりです」


 運転席を出て、ゆっくりと小夜子に振り向いた。


「小夜子さん、あなたはボクから逃げられないよ」

「・・・!」


 運転士は五味久杜に変化へんげした。微笑を湛えて、ベルトを外し、チャックを下しながら場違いにそそり立った息子を先頭に小夜子に近付いて来た。


「思い出そうよ、ボクが主催したイベントの日の二人だけの夜の想い出を…」


 愈々小夜子は悪寒と吐き気を催したが、牙家然の言葉を思い出し、覚悟を決めるしかないと思った。この男と絶縁できるなら命は惜しくないと思った。


「あなたは可哀そうな人ね。自分の思い込みで誰でも服従すると思ってる。同調してもらえないとすぐに攻撃的になる。偉そうなことを言うくせに精神年齢は小中学生以下。クソヲタだわ」

「ボクをクソヲタと言うな!」

「あなたが凍死した商店街が何と呼ばれているか知ってるでしょ?」

「昭和レトロ通りだ。ボクが命名したんだ! あの通りはボクのお蔭で復活できたんだ!」

「残念でした。あの通りは “呪いのゴミクズオッター通り” って呼ばれているのよ。何故か分かるでしょ」

「そんなはずはない!」

「ゴミはあなたの苗字、クズはあなたの名前の音読み、オッタ―はヲタクズとシャッター。さあ、一緒に言ってみましょう! 呪いのゴミクズオッタ―通り!」

「やめろ! もう言うな! それ以上いい加減なことを言うな!」

「事実よ、事実! それが現実よ。あなたが2ちゃんねるで誰彼構わず叩いてる間に、特撮ファンの間であなたは “不動のヲタクズ” の頂点に立ったのよ! ヲタクズが不様に死んだシャッター通り…オッター通り、いい気味だわ」


 高笑いの小夜子はこれでもかと口撃した。


「あらあら、お坊ちゃまがダラリと萎えちゃってるわね。あなたに学んだことだけど、役に立たないものは切っちまいなさいよ!」


 五味久杜は甲高い声で絶叫し、女部田に変化へんげした。


「あーら、ゴミクズからオナブタへの変身ね。どっちもヲタクズじゃないの!」

「ボクを誰だと思ってる!」

「あなたは誰でもない腐ったヲタクズよ!」

「口の利き方に気を付けなさい! あなたの命は、今ボクが握ってるんだ!」

「自分のお坊ちゃまを握って元気にしてあげたほうがいいんじゃないの?」

「もう我慢ならない!」

「我慢することはないわよ、勝手にどうぞ!」

「すぐに殺す!」

「殺しなさいよ。あなたなんか怖くも何ともないわ。だって最低のヲタクズだもの。ヲタクズのくせに、でけえツラすんじゃねえよ! このヲタクズが!」

「キ~~~~~~ッ!」

「うるさいわね! ちっとも変わらない。追い詰められて興奮すると叫び方もヲタクズそのものだ!」


 女部田は大仰に小夜子に向かって両手を広げ、風を送るように振った。猛吹雪が小夜子を襲う予定だったが何も起きなかった。女部田は何度もそれを試したが一向に霊力が機能せず猛吹雪が起こる気配すらなかった。


「何やってんのよ、ヲタクズ! お坊ちゃまが冬眠しちゃったわよ。私も休ませてもらうわ、おやすみ!」


 小夜子は椅子に凭れて眠る体制に入った。女部田が五味久杜になり、小夜子に対する敗北感に過呼吸を起こし、そのまま卒倒して運転士の澤口に戻って行った。


 比立内のマタギ小屋で祈祷を上げていた牙家然が、一際激しい形相になったが、すぐに穏やかな表情に戻り、柏手を打った。


 悪霊の憑依が解け、運転士の澤口が正気を取り戻した。車両の床で、ズボンがはだけ、お坊ちゃまが控えめに顔を出して倒れている自分の姿に仰天した。


「おっと! これはどうしたことだ!」


 澤口は飛び起き、慌ててズボンを上げてチャックを閉めた。お坊ちゃまに大事件が起こった。澤口の顔が苦痛に歪んだ。意を決して一気にチャックを下げた。耐える男の唸りを吐きながら、痛みを堪えてゆっくりとチャックを閉めた。肩で安堵の息を吸いながら、はたと、たった一人の乗客の小夜子を見た…よかった…運よく眠っていることに、澤口は心から神に感謝した。

 急いで任務に戻った。まだトンネルの中で、丁度、峠の頂地点に差し掛かったばかりだった。トンネルの高低差は約80メートルあり、入ってから五分程で抜け出る。澤口は気を失ってから数分しか経っていないことに安堵した。しかし、澤口の心は深刻だった。


「明日、病院に行こう…病院に行くしかない…でも、何科を受診すればいいのか…」


 トンネルの闇の先にポツリと出口の光が現れた。澤口は兎に角家に帰れると思い、胸がいっぱいになった。涙がこぼれた。


 澤口の運転する内陸線は、無事に角館駅に到着した。小夜子は澤口に近付いて行った。澤口は動揺した。小夜子がニヤニヤ自分を見ている。あの醜態を見られたに違いないと思った。


「運転手さん?」


 そう声を掛けられて、澤口は観念した。


「申し訳ございませんでした!」


 澤口は直立不動の姿勢で謝罪し、深々と一礼した。すると小夜子は優しい声を掛けた。


「いいえ、とっても快適な時間でした! スッキリしました! ありがとうを言いたくて!」


 澤口の顔が緊張から解かれてぐしゃぐしゃになった。


「あ、あ、ありがと~ござい~ました~!」


 澤口の目からボロボロと大粒の涙が溢れ出た。小夜子は嬉しくて澤口に抱き付いた。その反動で澤口のお坊ちゃまが “ウッ” と唸った。小夜子にとって特撮の魔法から覚めた旅だった。


〈第26話「クソヒーロー」につづく〉

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