第24話 秋の猛吹雪
小夜子を乗せた内陸線上り角館行きが阿仁前田駅を発車した。駅舎の改札からエルトン・仁と矢代蘭が体を乗り出して手を振って見送る姿に、小夜子は嬉しそうに応えた。初めて来た見知らぬ土地で、何もいいことがなかった。同じ特撮ファンなのにお互いに交流を避けて来た彼らの姿が唯一の救いとなるなんて皮肉な話だ。気が付けば、自分は女部田や五味を通してしかものを見ていなかった。父の遺書でやっと目が覚めた自分にとって、特撮とは何だったのだろう…特撮ファン同士の交流って一体何なんだろう…特撮ファンのイベントにゲストで来るヒーローたちは、自分たちの特撮熱を心から受け入れているのだろうか…特撮に燃えた過去が全て空虚なものに思えて来た。
これから途中駅の比立内駅で、牙家然に “青の剣” を渡せば全てが終わる。しかし、心のどこかで小夜子はまだ迷っていた。どうしても“青の剣”を所有していたい衝動が繰り返し込み上げて来ていた。
阿仁前田駅を出て約1時間を過ぎた頃、車両が急停車した。牙家然が待つ比立内駅の少し手前だった。
「ウソッ!」
窓の外が一面真っ白だ。暫くして運転士による車内アナウンスが流れた。
「お急ぎのところ申し訳ありません。列車は急な降雪のため緊急停車いたしました。ただ今、対策を講じておりますので次のご案内まで暫くお待ちください」
10分程経つと、乗客の吐く息が白くなってきていた。時間が長く感じるのは、車内がかなり冷え込んで来たせいもあった。再び車内アナウンスが流れた。
「ご案内いたします。現在、復旧の目途が立っておりません。更に、電気回路の不具合で車両の温度調整が作動しておりません。このままでは車内温度がかなり下がります。更なる緊急事態に備えて地元消防団に救助を要請しました。消防団の誘導で少し先の駅舎施設に避難しますのでご協力をお願い致します」
小夜子は俄かに不安になった。これは怨霊の力が及んでいるのではと、そっとバッグの中の“青の剣”を確認して見た。光っていないし、御札もそのままだった。少し落ち着きを取り戻したが、怨霊が他の乗客にのりうつっているかもしれないと思うと、乗客の全てが怪しく見えて来た。殆どの乗客は沿線住民の風情だ。中に数人、部活帰りのような中高生が大きなスポーツバッグを足下に置いて参考書に見入っている。テストが近いのだろう。あとは高齢者の男女だ。その中の一人の老婆と目が合った。須又温泉で会ったキヨとは違い、表情に感情の微塵もない老婆だ。老婆はすぐに目を逸らした。そして再びゆっくりと小夜子に向いた…怖い…小夜子は目を逸らした。しかし気になってもう一度老婆を見ると、すぐ隣に座っていた。小夜子は息を飲んだまま目を剥いた。
「あんた、どこまで行くんだ?」
「か、角館」
「そうかい、行けるといいね…寒いのかい」
「いえ…」
「震えて」
寒いのではない。恐怖で震えが止まらなくなったのだ。他の乗客がいることで辛うじて小夜子は自分を保つことが出来ていた。
間もなく、地元の消防団による救助隊が到着してホッとした。乗客は10人程だったが、皆、一駅~二駅先の沿線住民でそのまま歩いて帰る者が殆どだった。消防団員らの先導で比立内駅に向かい、彼らはその足で帰途に就いた。残った小夜子ら乗客数人は駅舎の施設に入った。中では地元の高齢者たちが炊き出しを始めてくれていた。部屋の暖かさで身に降り掛かりそうだった恐怖が遠退いた。
さっきの老婆が炊き出しに加わった。この駅が目的地だったようだ。炊き出しに動員している人たちと顔馴染然と言葉を交わして、寧ろリーダーシップを執り始めた。老婆は真っ先に小夜子に温かい甘酒を持って来てくれた。
比立内駅は今は無人駅となったが、かつては小夜子たちが収容された駅舎の施設は農協の出張所だった。その職員らが駅員の役割も兼ねていた。しかし、利用客の激減と高齢化の波で農地離れが進み、農協出張所の撤退を機に無人駅となってしまった。
避難所の甘酒で一息吐いている小夜子の元に、牙家然が現れた。小夜子は一瞬、松橋龍三が現れたと思った。小夜子がそう思うのも無理はなかった。然は龍三とは幼馴染で親戚筋にある。その強面の風貌は龍三と実によく似ていた。小夜子は牙家が部屋に入るなり、すぐに立ち上がって歩み寄った。
「四条小夜子です。初めまして!」
「…ああ」
牙家は無愛想だった。小夜子はバッグから封印の御札が貼られた “青の剣” を出した。
「あの…これを…」
牙家はすぐに小夜子の迷いを見抜いて “青の剣” は受け取らなかった。
「付いて来なさい」
外は猛吹雪なのにと思ったが、小夜子は然に付いて行くしかなかった。牙家は駅舎の向かいの守護山の入口に立つ“鬼ノ子村マタギ小屋”に向かっていた。マタギ小屋とは彼らの所謂ベースキャンプの役割を果たす場所であるが神事も行う。
猛吹雪の中、突然、小夜子の持っている “青の剣” の御札が剥がれてしまった。“青の剣” が鈍く光り出し、やっと小夜子はその事に気付いた。
「牙家さん、御札が!」
小夜子はそう言いながら五味久杜に
「・・・!」
牙家が消えた。“青の剣” は空を切った。五味は牙家を見失って狼狽えた。牙家は五味の真ん前に居たが、五味には “木化け” した牙家が見えなかった。
自然に同化する技は三つあるといわれる。“草化け” 、“石化け” 、そして優れたマタギの術 “木化け” である。この技を操るマタギは、熊にとって山中に生える一本の木にしか見えない。
悪霊の怨念は私欲の臭いを察知して作動する。私欲が強ければ強い程、悪霊の怨念は強くなる。悪霊のそれは、正に己の内なる私欲への制裁でもある。女部田も五味も、自分への憎しみを打ち消すために、第三者からの称賛を欲した。逆に、称賛してくれた第三者に少しでも醜い私欲を発見した時、悪霊の怨念はその対象を抹殺せずにはいられなくなる。同時に自分より秀でた部分に対しても同じ欲求が抑えられなくなる。女部田や五味はそうした破綻した思考の中で、生前は特撮ヒーロー番組が己を保つ心の支えとなっていたが、貪りを終結させることが出来ないまま、怨念を残して悪霊と化している。
“木化け” の牙家は五味の手にある “青の剣” を翻し、その喉元を抉った。“青の剣” は妖気を失い地面に落ちた。小夜子が姿を取り戻すと、牙家は呟いた。
「この玩具にまだ執着はあるか? ならば、もう拘らん」
小夜子は自分の愚かさを恥じて頭を振った。
「では、先祖の助けを乞おう」
そう言って、牙家はマタギ小屋に入った。小夜子も入ろうとしたが止められた。
「ここで待ってなさい」
マタギ小屋は女人禁制だ。マタギ小屋の中は既に燈明が天に向かって揺れていた。牙家は神棚に向かって正座し、ナガサの刃に親指の血を吸わせ、その血を “青の剣” に塗って負の怨念を封じ、
猛吹雪が嘘のように止んだ。マタギ小屋の前で寒さに耐えて待っていた小夜子は、体の雪を払って空を仰いだ。どんよりとした雪空に紺碧の雲間が現れた。
マタギ小屋から牙家が出て来た。
「あとは、あんた次第だ。心を強く持て」
そう言い残して、牙家然は帰って行った。
〈第25話「十二段トンネル」につづく〉
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