第19話 オッタ―通りの酒の肴

 エルトン・仁はチェックインした宿の食堂で矢代蘭と合流していた。


「どう、駅舎の宿は?」

「鉄オタには堪らないかもしれないけど、オレは特オタだから、まあ、ただの田舎の宿って感じ。可もなく不可もなしかな。線路沿いだけど列車の本数も少ないし、終電も早いんで静かでいいかも。でも、洗面所とお手洗いが共用ってのがちょっとね」

「部屋にないの!?」

「ない」

「リピーターは望めないね。結局、県内のお年寄り目当てだから、設備も妥協の産物ね。今時、洗面所とお手洗いが共用って有り得ない」


 二人は厨房を仕切るカウンターを見てやっと気が付いた。


「ここってセルフか!」


 いつまで待っても店員が注文を取りに来ないはずだ。


「ここから須又温泉までの道を知ってる? 地図上では30分ぐらいだと思うけど」

「歩いて行けるけど1時間くらいは掛かると思うよ」

「なんで !?」

「上り坂とか山道とかある」

「1時間は歩く距離じゃないよね」

「でも晴れてるし、どうせなら須又温泉の先にある大名持神社に足を延ばしてみない?」


 エルトン・仁は秋田に来て初めて旅の散策気分を味わっていた。二人が大名持神社に着く頃、徐々に陽が陰って夕陽が射し始めた。尾根のシルエットが濃くなるのを見ながら二人は心細くなった。


「暮れるのが早いな!」

「田舎はビルの灯りがないからね」

「熊が出そう」


 神社の石段を下りながらエルトン・仁はジョークのつもりで言ったのだが、その質問に矢代蘭は答えなかった。二人は急ぎ足になった。慣れない土地の闇は油断すると方向感覚を失いがちだ。


「矢代さん、この道で大丈夫?」

「大丈夫よ、ほら、少し先に工事中の点滅が見えるでしょ。あれが須又温泉のある商店会の裏側。今、拡幅工事をしてるのよ」

「拡幅工事?」

「商店会の表側からは見えないけど、裏にバイパスが通るのよ。旧道を走ってた車は地元を素通り。商店会は益々寂れる一方」

「族議員の暗躍で過疎る地が増える一方で、町おこしなんて何の意味もないね」

「工事の間は一時的に雇用が増えるけどその場凌ぎね。土建屋さんを儲けさせて誰かさんがその漁夫の利を吸い上げる」

「バイパス沿いに大型チェーン店ができて便利になるんじゃない?」

「元気な高齢者ばかりならいいけど、車でしか行けないところは高齢者には不便だからね。注文制の配達でも高齢者には面倒なんだよ。結局、撤退する店舗が軒並みなの」

「配達とかは夏はいいけど、冬は大変なんでしょ?」

「そう、一番の問題は豪雪ね。実質、一年の半分が雪被害」

「県が大手建設業社の力を借りて、豪雪に強い町づくりをすればいいじゃないね」

「土建業社の冬の収入源は除雪なの。改革したら彼らの仕事がなくなって、結局は族議員の懐に入るものも入らなくなるのよ」


 そんな話をしながら、二人が宿を出てから須又温泉の裏に到着するまで2時間ほど掛かってしまった。須又温泉の裏には、燃料となる廃材やドラム缶などが雑多に散乱したままになっていた。

 建物の間の狭い隙間を縫って表に回ると、須又温泉の入口のタギングが一段とひどくなっていた。男湯と女湯の間にはいくつかの花束が手向けられていた。案の定、新しくなった鍵が掛かっていたので、二人は再び狭い隙間を戻り、裏木戸の前に立った。ここはボイラーマンが出入りしていた木戸なので、元々鍵自体がなかった。


 二人はその木戸の前に立った。


「大丈夫か?」


 矢代蘭は決心したように頷いた。


「じゃ、入るよ」


 二人は、ちば藤としつ子の死の真相をどうしても探りたかった。音を立てないように静かに木戸を開け、中に入って行った。


 商店会にある居酒屋“おこぜ”では、役員の宴会が盛り上がっていた。


「しかしまあ、三人も凍死するとは、おっかない商店街になったもんだな」

「こうなってしまったら、こうなってしまったで、何でも町おこしの材料にすればいいよ」

「おまえ、罰当たりだな…人が死んでるんだぞ」

「現実を見ろ。今までの何倍もの観光客が来てるじゃないか」

「何倍もつったって、両手に余る程度だべ」

「今までがゼロだもの、ええべ」

「それもそうだな」

「こういう場合、宣伝文句が必要だべ」

「宣伝 !?」

「商店街のキャッチコピーだな」


 一同は無言になった。真剣に商店街のキャッチコピーを考えていた。


「あなたも凍る雪女商店街へようこそ! …なんてどうだ?」

「男も死んだべ」

「あなたも凍る雪男と雪女商店街!」

「雪男が入ると色気がねえな」

「じゃ、間を取って…あなたも凍る雪オカマ商店街!」

「雪オカマ! なんか今風でいいんじゃない!」


 そこに血相変えたエルトン・仁と矢代蘭が現れた。


「助けてください!」


 二人はまるで冬山の遭難から生還したような雪まみれだった。


「ギャー――ッ !! 雪オカマーーーっ !!」

「追ってくる!」

「何があったんだ!」

「追ってくる!」

「雪オカマか!」

「五味久杜が追ってくる!」

「五味久杜 !? あいつは死んだべ! まさか銭湯の中に入ったのか !?」

「すみません!」

「また出やがったか、あのクソガキ! どこまでも疫病神だ!」


 商店会長がビール瓶片手に店の暖簾を出て辺りを見回したが誰も居なかった。居酒屋“おこぜ”の主が厨房から袋ごと持ってきた塩を店の前にばら撒いた。


「どんだけ地元に迷惑掛けりゃ気が済むんだ、久杜!」


 主の声が人気のない商店街に虚しく響いた。


 エルトン・仁と矢代蘭はやっと落ち着いていた。


「あんたたち、どこまで帰るんだ?」

「私は鷹巣まで…彼は今日から阿仁前田駅のクウィンス森吉に」

「駅まで送ってやろうか?」

「車ですか?」

「そうだよ」

「飲酒運転はまずいですから歩いて帰ります。もう、大丈夫です。きっと恐怖から幻覚を見たんです」

「もう、あんなおっかねえところには忍び込むんじゃないよ」

「はい、すみませんでした」


 二人は深々とお礼を述べて居酒屋 “おこぜ” を後にした。須又温泉は商店会の入口にある。駅に向かうには嫌でも建物を右に見て通り過ぎなければならない。二人は緊張と悪寒に耐えながらそろそろと須又温泉の前を通り過ぎようとした。


「気を付けてな!」


 突然の声に仰天した二人は須又温泉の前で尻を突いてしまった。


「いやー、驚かしてしまって、すまん、すまん」


 商店会の会長と居酒屋の主が心配して、商店街の出口まで見送りに来てくれていた。居酒屋の主が、近くの川で取れた“かじか”のてんぷらと地酒の二合瓶をそれぞれ二人に無言で手渡してくれた。


 地元の暖かさに救われた二人だったが、駅舎に辿り着くと更に驚く事態が待っていた。


〈第20話「阿仁前田駅」につづく〉

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