第17話 “ 封じの壺 ”

 エルトン・仁と矢代蘭が、再びオッタ―通り商店街に足を運んだ。商店街には既に大勢の地元民が集まり、幽霊騒ぎにまで発展していた。


「呼ばれたんだよ、あの最初に凍死した五味さんとこの息子に!」

「久杜は昔から問題児だったからね」

「死んでからも問題起こしやがる」

「五味のじいちゃんが跡継ぎが出来て甘やかして育てたから、あのざまだ」

「久杜が高校生の頃、腹違いの妹を孕ませて大騒ぎになったっけな」

「やめなって! それを口にしたら、ここでは暮らせなくなる」

「どっちにしたって、ここの商店会はもう終わりだよ」

「場所を貸した風呂屋の五代目も、飛んだとばっちりだね。温泉の再会どころか問題物件にまでなっちまって」

「五代目のバカは何でも安請け合いするからこうなるんだよ」

「ところで…本当に出るのか?」

「何が?」

「何がって、これだよ、これ!」


 商店会の副理事長が両手で幽霊の格好をした。


「今時、そんな恰好では出ねえだろ」

「じゃ、どんな格好だよ」

「あの男、オタクだから、特撮の怪人の格好でもして出るんじゃねえの?」

「怪人は嫌なんじゃないか?」

「じゃ、ヒーローの格好で出んの?」

「オタクは怪人よりヒーローに憧れてんだろうからな」

「幽霊がヒーローの格好で見栄切って出るのか?」

「成敗ッ!とか何とか言っちゃってさ」

「時代劇入ってねえか?」

「オレたち年寄りにはイメージし難いな」


 度重なる謎の凍死事件の現場検証も一段落し、この日、須又温泉で除霊の儀が執り行われることになった。大名持おおなもち神社の神主・妹背健勝は、脱衣室の四隅に結界を設け、番台を利用した祭壇には、蝋燭、榊、水晶玉、神酒を配した。そして、自らの前に “封じの壺” を置いた神主は、参加者に説いた。


「皆さんは日々何気なくテレビをつけっ放しにしていませんか? 番組によっては絶えず “負の念” を発信していることで、我々の心は無意識のうちに乱されています。テレビはほんの一例に過ぎません。皆さんの周囲には我々が無意識のうちに受ける “負の念” がたくさん存在しています。除霊の儀を始めるにあたり、ここでの祈祷の間、皆さんには今から申し上げる方法で、“正の念” を抱き続けていただきたい」


 神主の妹背は祭壇に貼られた『五芒星ごぼうせい』を指した。


「あの星形の御印は『五芒星』といいます。あの御印の中心に皆さんの身を置き、『自分は守られている』と強く念じてください。ゆっくりと息を吸って、一旦その息を止め、そしてまたゆっくりと息を吐きます。すると呼吸が整い、気持ちが落ち着きます。除霊の呪文の途中で心が乱れると自分を守れません。そうなったら、今のように呼吸を整えてください。では、あの『五芒星』の御印の中心に念をおいてください・・・除霊を始めます」


 神主の呪文が始まった。一同は神主の言うとおり、『五芒星』に身を置き、慣れない呼吸法で時々咳などしながら、必死に自分を守った。呪文を終えた神主は、最後に九字の結界を切った。


「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」


 そして悪霊を “封じの壺” に誘い込み、蓋を閉じて封印を貼り、「悪霊撃退祈願」の儀は完了した。除霊の儀式が済むと老人たちの緊張が一気に解れ、トイレに長蛇の列が出来た。


「大したもんだね」

「妹背の神主さんは凄いね」

「あたしは昔からそれを知ってたね」

「そうかね」

「妹背の神主さんは代々この土地のアベカワのセンベエみてえなもんだ」

「アベカワのセンベエ?」

「婆ちゃんは “安倍清明” って言いたいんだろ?」

「そうそう、そのアベカワだ。大したもんだ」


 安倍晴明が存命中の平安時代から室町時代の陰陽道には、五芒星に結び付く資料はない。五芒星は陰陽道よりも早くに仏教や修験道での記録がある。晴明の子孫・土御門家が浄土宗の信徒だった関係で、その菩提寺・真如堂に五芒星が伝わっている史実はある。従って、仏教や修験道の五芒星が、のちに陰陽道に取り入れられたのではないかとみられている。


 果たして、五味久杜の悪霊は本当に “封じの壺” に誘い込めたのだろうか…神主の妹背健勝は浴場の特撮グッズの存在を懸念していた。五味久杜の悪霊を “封じの壺” に誘い込めても、浴場の特撮グッズに五味久杜の執着が残り、それに心奪われる者がいる限り、ここでの悲劇は止まないのではと考えていた。あの特撮グッズを全て燃やす必要があったが、そうすることを五味久杜の従兄の豊がどうしても承諾しなかった。その意味で、実は不完全な「悪霊撃退祈願」の儀であった。


 除霊の席に混じっていたエルトン・仁と矢代蘭も、特撮グッズのことが気になっていた。自分たちもそうであるように、特撮ファンにとって、手に入れた特撮グッズというのは自分の分身でもある。執着した特撮グッズを手に入れるためには、時に限度を超えた相手の要求を呑む者もいた。ただの一特撮ファンだった五味久杜が、そうした特撮ファンのさがを利用するようになったのは、生来の強いバイセク依存とペドフィリアの性向ゆえだった。熱狂的な特撮ファンにお気に入りグッズを提供すると面白いように従順になる者が多かったため、彼の性癖は益々エスカレートしていったのだ。


「この場所で、ちば藤としつ子の身にどんなことが起こったのかな」

「いくら雪国と言ったって、秋の夜に人が凍るほど温度が下がるかしら?」

「記事では二人が折り重なるようにして凍っていたとあったけど、ちば藤がしつ子を性の対象として襲うかな…相手はしつ子だよ」


 エルトン・仁のいうとおり、しつ子はそういったタイプの魅力ある女性とは言えなかった。それが彼女のコンプレックスであり、人との交流の足枷になっていた。しかし、唯一の趣味である特撮ヒーロー番組に於いては、その共通の話題を語り合える仲間が大勢存在することを知って、彼女の人生は変わった。しかし、そこまでである。周囲の特撮ファン仲間が趣味を通して恋愛に発展する中、しつ子にはそういう展開は待っていなかった。


(回想)

岩風呂風の浴槽には、ちば藤の言ったとおり、かなりのレアな特撮グッズが陳列されたままになっていた。しつ子の特撮熱の血が騒ぎ出し、心はグッズの魅力に引き摺り込まれていった。


「沙月さん!」


 グッズに心奪われて忙しいしつ子に、ちば藤がいきなり抱き付いて来た。


「何するの!」


 そう叫んだしつ子は、ちば藤に顔を振り向けるなり、見る見る恐怖に凍り付いた。自分を抱いている目の前の男は、ちば藤ではなく五味久杜だった。


「五味さん…」


 そしてその五味が更に女部田に変化へんげした。女部田の生温い息がしつ子の口元にかかって来た。


「あなたは劇団活動に夢中で、ボクに振り向いてくれなかった。ボクはあなたの舞台写真を何枚も撮った。その写真をあなたに送りたくて何度メールアドレスを聞いても、あなたは教えてはくれなかった。沙月さん、ボクの気持ちを分かって欲しい!」


 沙月? 私が? …私が劇団のアイドル? 女部田真は私のことをあの美しい沙月だと思っている…もしかしたら私は本当に沙月なのかしら…しつ子は混乱した。今まで誰の相手にもされなかったのは悪夢で、今の私が本当の私かも知れない…しつ子の心はそう変わって行った。


「沙月さん!」


 私…沙月…しつ子は女部田の悪霊に仕掛けられた虚構に酔った。


「沙月さん!」


 しつ子の心が解放された。女部田をこのまま受け入れたいと心から思った。


「ああ…女部田さん…なのね」


 しつ子は今までに経験したことのない夢にまで見た情念の快楽に融けていった。もっと…もっと…しつ子の死顔は微笑んでいた…醜く変形して。


「不審死扱いってどうなるの?」

「司法解剖に回されて、他殺とかの証拠が認められなければ、すぐに遺族に返されると思うよ」

「…そう」

「でも、そうだったとしても、どうもすっきりしない」

「そうよね」


 ちば藤としつ子の遺体は事件性がないとして、すぐにそれぞれの遺族の元に返されていた。


「秋田にはいつまで居られるの?」


 エルトン・仁が秋田に来て一週間程が経っていた。


「あと三日ぐらいかな」

「…そう」

「明日から宿を変えることにした。内陸線終点の鷹巣からだと、ここまでの移動時間がロスだから」

「どこにするの?」

「クウィンス森吉…地図で見たら須又商店会まで歩いても30分ぐらいの位置」

「最初からそこにすれば良かったね」

「こっちの状況が分からなかったから…」

「私も地元の宿泊施設には疎いから…ごめんね」

「矢代さんが謝ることはないよ」

「私もその宿に泊まろうか?」

「あ、いやいやいや、矢代さんは地元の人だから、変な噂が立ったら困るでしょ」

「え!? あ、いやだ、そういう意味で言ったんじゃなくて…お互いにいろいろ行動しやすいかなと思ってね」


 二人の空気が微妙に沈殿した。エルトン・仁が明日の宿移りの支度があるというので、二人は解散した。この宿移動の後、飛んでもない波乱が待っていた。


〈第18話「ちば藤の葬儀」につづく〉

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