第6話 浴場に響く声
大名持神社の火事は小火で済んだ。
須又温泉でイベントのミーティングが開かれていた。5代目店主の須又太、五味久杜と従兄の五味豊、そして地元町役場の地域振興課に努める根倉静香の四人が集まって、特撮イベントの打ち合わせもそこそこに、専ら昨夜の神社の小火の犯人探しで盛り上がっていた。
「2ちゃんねるで大名持神社の神主が叩かれてるぞ。個人的な恨みで生贄を決めてるとか、金を貰って生贄を決めてるとか…」
「小火と関係あるのかな」
「あるかもな。だって2ちゃんねるのスレが立って少ししてから小火だぞ」
「叩いただけでは治まらなくなって火を点けたってことか…」
「久杜さん、大丈夫か? あんたは生贄に選ばれたってことで第一容疑者にされるかもよ」
5代目店主の須又が、五味久杜をからかうつもりで言った。
「ボクはそういうことはしません!」
「冗談だよ」
「…悪い冗談はやめてください」
「でもさ、久杜さんはネットに詳しいだろ。あの2ちゃんねるの書き込みをどう思う?」
「ボクは見てませんので何とも言えませんよ」
「でもさ、いくら匿名で正体が分からないからとは言え、卑怯なやり方だよな。文句があったら堂々と名を名乗って言えばいいだろ」
「言えないクソ野郎だから2ちゃんねるでしか暴れられないんじゃないの」
「病気なんだよ」
「アル中より性質の悪いネット中毒だな」
「何もなかったようなツラをして今この時間も平然と暮らしてんだろうけど、そういう屁垂れとは絶対関わりたくないな」
五味久杜が痺れを切らした。
「あの…ボク、まだ納品の途中なもんで、それを済ませてからまた来ます」
「そうか、それは悪かったね。じゃ、あとでまたな」
五味久杜が出て行った後、役場の根倉静香が五味の従兄の豊に確認した。
「ねえ、大丈夫なんでしょうね」
「何が?」
「久杜さん、小火と関係ないわよね」
「大丈夫だよ」
「もし関わっていたら、あたし、役場を首になっちゃうわ」
「大丈夫、大丈夫。取り越し苦労は静香の悪い癖だよ」
配達途中の五味久杜の携帯が鳴った。路肩に車を止めて電話に出ると “あなたは気の毒な人です” という一言で電話が切れた。神主を疑ったが声質が全く違っていた。改めて送信者記録を確認したが何も残っていなかった。
もやもやしたまま五味久杜は配達を切り上げて須又温泉に戻った。鍵は開いていたが、もう誰もいなかった。五味久杜は凹んだ。自分が蒔いたイベント計画だが、実行される日には自分がこの世にいないかもしれないと思うと、やり場のない地団駄すら踏むことが許されない思いだった。
五味久杜はガラガラと音の響く硝子戸を開けて、一面レトロな豆タイルが敷き詰められた浴場に入った。岩風呂風の浴槽の中央に立って特撮グッズを翳している得意満面の自分を想像した。
「1,500円から始めます!」
満場の参加者がその特撮グッズを競り落とそうと、一斉に四方八方から値を上げる活気ある声が集まって来た。
「2,000円!」
「2,500円!」
「3,000円!」
「3,000円が出ました。競り落としたら本日の豪華ゲストのサインと記念写真一回がサービスになりますよ!」
「5,000円!」
「6,000円!」
「6,000が出ました! 他にありませんか? なければ…」
「8,000円!」
「9,000円!」
「9,500円!」
「9,500円が出ました! もう一声いませんか!」
「あなたは気の毒な人です!」
「え!?」
「あなたは10000円分気の毒な人です」
「誰ですか、変なことを言う人は!」
「あなたは百万円分気の毒な人です!」
「あなたは一千万円分気の毒な人です!」
「あなたは一億円分気の毒な人でなしです!」
「やめろーッ! 誰だ、誰なんだ!」
誰もいない公衆浴場の浴槽の真ん中に、独り立って叫ぶ自分の声が響いた。五味久杜はやっと我に返った。
〈第7話「過去からの足音」につづく〉
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