第4話 底無しの銭湯


 五味久杜は悪夢の朝を迎えていた。起死回生の明日が見えた…そして、神の御託宣で絶望的な明日が見えた。折角ここまで順調に準備したことが、自分の目で実現の日を見ることができない。銭湯の湯船の中心で、特撮グッズ片手に競りをして、多くの参加者の熱い視線が自分に注がれる…“さすがは五味久杜! 特撮ファンの心が100%解るカリスマイベンター!”…そんな特撮ファンの声に輝き、“ボクは皆さんの喜ぶ顔が見たいだけです” と謙虚に恐縮してみる自分が不在のイベントなど何の意味もなかった。


 五味久杜は生贄の風習が続くことに強烈に腹が立った。こんな非科学的な神事による御託宣を受け入れることなど絶対に出来ない。これは自分を陥れる誰かの陰謀に違いないと思った。そこで思い当たる人物は一人しかいなかった。三龍だ。自分の人気カリスマ特撮ファンとしての砦を粉々に破壊した三龍が、また陰で糸を引いているに違いないと思った。神主を問い詰め、そのカラクリを暴き、今度こそ三龍の息の根を止めてやろうと、憎き伏魔殿である大名持神社に向かった。


 五味久杜に声を掛けられた特撮俳優・鍋野満が、偶然に自分の招待されている銭湯イベントの記事を目にした。


「なに? イベント会場が銭湯?」


 堕ちたものだと思った。自分だけではない。堕ちたド素人のイベント如きに出なければならないほど過去の幻想にしがみ付いた自分に反吐が出た。堕ちた特撮俳優が自傷の念で更に堕ちて行く…死神に魅入られた情けない自分に思わず笑いが吐き出た。


 酒が進んだ鍋野満は、同じくイベントに招待されている岩田今朝雄に電話していた。イベント会場が銭湯であることを伝えると岩田は電話の向こうで一瞬絶句した。鍋野は岩田も自分と同じ気持ちなのかもしれないと思って少し気が楽になった。


「鍋野さんはどうするんです?」

「…出席しますよ」


 鍋野は出席するという岩田の言葉にホッとしつつも、本音では“やはり、おまえもオレと同類だったか…” とがっかりした。


「…約束しましたから…銭湯っていうのも面白いじゃないですか」

「…そうですね」


 堕ちた者同士の堕ちた空気で会話は終わった。岩田は鍋野とは立場が違っていた。体に爆弾を抱えていた。残された時間を精一杯謳歌したいんだろうと思った。鍋野は團國彦にも連絡せずにはいられなかった。


「銭湯!? イベント会場が銭湯なんですか!?」


 團からは鍋野の期待した空気で返事が返って来た。


「お互いに舐められたもんだな、銭湯かよ。せめて二流でも名の知れたホテルの宴会場がギリギリのラインだよな、ははは…でも、いいんじゃないの? 損して得取れだよ」

「え?」

「鍋野さんだってオレとは別の理由でお誘いを断われないだろ」

「え…」

「知ってるよ、キミのお悩みは…五味氏と…ま、それ以上は云わんでおこう」

「・・・・・」

「断って無駄な角を立てて2ちゃんねるで叩かれるより、適当にあしらって、お互いにいい思いをさせてもらったほうが、余計な面倒が起らないでいいんじゃないの? 大人の対応ってやつだよ。精々、クソオタどもにちやほやされながら軽薄に楽しんで来ようよ。オレたちはもう、何様でもないんだから、ははは」


 團との電話は岩田より深みに堕ちた空気で終わった。


 酔いが回った鍋野は、招待された銭湯の湯船に浸かっている夢を見ていた。オヤッと思った。自分の体が競りにかけられている。参加者全員が熱い憧れの眼差しを向けていた。突然それが軽蔑に変わり、競りの値がどんどん下がっていった。その時、湯船の底から誰かに足を掴まれた。物凄い勢いで底無しに引き摺られていった。必死にもがきながら足を掴んでいるやつを見た。その顔は五味久杜だった。


〈第5話「五味久杜が燃える」につづく〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る