第2話
季節はまだ冬。吐く息が白くなるような寒さの中、広い道場で、一人の青年が竹刀を振るう。名は
素振りではあるが、型に沿って敵との対峙を想定した素振りだ。
竹刀を振るうたびに、空を切る音がヒュンヒュンと鳴る。
誰かと戦わねばならないから振るのか、単に御堂一刀流を継承するために振るのか、それすらわからずただ毎朝の鍛錬の一環だと言って、真一は剣を振るう。
「兄さん朝ごはんできたよ」
御堂家は室町時代から続く由緒ある剣道家系である。元は村の子供らに剣を教える寺子屋のようなもので、当時未開の地と呼ばれていた関東の田舎領主であった、御堂鷹船が剣を教えることで、村の力をつけさせようと始めたものだが、戦国の終わり頃の刀狩り、文明開化による廃刀令が元で、真剣から竹刀による剣道の道へと変わっていく。
その過程で、何度かお家断絶の危機に立たされていたが、どうにか生き延びた今、継承する意味もない剣術を、今なお受け継いでいる。
「ちょっと兄さん聞いてる?」
真一は御堂一刀流の五十七代目継承者である。ついでに、御堂家の跡取りでもある。
「ご飯できてるって言ってるでしょうがっ!」
真一のこめかみ目掛けて、横振りの一閃が飛んでくる。
素振りに集中しつつ、さらに死角からの攻撃とあって真一の反射神経は機能しなかった。
「おふっ!」
真一は受け身も取れず、道場の床にビターンと倒れ伏した。
「我が妹ながらいい一撃だ…」
「倒れながら言われてもカッコよくないよ」
真一に一撃を入れられる数少ない人間、同じく御堂一刀流の継承者にして、真一の妹である
「ご飯できてるから呼びきたら、いつも通り聞こえてないし」
「いやぁすまんなぁ。兄ちゃんはできた妹を持って幸せだぞ」
「そう思うなら、たまには自分できてよね」
ぐうの音も出ない。
朝の鍛錬も、どこかで区切りをつけなければ時間を忘れて永遠にやってしまう。
ストッパーとして史乃は、大事な役割をしていた。
朝食のため、かいた汗を流すべくシャワーを浴びて、首からタオルを掛けたまま、台所へと向かう。
「兄さん…なんで毎朝半裸なの?まだ冬だよ見てるこっちが寒いから上着てよ」
真一の、タオルを首からかけただけで上半身裸の姿を見て、史乃が頭に手を当てながら呆れた言う。
「汗かいたから暑くてな」
「服ぐらい着ろ馬鹿」
真一はしぶしぶジャージを羽織る。それでも、前はほぼ空いているし、タオルは掛けたままだが。
「男たる者、衣服にも気を配らねばいかんぞ真一」
と、真一の父。
そして当人は浴衣一枚である。
「お父さんも人のこと言えないカッコしてるからね」
蒔春が新聞から目を上げて史乃を見ると、ものすごく蔑んだような目で睨まれて、シュンと縮こまる。
この家最強は、史乃かもしれないと最近思う真一である。
朝食が並ぶまでの間することもなく、真一は適当にテレビのリモコンを手に取り、ニュースでも見ようと、やってるであろうチャンネルを回す。
すると、【五十人斬殺。犯人行方知れず】という見出しのニュースがやっていた。
「物騒な世の中だな」
「あーそれ最近毎日やってるよね」
史乃もどうやらニュースのことは知っていたらしい。
この分だと、蒔春の持つ新聞にも同じ記事があるのだろう。
「しかも近いなこの事件現場」
そのビルは、御堂家から徒歩三十分圏内の高層ビル群に建っている。
確かに近くはある。
「史乃どうする?帰り迎えに行こうか?」
中学の部活で帰りが遅くなる史乃は、真一に比べてかなり危険度が高い。
それならば、真一といっしょのほうが比較的安全と言える。
「兄さん学校終わってから、三時間くらい時間あるけどその間待てる?」
「どうせ母校だし先生とかと駄弁って時間潰すさ」
卒業したのは二年前。多少顔なじみの先生もいないわけではない。職員室にでも顔を出せば、茶でも出してくれるだろうと思っている。
「確かにそんな大事件の犯人がいるなら、兄さんいてくれたほうが心強いかな」
というわけで帰りは中学に行くことになった。
中学から真一の通う高校まで電車で一駅。潰そうと思えば、時間のつぶし方はいくらでもある。
「お前がいるのはいいが真一。あれを持っていくといい」
と、蒔春が指差した、掛け軸の下に大層大事に飾ってある一本の日本刀。もちろん模造刀ではなく本物の刀である。
御堂家の家宝として、先祖代々受け継がれている。
「親父あれはダメだろ。護身用でも俺が掴まっちまう」
完全に銃刀法違反。よしんば犯人を撃退できても、刀を所持してる時点でお縄にされてしまう。
「まあ冗談だが、必ず護身用に竹刀を携帯しておけよ?」
なぜこの親父は正当防衛で片付けようとするのだろう。もっと犯人と会わないようにするとか、やりようはないのだろうかと常々真一は思っている。
「ほら兄さん食べないと遅刻するよ」
そんな話をしていたら、いつの間にか時間が差し迫っていた。
朝食の味噌汁を流し込みながら、テレビに流れるニュースを眺めていた。
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