67話 分たれた者
「あっちの仕事は終わったようだね」
自分に向けられて放たれる黒い光球を、涼しい顔をして剣ではじき返すと、ルリジオは微笑んだ。
殴りかかってきたオリヴィスの拳を紙一重で避けながら、彼は悠長に腕を組みながら首を傾げる。
「僕も早く終わらせないと怒られそうだね。彼が僕の頼みを聞いてくれるのが良いのだけれど……無理なら手っ取り早く四肢を切り落とそうか?」
舌打ちをして自分から離れたオリヴィスに合わせるように、ルリジオも後ろに飛んでタンペットとセパルの側へ戻る。
「体の部位が欠けると、素材としても弱体化してしまうわ。無傷が望ましいわね」
「ふむ……そういうものなのか」
細い顎を、長い指で摩りながらルリジオは感心したように頷いてみせる。
それからサラサラと絹糸のような髪をかき上げた彼は、セパルの手を取ると、その甲へそっと口付けをした。
「これが終わったら、君への求婚も行うからね、期待していてくれ」
「はわ……? 今言うことではないと思うのだが?! 勇者の末裔もめちゃくちゃ怒ってるぞ! ほら」
セパルが指を差した方を、ルリジオは振り向いた。オリヴィスは、セパルが言った通り、肩を奮わせながら憤怒の形相でルリジオのことを睨み付けている。
「じゃあ、さっさと終わらせようか」
「殺す……!」
僅かに理性を取り戻したオリヴィスが、短い言葉を発して地面を蹴る。
風のような速さでルリジオの目の前に来た赤黒い悪魔は、腕を大きく振り抜く。しかしルリジオは涼しい顔をしたまま剣でそれを受け止めた。
自らの攻撃が防がれた瞬間に首を伸ばして彼の喉元を狙うが、それもルリジオが鳩尾を狙って放った前蹴りによって空振りをする。上下の牙が噛み合うガチンという音が空しく響き、オリヴィスの体は後ろに吹き飛ばされる。
「理性も取り戻したようだし、君に聞きたいことがあるんだ」
声がすぐ近くで聞こえたことに驚いたオリヴィスは、慌てて視線を上げる。目の前には、微笑みを浮かべたルリジオが剣をゆっくりと振り下ろしていた。
体の部位を犠牲にしたほうが嫌がらせになる。そうわかっていても、オリヴィスは本能的に剣を鉄よりも硬い両手の爪で防ぐ。
「乳ばかり大きい役立たずだと、
「は?」
爪で受け止められている剣を持っているルリジオの腕には力が全く入っていないように見える。
彼は笑顔のまま下半身に力を込めて腰を捻る。
ググッとオリヴィスの爪に剣がめり込んだかと思うと、ルリジオの剣はまるで薄い紙でも切るように彼の爪を両断した。
「謝るつもりなら、その機会を設けてあげようと思う」
表情も変えないまま、ルリジオの体が音も立てずに宙を舞ったのをオリヴィスは見た。
そして、彼の持ち上げた足が自分の胸元を蹴ろうと前へ差し出されるのも……。
蹴られることがわかっているのに、為す術も無くされるがままになったオリヴィスの背中が、太い木の幹に打ち付けられる。
その衝撃で体内の空気を全て吐き出してしまったオリヴィスが、懸命に息を吸い込もうとすると、微笑んだままのルリジオが再び目の前に現れた。
圧倒的な力の前に、オリヴィスは思わずヒュッと音をさせながら息を呑む。
「人は過ちを犯す。でも、それを許すことも必要だと妻たちから教えられたからね」
ルリジオは、剣の切っ先をオリヴィスの首に当てて微笑みを浮かべる。先ほど「無傷が望ましい」と言われていたにも拘わらず、自分を殺すことをためらわないような彼の行動に、オリヴィスは恐怖した。
オリヴィスは、更に考える。自分がアグレアスを罵ったときに見せた彼の激昂や、
そして、ここで「謝らない」と言えば、自分がどうなってしまうのかを……。オリヴィスは恐怖に満ちた目で、見目だけは良いルリジオの空色の瞳を見つめた。
「……謝りたい……です」
「その言葉が聞けてよかったよ」
微笑んだまま、ルリジオは剣をオリヴィスの喉に突き立てた。
眩しいほどの光を放つ剣を根元まで差し込まれたオリヴィスは、叫び声を上げそうになる。しかし、すぐに彼は、体に痛みを感じないことに気が付いた。
剣から発された光に包まれた体は、動けはしないが、それ以外の変化と言えば木漏れ日にいるような錯覚をしそうなほど心地よい温かさに包まれているだけだ。
「すごいものね……これが女神に祝福された剣の力」
光で視界が奪われているオリヴィスにも、タンペットの声は聞こえていた。しかし、彼は声を発することが出来ない。
額に冷たくてツルツルしたものが触れたと彼が気付くと同時に、オリヴィスの意識は急激に襲ってくる微睡みに飲まれて消えていった。
脱力したオリヴィスの体からルリジオが剣を引き抜くと、喉から僅かに赤黒い靄が立ち上る。
「なにをしたのだ?」
「
慌てて自分の方へ駆け寄ってくるセパルを抱き寄せるように迎えながら、ルリジオは事もなげに言った。
セパルより一足先にオリヴィスの額に魔石を置いたタンペットは、石が急速に黒く濁っていくのを見守っている。透明だった魔石が黒く染まるのと反対に、オリヴィスの体は人間の姿へ戻っていった。
「予想とは違いましたが
下半身は竜にも拘わらず、しずしずと音のひとつもさせずに近寄ってきたアスタロトは、すっかりと人間の姿に戻ったオリヴィスを覗き込みながらそう言いながら、傍らに立っているバエルに微笑んだ。
「最強の剣だけでも恐ろしいというのに、ルリジオ殿が持っているとなると我が輩でもただではすまぬからな。巨乳を愛する者同士、
腕組みをしたバエル将軍は、胸を反らしながら豪快に笑ってアスタロトの肩を抱く。
「では、また何かありましたらいつでもご用命を」
バエル将軍が右手を挙げると、六本足の巨大な黒馬がどこからともなく現れる。将軍は、黒馬に跨がって腹を足の側面で蹴ってみせた。
嘶きを上げた黒馬が、空へ向かって駆け出すと、アスタロトは竜の半身に生えている二枚の羽根を広げてバエル将軍と並び立って空へ飛び立った。
「今日は楽しかったです。また、
アスタロトは一度だけ振り返り、手をひらひらと振って目を細めた。
ルリジオたちは、夜空へ消えていく悪魔の夫妻たちを、その姿が闇に溶けていくまで見送っていた。
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