68話 解放される者

「途中で騒がれても面倒だし、起きてもらうよ」


 頭から水をかけられたオリヴィスが目にしたのは、人形のように虚ろな表情を浮かべたまま立っているかつての使い魔の姿と、蛇頭の人魚像が並んでいる姿だった。

 自分の左右には、金髪碧眼の見目麗しい優男であるルリジオと、暗い葡萄色の髪を腰まで伸ばした緑眼の男アビスモが挟むようにして立っているのを確認してから、オリヴィスは再び自分の前に広がっている謎の光景を見つめる。


「な、なんだ……これは」


 後ろで組まれた手には木の枷が嵌められているようで、オリヴィスは思うように動けないことに気が付いた。体を起こそうともがいていると、それに気が付いたアビスモが自分の腕を引いて体を起こすのを手伝う。

 膝立ちのような姿勢になったオリヴィスは、お礼を一言述べてから人魚像へ目を向けた。

 すると、神殿の奥から3人の女が現れる。それは、彼の根城を探っていたエルフの女であるタンペットと、自分の使い魔に痛手を負わせた未成熟な悪魔セパル、そして、知らない女だった。一番最後に出てきた女の顔はエラが張っていてしっかりとした骨格と、二つに割れた立派な顎が目立つ。前を歩いている二人の女性と比べると、明らかに醜女の部類だなとオリヴィスは思いながら、大きな顔をした小さな目の女を見て「油断するのは良くない」と考えを改める。

 三人目の女は、なんだか深海魚を思わせるなとも、彼は思った。その深海魚のような女の、やたらひらひらとした薄青色の服は、露出を抑えているものの肩が露わになっている。そこから覗いている肩には、聖女の印が浮かんでいる。やはり醜女だからと言って侮らなくてよかったなと、オリヴィスは内心ホッとした。


「やあ、海月の聖女、先日会ったばかりなのにとても久し振りのように感じるよ。その魔力に満ちた衣の下に隠された柔らかで見事な円形をした乳房……コルセットを今日は着けているのかな? 以前の胸当てをしていた行動力重視の装備でもその月のように丸く美しい乳房は美しかったけど、補強され、背筋を伸ばす装具を纏うことによって前に突き出される胸部は大きな乳房が更に大きく見えて素晴らしい。薄い衣の下にしっかりと隠れていても、下部の円形部分にはしっかりと濃い影が落ちていて衣類の上からでもしっかりと重厚な乳房の存在が感じられる。ああ、触れてしまえたらどんなに良いだろうと思うのだけれど、君は聖女という触れてはならない聖域に咲く大輪の花大きなおっぱいだ。君がその役目を全うしている間はこうしてこの双眸で眺めることしか出来ないなんてね。触れないもどかしさというものも良いものだとは思うのだけれど……ね」


「当然の讃辞を長々と述べられても飽きてしまうものよ。女神様を役目から解き放つのでしょう? 早くやってしまいましょう」


 薄い布の下で揺れる豊かな乳房をしっかりと見つめながらルリジオは微笑んだ。それから、流れるような仕草で、歩いてきた聖女にかしずいて手の甲へ口付けを落とす。

 それを当然というようにあしらった聖女は、立ち上がったルリジオに背中を向けると、タンペットから黒く淀んだ魔石を受け取った。

 魔石を胸の前に抱き、聖女は人魚像の正面へ近付いていく。


「準備はいいかしら?」


 人魚像と向き合うように立った聖女は、アビスモとタンペットを見た。

 二人が頷いたのを確認して、聖女は目を閉じて両手で魔石を包むと胸の前へ持って行く。


「旧き神から賜りし偉大な力、世界を守護する為注がれた血の一滴、邪なる王を祓う聖なる魔力」


 聖女が目を閉じたまま呪文を唱えると魔石に亀裂が入り、内側から赤黒い靄が溢れはじめる。

 床を覆い始めた靄が、生き物のように蠢きながら女神像の隣でヒトの形を取り出すと、アビスモが腰にぶら下げていたワンドを手に持って空を凪いだ。

 見えない糸に動かされるように、光の無い瞳で虚ろを見ていたアグレアスが数歩前へ出ると、両腕を広げた。

 棘の生えた茨のような赤い光が、アグレアスとアビスモの足元から伸びてくる。赤黒い靄の周りを取り囲むように伸びた赤い茨の光は、アビスモがワンドの先端で床を強く叩くと一気に縮んで、ヒト型になった靄を拘束した。


「これは……」


「君の血に宿った力と、悪魔に変わることで得た力……その二つを君から切り離したものだよ」


 目の前で繰り広げられる禍々しい光景にオリヴィスが思わず声を漏らすと、ルリジオが穏やかな声でそう述べる。


「血に……」


「勇者の末裔としてあった魔力も異能も、奪わせて貰ったんだ。彼女の母親を助けたくてね。まあ、見ていればわかると思うから、静かにしていてくいれよ」


 鞘に入ったままの剣を胸に押しつけられて、オリヴィスは血の気が引くような思いをしながら頷いた。

 茨の光は、更にその長さを伸ばして人魚像の方へ絡みついていく。セパルが目を閉じて人には発音の出来ない言葉で歌を奏で始める。

 もの悲しいような、どことなく懐かしさを感じる調べが響くと像の表面に、小さなひび割れが幾つも出来ていった。


「聖なる力は土地へ還る 旧き盟約を焼き尽くし今新たな守護を与え賜え」


 聖女が調べに乗せるようにして、祈りの言葉を捧げると、天井から太陽のような光が一筋差し込んできた。

 窓の外には夜の暗闇が広がっている。

 人魚像と聖女のちょうど中間に差し込んだ眩い光の中へ、魔石を抱えたままの彼女は臆した様子も無く一歩踏み込んだ。


「我こそはこの地を守る聖女……海の女神の化身クレイオの名において結界焼却の儀を行使する」


 人魚像の表面が剥がれ落ち、内側に眠っていた悪魔ウェパルの頭に生えた蛇たちがゆっくりと動き出す。

 彼女が瞳を開いた。娘とよく似た双眸から橄欖石色の輝きを放つと同時に、アビスモが魔石が輝くワンドを高く上げて床に先端を叩き付けた。


神話世界の維持者メンテナーの力を持ちし者、我が名は奈落の王アビスモ。神々の箱庭を守る絶対不可視の籠を今、新たに創造する」


 茨の光に包まれていた赤黒い靄は、地鳴りのような音を立てながら体を丸めていく。

 みるみるうちに眠っている蝙蝠を逆さにしたような形になった靄は、足元から徐々に石に変わっていった。


わたくしはこの世界に残る最後の旧き神……ヒトの子と言葉を通わせる者。結界の更新を赦しましょう……」


 どこからか声が聞こえてきて、天から差していた光が消え失せた。それと同時に、聖女が床へ崩れ落ちる。


「母様!」


 倒れた聖女を抱き留めようとルリジオが走り出したのと同時に、セパルは目を開いて辺りを見回しているウェパルに抱きついた。

 

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