65話 半人半竜の悪魔

「さて、見物はもういいかな。僕らも仕事をしようか。頼むよタンペット」


 タンペットが立ち上がり、ルリジオの隣に向かう。

 アグレアスとバエル将軍が激しい金属音を放ちながら剣と槍をぶつけあっているお陰で、兵士たちを結界の中にいるようにいいつけるだけで事足りるだろうと判断したらしい。


「ええ……。こいつの血を使って旧き神々にコンタクトを取れば良いのかしら?」


 前に垂らしていた後れ毛を後ろへ払いながら歩いてきたタンペットは、ルリジオの目の前まで来ると足を止めた。

 どこからともなく湧き出してきた影が、音も無く足下に移動してきたことに気が付いたからだ。

 影は、二人の間に止ると隆起して蠢きながら徐々に人のような形に変化していく。


夫の上司アビスモ様の愛しい方、力を貸すようにわたくしも言いつけられております」


 静かで落ち着いた声と共に、影から青い肌をした女の上半身が、影の中からぬらりと現れた。

 タンペットよりも頭三つ分ほど背の高い彼女は、両手をヘソの前で重ねている。

 四つ足の竜ドラゴンの下半身を持つ彼女は、腰まで伸ばした漆黒の豊かな髪と豊満な乳房を揺らして歩く。

 顔から半分を薄い紫の覆布ヴェールで隠した彼女は、驚いて固まっているタンペットの顔を見ると、上半身を折り曲げて恭しくお辞儀をしてみせた。


「あ……あなたは……」


「怠惰と毒の悪魔……アスタロト……さま」


 タンペットとセパルの声を聞いて、顔を上げたアスタロトの唇が弧を描く。

 ルリジオは、タンペットとセパルよりも一歩前に進み出ると、アスタロトに片膝立ちで跪いた。


「助かります義母おかあさん」


 義母と呼んだ悪魔の手を取り、手の甲に触れるような口付けをしたルリジオは、彼女の乳輪部分だけが辛うじて隠されている豊かな乳房へ視線を向けながら、うっとりとした溜息を漏らす。


わたくしの乳房への賛美は後で聞いてあげましょう。さあ、すべきことを教えてちょうだい。夫の戦う姿を見ながらでも良いのなら、お手伝いをしてあげましょう」


 ルリジオの顎に手を添えて、彼の顔を上向かせる彼女の目元が妖しく光る。

 思わず小さく「ひ」という声を漏らして手を繋ぐタンペットとセパルを気にも留めず、ルリジオはアスタロトの谷間を見つめながら首を縦に振った。


「旧き神々……わたくしはよく知らないのですが、神など古今東西碌なものではないと思います。ねえ、そうでしょう?」


 アスタロトは、ルリジオの手を引いて彼を立たせる。そして、胎児のような姿勢で倒れているオリヴィスの前へ行くと、そんなことをいいながらセパルとタンペットの方へ上半身を捻りながら視線を向けた。

 背筋を伸ばして「はい」と答えるセパルの横で、タンペットは黙ったままアスタロトの血のように紅い瞳を見つめ返している。


「あら、耳長エルフの娘は、そうは思わないのかしら? 神々には迷惑をかけられているはずよね」


 柔らかい響きのアスタロトの声は、タンペットの耳にも同じように甘く響く。

 しかし、その瞳は鋭い光を放っている。

 ハラハラとした表情を浮かべて自分の顔を眺めているセパルを一瞬だけ見て、タンペットは息を呑んだ。それから、胸の前で指を組みながら一歩アスタロトの方へ進み出る。


「我らピオニエーレ王国は、豊穣の女神ダヌ様の加護があるお陰で、豊かな恵みに満ちた生活を送れています。神への冒涜はどうぞご容赦ください」


 頭を下げたタンペットの声は、微かにうわずっている。

 四本の脚をゆっくりと動かして、彼女に近付いたアスタロトが長い爪でタンペットの月色をした髪に触れる。

 そっと艶のある横髪に指を通して、さらりと撫でたアスタロトは、口元を押さえながら肩を揺らして笑った。


「よほどその女神が怖いのね……。ふふ……いじわるはやめてあげるわ。それで、こいつの血を使って旧き神とやらとお話しできたとして、義理の息子ルリジオの願いは叶うのかしら?」


「それは……その……」


耳長エルフの娘、あなたと半魚の悪魔セパルが協力してくれるのなら、もっとおもしろいことが出来るのだけど」


 口ごもりながら顔を上げるタンペットの耳元に、アスタロトは顔を近付けた。そして、眉尻を下げて心配そうにタンペットを見ているセパルへ手招きをして自分の方へ呼び寄せた。

 なにやら三人が話し合っている様子をルリジオは横目に見ながら、彼はアビスモたちの戦いへ目を向ける。

 バエル将軍が力強く剣を打ち下ろすと、それを受けたアグレアスの槍がメキメキと嫌な音を立てる。

 体の大きなバエル将軍の背に隠れていたアビスモが、彼女の前に舞い降りてヒビの入った箇所へワンドの宝玉が付いている部分を振り下ろした。

 二つに折れる槍をすぐに投げ捨てて、アグレアスは猛禽類の下肢で器用にバックステップを踏んで二人から距離を取る。


「ルリジオ、話はまとまりました。わたくし半魚の悪魔セパルでヒトの子を強い悪魔に堕とします」


 声をかけられたルリジオは、戦いから目を離してアスタロトたちの方を振り向いた。

 どことなく弾んだ声のアスタロトの横では、眉間に皺を寄せたタンペットが立っている。


「そして、妾が強力な悪魔に変異したオリヴィスを封印し、港街で眠るウェパルに替わる結界の核として使うことになった……」


「わ、わ、我は……ヒトの子を悪魔に堕とすなんて初めてなのだ……。アスタロト様の助けがあっても……うまくいくかどうか……」


 胸の前で指を組んでいるセパルの手を取って、ルリジオは微笑んだ。


「大丈夫だよ、捻れ角の君セパル義母おかあさんは、この豊かで柔らかな乳房を惜しげも無く曝け出すような蠱惑的な衣装を身に纏い人々に至高の宝おおきなおっぱいの良さを日々伝えているとても素晴らしい方だ。先日も辺境の地にある不穏分子の一団にその肢体を見せつけて、魅了し、仲違いさせることで無力化してくださったんだ。青い肌の映える上半身の谷間ももちろんすばらしいのだけれど、実は下肢である四つ足の竜部分にも乳房があってね。無断で見るわけには行かないが、バエル将軍が義理の息子だからと言って許可をくれたので夫を持つご婦人の下肢を見せてもらったんだよ。普段は鋼の刃も通さない竜の鱗だが、腹部には鱗の切れ目があり、そこから僅かにだけれど柔らかい皮膚が見えるんだ。下肢の真ん中で仰向けに寝そべることが出来るその秘境の空を仰ぐとだね、まさに竜が集める財宝……柔らかな二対の乳房が眠っているのだよ。そんな素晴らしい方だ。何も心配することはない」


「……よくわからないが……とにかく我はアスタロト様を頼るしか無いことだけ伝わってきたのだ」


 大きく肩を落としたセパルは、満面の笑みを浮かべているルリジオの手をそっと離してアスタロトの隣へかしずいた。

 それに続いて、タンペットは胸元から取りだした水晶の短刀で自分の髪を一房切り落とす。それから、手早く小さな魔法陣を描き、首飾りの中でも一番大きな魔石の付いたものの革紐を解いて、髪と共に魔法陣の中心へと置く。


「では、はじめましょう……勇者を悪魔に堕とす儀式を」


 オリヴィスの結界が、タンペットによって取り払われた。


「は?」


 目を覚ましたオリヴィスは、自分を囲んでいる悪魔たちの姿に目を丸くして、声を上げたまま固まる。

 それを見下ろしながら、セパルと取り合った手を高く掲げたアスタロトは口元を隠していた覆布ヴェールを、空いている方の手で少し捲って口の両端をつり上げて笑う。


「アグレアス……たす」


 竜の前肢がオリヴィスの口元を覆い、セパルが長い爪で自分の手首とアスタロトの手首を切り裂く。

 くぐもった悲鳴をあげるオリヴィスの頭には、悪魔二体の手首から流れる血が降り注いだ。

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